16
寒い、朝だった。
ベッドから出るのがつらいのは誰しも同じらしい。隣のベッドで眠るレリアの膨らんだ毛布から、美少女がだしちゃいけない類のうめき声が聞こえる。
私自身身震いしながら準備を整えて、いつものように鏡の前で口角をきゅっと上げた。
「……おはよ。ラーレ、いつもそれやるよね。おまじない?」
「おはよう、寝ぼすけレリア。やっと毛布から出てきたの?」
後ろから覗き込んでるのは知っていたから、特に驚きもしないで笑って返す。
毛布が私を離してくれなかったんですぅ~、なんて口を尖らせるレリアは本当に可愛い。
部屋に鏡が一つしかないから、レリアに譲って彼女の身支度を待つ。
レリアの青色の髪が、冬の朝日にキラキラと反射している。
「そう、おまじない。女の子は笑顔が一番可愛いからって」
「素敵! 私、ラーレの笑顔好きだもん。春のおひさまみたい」
「え、なにそれ照れる」
「照れちゃえ照れちゃえ」
くすくす、きゃあきゃあとした軽やかな会話。
彼女がここに来た当初は、こんな会話ができるようになるなんて思ってもみなかった。
やっと、時間が進んでいる気がして、ほんの少し、肩の力が抜けた気がした。
※ ※ ※
「おはよう、ラーレ」
「おはよう、イキシア!」
「ちょっと、私もいるんですけど~」
「諦めろ、イキシアはこんなんだ」
「あっ、ザンカおはよう!」
「おはよう、ザンカ」
「おう、はよ」
私に挨拶するイキシア。
無視されたことにむくれるレリア。
それをたしなめるザンカに、彼に挨拶する私たち。
「おや、みんな早いね。おはよう」
「おはようございます、神父さ……」
「ぶっは! フリージア神父、んだよその恰好!」
「いやあ、寒くて寒くて……。みんなは若いですねぇ」
少し遅れてやってきた神父様はセーターやマフラーをもっこもこに着てて、見事に着膨れていた。
それを見て指をさして大笑いしたザンカは、レリアに「指は刺さない!」なんて怒られていたけど、そんなレリアも私たちも、みんな等しく笑っていた。
そうこうしているうちに、子供たちも起きてきて。
あの子が起きない、布団をかぶったまま起きてきた、わたしのマフラー取ったの! なんて告げ口がわらわら集まってくる。
「うるさいよ、あんたたち! 早く席に着きな!」
本来ならもういないはずのシスターは、そんな賑やかな朝に怒って。
皆で悲鳴を上げて、席に着く。
平凡で、ありふれて、暖かい朝のやり取り。
ここに、金の髪をもつあの人もいたら、どれだけ楽しいだろう。
ありえないIFを夢想して、小さく笑った。
今日、上着を返しにいこう。
そして、話が出来たらいい。
「ちょっと早かったかな……」
いつもの崖の上。
本格的な冬が始まるから、日が暮れるのがもっと早くなると、イキシアから早めの帰宅をせっつかれてしまった。
優しくて過保護なイキシアに、思わず頬が緩む。
吐く息は真っ白で、見上げる空は灰色だ。
きっともうすぐ、雪が降る。
雪が積もったら、雪合戦をしたいな。
レリアはここにきて初めての冬だから、たくさん楽しいことをさせてあげたい。
なんせ、雪が融けるころには、彼女の『ストーリー』はさらに加速していく。
ルートによるが、この教会を離れることになる場合がほとんどだ。
そして、それは思いもよらぬ友人──カラン王子との別れが近い事も、意味していた。
──それは、寂しいなぁ。
甘っちょろいなんて百も承知だけど仕方ない。
だって、関わってしまったら、親しくなってしまったら。
そんなの、切り捨てられるワケないじゃないか。
幸せでいてほしい。
笑っててほしい。
その最たるがイキシアというだけで、そんなの皆そうであってほしいに決まってる。
ここは、優しい人たちばかりだから。
「……いや、シスターは例外だな」
ぱきり。
なんて独り言をつぶやいていたら、背後で小枝が折れる音が聞こえた。
聞きなれたそれは、あの人の足音だ。
「あっ、カラン王子──」
振り向いて、固まった。
そこにいたのは、確かにカラン王子その人だ。
金の髪に、オレンジの瞳を持つ、美しい人。
最近は、鋭利だったその眼光が柔らかな光を帯びていて、その瞳があまりにも綺麗で、彼と話しているのが心地よかった。
だと、いうのに。
「不敬だぞ、娘。お前に名を呼ぶ許可を出した覚えはない」
目の前に佇むその人は、まるでその腰に帯刀している剣のように鋭くて。
嫌な思い出が、頭の中を一瞬で支配する。
これは、まるで。まるで……。
「ああ、上着がないと思ったら──貧乏人が盗んでいたか。……痴れ者が」
まるで、あの時の、イキシアみたい、な──
何も動けずに、言えずにいた私は、目の前に白刃が迫るのを、ただ見ているしかできなくて。
随分と久しぶりに感じる痛みと熱さが、体を走る。
そして、冷たい地面の感覚。
ああ、また、斬られたのか。また、倒れたのか。
──また、死ぬのか。
ひらひらと雪が舞ってくる空をぼんやりと見上げながら、体の感覚がどんどん遠くなっていくのを、他人事みたいに感じていた。
何度か「死」というものを繰り返して、確証を得たことがある。
それは、「死の直前まで残る感覚は、聴覚だ」ということ。
久しぶりにやってくる、その真っ黒な気配は相も変わらず、問答無用で色んなものを奪っていく。
痛みも消えて、感覚も消えて、視界もぼやけて何も見えない、ろうそくの炎みたいな頼りない世界で。
「なんで、カラン! なんでこの子を殺した!?」
そんな、プラムの叫び声が聞こえる。
そして、相変わらずの鐘の音の鳴り響く中。
「お前、あの子が好きだったんじゃなかったのかよ……!!」
そんな、悲痛な声が聞こえた気がした。