4.現実は小説のように
マリアンヌは、大きな姿見の中に映る自分の姿をじっと眺めた。
男好きする顔。そして、豊かな胸。キュッと形よく引き締まった腰。
あの公爵令嬢、ミュリエルと比べて、自分が見劣りするとは思っていない。
確かに肌は手入れの違いか、彼女は、透き通るように美しい肌だが、自分だって触りたくなるような肌のはず。
少し受け口のぽってりした唇には、吸い付きたくなる魅力がある。
あんな人形のような人には負けないはずだ。
入学式の日、見たこともない高貴な輝きを見た。カリスト殿下。気さくに周りに笑いかける整った顔立ち。
女性慣れしていないのか、うっかりの振りをして、わざとぶつかった私の胸に赤面する初々しさも、好感度が上がった。
夜、ベッドの中で読んでいる人気の小説。
真実の愛を貫けば、身分も超えて幸せになれると言うストーリーは、もしかして、私と、殿下の事なのでは?
いや、これは小説。殿下には、儚げな美貌の公爵令嬢という婚約者がいる。
余分な夢は見ないと思って、殿下を見つめてひと月。
爆発的な人気となる小説が発売となった。
店に並ぶとすぐに売り切れてしまうその小説を手に入れ、読んだ私の頭には、ある計画が湧き上がった。
令嬢が私を虐めたら?傷つけたら?殿下は、彼女をどう思うの?
控えめで、完璧な淑女である令嬢と、殿下は、あまり上手く行っていないのか、学園で話をしている姿を見かけた事がない。もしかして、私にもチャンスが?
この小説を真似れば、令嬢は断罪されて、私は殿下と幸せに?私が未来の王妃になるの?
私はゆっくり考えをまとめた。協力者は必要だ。
そう、彼はどうかしら?私に色目を使ってくる、殿下の側近。
私は、少しずつ、彼らとの距離を縮めて行った。
そんなある日、公爵令嬢とすれ違った。
思った通り、殿下は、彼女に見向きもしない。私は勝ったんだわ。思わず笑みが浮かんでしまう。
では、婚約破棄に向けて、彼女の悪辣な証拠を作らなくては。
「馬鹿な真似は止めた方がいいぞ。」
私にそう言ったのは、クラスメイトの平民の男。
平民ごときが私に意見するなんて、何様のつもり?
濃紺の髪の男に目をくれず、私はその場を立ち去った。
名前は知らないけれど、平民の女達にはそこそこ人気のある男らしいが、私には関係ない。
殿下に愛される私に横恋慕しようとでも言うのかもしれない。無駄な事なのに。
創立記念パーティーに、殿下のパートナーに誘われた。
私は、安物のドレスを自ら切り裂き、その切れ端を握りしめて、殿下の前で泣き崩れた。
「カリスト様、すみません。私のドレスは切り刻まれて……。」
「誰がこんな酷い真似を。」
「分かりません。」
「誰か見かけた者はいなかったのか?」
「そういえば、寮に入っていないミュリエル様が寮の廊下を……。あ、いえ、そんな噂を聞いただけなのです。」
「ミュリエルだと?彼女がそんな真似を?」
「ただの噂です。」
「マリアンヌ、ドレスは私が贈ろう。直ぐに用意させるので、安心してくれ。」
「カリスト様。」
そして、私は美しく着飾ってパーティーへ。ミュリエル様は、パートナー無しで寂しく参加されていた。
そして、次は、ミュリエル様の行動を側近の彼に調べてもらい、彼女がいつも昼を過ごす中庭の目立たない場所へ行き、立ち去るのを見送って、バケツの水を被って悲鳴をあげた。
これには、低位貴族の令嬢達が好都合に集まってくれて、私は無理に笑顔を浮かべながら、
「なんでもないの。私が悪いのだから。」
と告げたら、彼女達は、勝手に話を作ってくれた。
「私、ここに来る前に、ファインバッハ様とすれ違ったわ。」
「え?もしかしてファインバッハ様が?」
「ドルチェ様が殿下と親しくされているので、嫉妬を?」
「まぁ、まるで小説のような……。」
彼女達は、小説の現場を見てしまったと、興奮して、友達に今日の事を広めるだろう。
そして、殿下の卒業パーティーの1週間前、私は階段落ちの芝居を成功させた。
これで完璧。
そう思ったのに……。
どうしてこうなってしまったんだろう?
父様には、愚か者と罵られ、叩かれ、こんな国の最北端にある寒い修道院に送られ、朝から晩まで働き詰めに働かされるなんて。
着るものはゴワゴワした木綿の服。ベッドは古くて、布団はカチカチ。
水仕事で、手は赤切れだらけ。
あの時、彼の言葉に従っておけば良かった。
もう一度、注意してくれていたら、私の人生は違っていたかもしれないのに。
彼の名前は、なんて言ったかしらね。ああ、それすら覚えていないわ。濃紺の髪の彼には、こうなる私が見えていたのかしら。