あなたに恋することはありません!
お目にとまって嬉しいです。
シリアスでダーク(な、はず)です。
どうぞよろしくお願いします!
「決めたのか」
呼びかけられて振り返ると、最も見たくて見たくない顔がこちらに歩いてきた。
「決めたも何も、私には選択権はないのよ」
手元に視線を戻して私はつぶやいた。噴水の止まった泉に小石を投げ込む。波紋が広がっていくのをじっと眺める。
「もう二度と会うことはないでしょうけど、どうか幸せになってね」
顔を上げることもなく私が言うと、しばらく背後に気配があったが、それも遠ざかり、消えた。
「ズルいと思うのよね、私」
私は、つい先ほど夫となった隣国の王太子の不機嫌そうな目を真っ直ぐに見ながら言った。
「……なにがだ」
「これは両国の和平のための政略結婚で、私たちの立場は対等なはずでしょ?契約ではそうなっていたわよね?」
「……だからなんだ」
「それなのに、私は最愛の人と引き離されて二度と会えなくて、あなたは恋人と別れず囲っている。ついさっき、女神にお互いを唯一として誓ったのに、あなたには私という妻以外に恋人がいるなんて、ズルいじゃない」
「なっ……、知っていたのか。し、仕方ないではないか!愛し合っているのだ!」
夫は落ち着きをなくして大声を出した。
「私たちだって愛し合っていたわ。無理矢理引き離されたのよ。私の方がよっぽど理不尽な目にあってるわ!ズルいじゃない」
夫は衝撃を受けたかのように私を見た。知らなかったのか。いくらなんでも私に興味なさすぎだ。
「……そうだったんだな。その男はどうなった」
「私のことは、もう死んだものと思って忘れるってさ。それで新しい恋をするんだって」
「……お前はそれでいいのか」
私は肩をすくめた。
「ひどいこと聞くのね。いいわけないけど、どうしようもないじゃない。私たちは王族で、政治の道具で、道具の役割を果たす覚悟を持ってなきゃいけないわ。そうでしょう?」
夫は返事をしなかったが、奥歯を噛み締めたのがわかった。
「それにね。あの人、最初は私を連れて逃げるって言ってたけど、そんなことしたら、どうしても私たちを結婚させようとしていた両国に三日もせずに連れ戻されて、あの人は殺されちゃっていたでしょうね。たとえもう二度と会えなくても、生きててくれるだけでもマシかな」
「そうか……。お前、そいつを逃すために僕と結婚したんだな」
夫はようやく私を睨むのをやめた。だが私は頭を振った。
「ううん、そのためだけじゃないよ、もう何世代も続いてた戦争が、これでようやく終わるんだよ。あなたとの結婚は、どうしても必要だった。あの人をどれだけ愛してても、それだけじゃダメだった。あの人とは、結ばれない運命だった、それだけ」
夫の瞳に、はっきりと憐憫の色が宿った。彼は私に歩み寄り、隣に座った。
「あのね、私の国の町の広場に、古い噴水の泉があるの。でも、もうずっと噴水が出ていないのよ。水が溜まってるだけ。長い戦乱で、修理するほど手が回らなかったのね。でも、和平が成立したから、そのうちあの泉にも噴水が戻ってくるね。
ね、お互い仕方なく結婚したけど、どうしようもないなら、できるだけいい夫婦でいたいのよね、険悪なのって不幸せでしょ。お互い穏やかに平和に暮らしたいの。本当なら女神に誓った身として、あなたも愛してる人と別れてほしいところだけど、そんなことしたら歩み寄れなくなりそうだから、そこまでは言わない。
だから、ね、お願い。私のこと少しでも可哀想だと思うなら、両国の微妙な均衡を崩したくないなら、女神の信者を破門されたくないなら、その人のこと、完全に隠してね。その人と子供を作らないでね。会う時は絶対に私にわからないようにしてね。そうして、もうあいつとは別れたって、そう言ってね。私、それを信じることにするわ。そうしたら、私も愛するあの人のこと、死んだと思って忘れて、あなたと新しい恋をすることにするわ」
夫は苦悩の表情を浮かべ、ぎゅっと目を閉じたが、やがて私を真っ直ぐに見返すと、言った。
「……わかった。約束しよう」
夫は王太子の顔をしていた。そうして、私たちはお互いを受け入れた。
それからしばらくして、私は一通の手紙を受け取った。読み終わって放心する私の肩に、夫は手を置いて私を覗き込んだ。
「顔色が悪い。どうした」
「死んだつもりと思って、考えないようにしていた人が、蘇ってきちゃった。あの人が、可愛い恋人とささやかな結婚式をあげたんだって」
夫は私を抱きしめてくれた。
「あの人、まだ私のこと怒ってるのね。こうしてわざわざ知らせてくるあたり」
「……怒ってる?」
「激怒してたわ、私があの人よりも、王族としての役目の方を選んだと思っているみたい」
「……そうか。選択権などないのにな」
私は夫を改めて見た。
「全く同じ言葉を、あの人に言ったのよ。それで、二度と会うことはないけど、幸せになってねって言ったの」
夫は頭を撫でてくれた。
「そうか、今日だけは許すから、泣いてもいいぞ」
私は温もりを感じながら彼を見上げて薄く笑った。
「涙なんか、とっくに枯れちゃったわ。それに、もういいの」
「……その手紙はお前も幸せになれと言う意味かもしれないし、もしかしたらその可愛い恋人とやらの仕業かもしれないぞ。いずれにしても、もう忘れたほうがいい」
「……いいこと言うわね、そうするわ!」
私は彼の腕を飛び出すと、手紙で凧を折った。不思議そうに覗き込む彼を見てイタズラっぽく笑うと、窓から思いきり飛ばした。手紙は二人が見つめる中、青い空に向かって飛んだ後、私のために作られた城の大きな噴水に、すうっと吸い込まれていった。
それからしばらくして、夫は一度だけ約束を破った。
必死に平静を保とうとしているが、明らかに動転しているのがわかる。私はすぐに悟った。夫の愛する人に、何かが起こったのだ。だから私は彼に告げた。
「私たち、結構がんばっていると思わない?確かに、愛はないけど、情はある気がするの。それで、私は自分でも、情の濃い女なんじゃないかと思ってるのよ。
あなたも、誠実で情の深い人だと思ってるわ。私に同情して寄り添ってくれているわね。
だから、今回に限って目をつぶるわ。一体何があったの?」
夫はどさりと長椅子に腰を下ろし頭を抱えた。そして、震える声で告げた。
「彼女に、子ができてしまった」
私は血の気が一気に引くのを感じた。この先の展開がわかってしまったのだ。
現在両国は和平を結んでいるが、状況は流動的だ。国内が安定し少しずつ豊かになることで数は減らしているものの、過激な開戦派はまだ大きな力を持っている。彼らは私たち夫婦の表面的な「仲の睦まじさ」に免じて、私たちの幸せのためならばと鉾を収めていると言っても過言ではない。
そんな難しいこの時に、よりによって夫の恋人に、私よりも先に子ができたとなればどうなるか。夫が女神の誓いを破っていたと知られたらなにが起こるか。
今までの苦労と犠牲が水の泡。さらなる泥沼の戦争が起きる。
両国の平和が破られるだけではない。両国を虎視眈々と狙っている国が複数ある。これ以上国力が弱まれば、攻め込まれてしまうのは明らかだ。
最悪の事態を避けるためには……。道は一つしかない。
「どうして、そんなことに……」
私が震える声でつぶやくと、夫は憔悴しきった顔で私を見上げた。
「彼女は、君より先に子をなすことで、僕の愛情を確かめたかったと言っていた。僕を君に取られたくなかったんだと。密かに避妊薬を捨てていたらしい」
なんて愚かなんだろう。それがどれほどの影響を与えるか。だが、とうてい見下す気にはなれなかった。彼女と彼女の中の小さな命は、その愚かさの代償を払うことになるのだ。
「……私、あなたを取り上げたりしないのにね……。ねえ、前に、今だけ許すから泣いてもいいって、言ってくれたことがあったわね?」
「……そんなことも、あったな」
「同じこと、言うわ。今だけ許すから、彼女を想って泣いてもいいのよ」
「……そうか」
夫は私に顔を背けると、苦しげに嗚咽し始め、やがてそれは慟哭に変わった。
可哀想な人。私は夫に深く同情した。だが同時に、嫉妬も怒りも湧かないことを自覚してしまった。私はまだ、この人に恋をしていないのだろう。
「……せめて、苦しまないようにしてやらなければならないな」
やがて落ち着いた夫が床を見つめながらぽつりとこぼした。気の毒で私はそっとささやいた。
「できることなら子供だけでも、とも、思うけど……」
夫は拳を握って頭を振った。
「これだけのことをしでかしたのだし、それに、月が満ちるまで待っていたら、どんなことをするか……」
「……そう……」
確かに、子供と自分自身を助けるためなら、何も考えずに開戦派に情報を渡すぐらいはしそうだ。
私は深くため息をつくと、夫に歩み寄って肩に手を置いた。あの日、夫がしてくれたように。
「あなたは、立ち会わないほうがいいわ。私が、見届けてあげる」
夫は驚いて私を見上げた。滑稽なほど泣き濡らしている顔だった。
「いや、それは……」
「あなたが立ち会ったら、その人、どうして助けてくれないのかって、あなたのことを恨んじゃうかもしれないわ。あなたの愛する人が、あなたを恨んで逝ってしまうのは、さすがに気の毒だわ。私が恨まれてあげる」
「それは駄目だ」
夫は即座に否定した。
「僕は、誰かを責めずにはいられない。君が立ち会ったとなれば、どんなに理屈では君に責任などないとわかっていても、心では君を責めずにはいられないだろう。それでは駄目だ。誰かを責めるなら、僕自身を責めなければならない」
なんて不器用で世渡り下手な人だろう。私が黙ったまま彼を見つめていると、夫は私から顔をそむけ床を見た。
「だが、申し出には感謝する。僕と彼女のために辛い役を引き受けようとしてくれたこと」
「……いいのよ」
夫はしばらく床を見つめていたが、小さく言った。
「悪いが、少し一人にしてくれないか」
私は夫の望む通りにした。
あれから、彼女のことを夫が口にすることはなかったし、私も夫に尋ねることはしなかった。
私は夫のことがよくわかる。夫と私は本当によく似ているのだ。だから、おそらく彼がしたことが推測できる。
彼は……、どうにかして恋人を逃したのだろう。ギリギリまで処刑をするつもりはあったのかもしれないが、やはり自分の子を宿した愛する人を手にかけることはできなかったに違いない。「二度と会えなくても、生きていてくれるだけでもマシ」……かつて私自身が夫に告げた言葉だ。本当に、嫌になるほど私たちは似ている。
もし、夫に尋ねれば、彼女を処刑したと答えるだろう。だが、彼がたとえそう答えたとしても、私はそれを信じることができない。夫も私に嘘をつき続けなければならなくなる。そして……、いくらなんでも、最初から逃すつもりで私の申し出を断ったとまでは考えたくなかった。
だから、触れないほうが、知らないほうが、いい。「いずれにしても、もう忘れたほうがいい」のだ。
夫は、子供に関して、なんらかの形で将来の禍根は断っただろうと断言できる。私が彼なら、そうするからだ。
こんなに似ていて、理解できるのに、夫に恋はしていない。人の感情って不思議だ。この人となら、深くわかり合って深く愛し合うこともできたと思う。だが夫も私が彼を根本のところで信じていないことがわかっているだろうし、女神を裏切り唯一の誓いを破り、私を欺いて彼女を逃したという負い目を生涯持ち続けなければならず、私に信じてもらうよう働きかけることはないだろう。私に完全に心を開くことはできないに違いない。
私たちの間には深い亀裂ができてしまったが、埋め戻すことはせず、見ないふりをして細い橋をかけて寄り添っているのだ。
それでも、まだマシな関係だと思っている。もっと悪いことだっていくらでも考えられる。夫が立場より愛する人を優先する人物だったり、生まれた子供を私に育てさせようとしたり、夫に受け入れてもらえず和平が破綻したり……。そんなことにならず、本当に良かった。
だから、許してあげる。
だからあなたも、あなたに恋できないこと、許してね。
私はいつかこの人の子を産むんだろう。何人も、たくさん。
そうして、子供を育て、王位を継いだ夫を支え、両国の和平と繁栄に努め、いつか私が望んだ、穏やかで平和な日々を過ごすのだろう。
それって、そんなに悪くない。あの泉にも噴水が戻ってくる。
「そして王子様とお姫様は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ」
呟いた私を、夫は抱きしめてくれた。
end
ありがとうございました!
もっと、にっっがーーいのを目指したはずが、お子ちゃま舌の作者にはコレくらいが限度のようです(笑)
書いたことのない雰囲気の作品でしたが、今後も色々なテーマで作品を書いていけたらいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。
それではまたいつかの週末で!