13 差し伸ばす手は誰のため?
吹き抜けた風が私の前髪を流す。見つめたその先――背後で暗い橙に色付く太陽と雲。暗く変色した柵の影がその長さを伸ばし、空に染まりつつある屋上のざらついた灰色へ、平行する鉄格子を描き上げていた。そこで――それらを背負う様に、千尋は腕組みをして私を見つめ返す。強弱のある風になびく茶色い髪。彼女はそれに腕を解いて、流れた髪を耳へとかける。覗く表情。一文字に結ばれた彼女の顔が陰影を写し――感情は、読めない。
「瑞穂……」
彼女から零れた声が、風にあおられ宙へ舞う。そこにどんな思いが含まれているのか、私にはまだ、知る術がなかった。だけど……
「千尋……」
それを考えるまでもなく、私は一歩一歩と歩み寄った。
正方形のコンクリートが敷き詰められた屋上を、しっかり踏み締め私は進む。互いの表情がわかる距離――そこで、私は足を止め、頭を下げた。
「ごめん千尋。私、無神経だった。何も千尋の事思ってなかった。ホントに、ホントに、ごめんなさい」
気持を吐き出す。私の気持ち、それの全てを。――千尋を傷つけた事。それの後悔。――感情が溢れ出して、上手く舌が回らない。だけど、だけど、この気持ちを伝えたい。
吐き出しても、吐き出しても足りないと思える。いつの間にか言葉も単調な物に変わっていた。ただ「ごめんなさい」と繰り返していた。もしかすると、私は泣いていたのかもしれない。
「瑞穂……」
そんな言葉を掬い上げる様に、千尋が言う。
「瑞穂、もういいよ。――もう、怒ってないから。ね」
「ほ……本当、に?」
震える肩をそのままに、私はゆっくりと頭を上げた。そこには、いつもの千尋がいた。ううん。いつもより私の事を心配している千尋の顔があった。
「怒ってない。全然、怒ってない」
幼い子をなだめる様に、千尋の両手が私の両肩に添えられた。震えが、不思議と収まる。
「千尋……ごめん、ね」
最後に零れ出た言葉。それに、千尋は私を抱き締めた。鼓動が伝わる。千尋の心臓は私以上に高鳴っていた。激しく、そして強く、彼女の生き方を示しているかの様だ。
「いいよ。それに私は……、瑞穂に怒ってるんじゃない」
耳元で囁かれた声。でもそれは、違う千尋だった。何と言うか、弱い声。
「私は、瑞穂を怒ってなんかいない。私は、私を許せないの……」
「千尋……?」
聞き返した。だけどすぐに答えは返って来ない。ただ、私を抱く腕が少し強くなった。
視界で髪が揺れた。風が私たちを中心に旋風をまく。それに引き離されないよう、私は千尋に腕を回す。細い体は微かに震えていた。
「確かに、私を見てくれていなかった瑞穂には腹が立ったけど、それを抑えきれずにぶつけた私が、情けなかった。瑞穂の事を一番知っているのは私。それなのに、自分の気持ちを押しつけて、瑞穂を困らせた。ううん。それよりも、瑞穂が私の所からどこかへ行ってしまいそうで。それが嫌だった」
千尋の力が強くなる。今わかった。千尋は強くない。私と同じだった。いつも、この学校で独りになってしまう事を恐れていたんだ。その思いは、私より強い。だから、こんなにも震えているんだ。――過去の思いが蘇って、孤独感に苛まれたに違いない。
だから、それを忘れていた私が、やっぱり悪い。
それに……。
「ごめんね、千尋」
「なんで、瑞穂が謝るの……」
千尋の全てが震えていた。私はそれをしっかりと抱きとめる。
「だって、私たちは同じだもん。だから、私も同じ事を思った。もう、――もう、独りになりたくない」
「瑞穂……」
「だから、これからも一緒にいて欲しいの」
そう言って寄りかかった私の額が、千尋の肩に当たる。それを受け入れる様に、千尋の顔が私の肩へ。
「うん。これからもよろしく……」
「ありがとう……」
頬に当たる風が一筋だけ冷たく感じた。でも、私の心は温かい。再確認した友達の心で、私は現実の大切さを思い知ったのだった。
その日の帰りは、久々にカラオケに行った。千尋とふたり。そう言えば、どれくらい振りだろう? 叫ぶ声。奏でる歌に乗せる詩。学校での蟠りを全部吐き出して、私たちは笑う。
そんな中、“だけど”と疑問がわいてくる。学校が終われば、千尋には彼氏がいるのだ。社会人だと聞いた。なのに、大切な日以外は、私を遊びに誘ってくれている。もしかして、千尋は私の事を心配して誘ってくれているのだろうか。同じ環境でいる私を、自分に重ねて、手を引いてくれていたのだろうか。
ううん。きっかけは何にしろ、守られていたのは私。手を差し伸べてくれていたのは千尋の方だ。
だから、それに私は答えるんだ。
「ほら、瑞穂。次」
笑顔で渡されるマイクを受け取り、私はステージに立つ。少し大袈裟に回って見せて、ピタリと千尋に視線を向けた。
「行くぜ! 学園天国!」
少しのハウリングも気にしない。アップテンポに始まるイントロ――そこに私たちは声を重ねた。
「アーユーレディ?」