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 目が、覚める。

 見慣れた天井。見慣れた景色。


 ──ほんの少し、懐かしい、春の香り。


 半年以上二人部屋だった自室には、今は一つしかベッドがない。


「…………」


 のろのろと起き上がって、膝を抱える。

 分かってしまった。すべて、分かってしまった。


「──ああ」


 世界は、なんて残酷なんだろう。


 この日、初めて私は鏡の前に立たず、部屋を出た。




 まだ早い早朝の朝。

 起きている人は、誰もいない。


 お気に入りのワンピースを着て、朝日に照らされる廊下を歩く。

 古い教会は、歩く度び床が音を立てて、静かな廊下に嫌に響いているような気がした。

 誰かに見つかったら、やだなぁ。

 なんて思ってしまったのが良くなかったのか。


「ラーレ?」


 一番あいたくない人に、見つかってしまった。

 ……嘘。ほんとは、会えて、ほっとしてる。


「……イキシア」

「早いな。おはよう」


 その目は、もう、あんな柔らかさは、宿っていなくて。


「うん、早く起きちゃって」

「そうか」


 へらりと笑って、「じゃあ、行くね」と背を向ける。

 こんな状況でも、あえて嬉しいと思うのだから、本当にどうかしてると思う。


 歩き出そうとした、その時。


「ああ。ラーレ」

「ん?」


 くるりと、肩越しに振り返る。

 イキシアは、普段と変わらない顔をしていた。


 けれど、紡がれた、その一言は。


「誕生日、おめでとう」


 それは、ずっと、ずっと聞けていなかったもので。

 ……ずっと、言って欲しかった言葉で。


 思わず目を見開いて、口を開いて、また、閉じた。

 伸ばそうとした手を、引っ込めて、笑う。


「……うん、ありがとう、イキシア」


 ──だいすき。


 大きな声で伝えられなくて、ごめんね。

 だって、嫌われたくなかったの。

 こんなことなら、さっさと言っておけばよかったね。


 小さな小さな呟きは、当然彼の耳には届かない。

 

 歩き出す私の後ろで、イキシアも背中を向ける気配がした。



 ※ ※ ※



 森をかき分けて、歩く。

 さんざん歩きなれた道だけど、今は誰も歩いていない、獣道もない状態だ。

 ついこの間まで、何度も何度も歩いてたせいで、歩きやすかったはずなのに。

 手つかずの森は、ちょっとだけ歩くのに時間がかかってしまった。


 ほんの少し息を切らしながら歩き、ぼんやりと考えた。

 

 ──きっと、私はこの世界に、拒絶されているんだろう。


 ……だから、私に『好意』を抱いてしまったら、全てを忘れてしまうんだろう。


 カラン王子の件で、確かになった事実だ。

 じゃなきゃ死んでもないのに、彼が忘れた説明がつかない。


 柔らかい春の青空を見上げて、少しだけ目を閉じる。

 思い起こすのは、黒い髪を持つ最愛の人と、こんな私に気持ちを砕いてくれた、オレンジの瞳の彼。


 思い上がりだったかもしれない。

 けど、少なくとも、二人とも多少は私へ特別な感情を抱いてくれていたたはずだ。


 ──だから、その気持ちを『なかった』ことにされてしまった。


「……ついたぁ」


 はあ、と小さなため息が零れ落ちる。

 今まで絶対に近づかなかった崖の淵へ、迷いなく足を進めた。


 ああ、いい天気だなぁ。

 そういえば、昔、みんなとピクニックに行ったことがあったっけ。

 楽しかったなぁ。


 きっと、そんな日常はこれから先も手に入れられる。

 教会を離れれば、『彼ら』と生きることを望まなければ、何度も死を経験しなくても済むだろう。


 けれど、ダメなんだ。

 私はわがままで、無駄に人生経験が豊富なアラサーなもんだから、自分の心に嘘をついたらどうなるか知っている。


 ごまかして賢い生き方をして、全て忘れたふりをして新しい土地で生きて、暮らして。

 きっと、いつまでも後悔と未練が残って、苦しくてたまらなくなる。


 せっかくの二度目の人生を、そんな生き方で費やすのは、御免だ。


 くるりと後ろを振り向く。

 眼前に広がるのは、歩いてきた森と青い空だけ。


 もちろん、誰もいるわけがない。


「……もし、次があるなら……」


 異世界転生やループなんてものがあったんだ。

 次の人生だってあるかもしれない。


 夢を見る権利くらい、私にだってあるでしょう?


「あの言葉の続きが聞けるといいなぁ」


 ──一緒に暮らしたい子がいるんだ。その子が頷いてくれたら、教会を出るよ。


 ああ、やっぱり今日、ここにきてよかった。

 私の諦めの悪さと未練がましさは、本物だ。


 ──……その子の誕生日が来たら、言うつもりなんだ。

 ……待っててほしい。


「……ばいばい」


 とん、と。

 小さく小さく、足を蹴る。

 ふわりと感じた浮遊感と、すぐ後に襲い掛かってくる重力。


 抜けるような青空を最後に、私はゆっくり瞳を閉じた。



 ばしゃん。

 なんて可愛い音じゃなかっただろうけど。


 私が世界から消えた確かな音は、波の音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。


 もう、鐘の音は、聞こえない。

 

 

--END--


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