3.男爵令嬢マリアンヌ
男爵令嬢マリアンヌ・ドルチェ、その人が噂の相手だった。
私が初めて彼女とカリストを見かけた時、彼らは腕を絡めて歩いていて、彼女はその豊かな胸を彼の腕に押し付けていた。
(顔は、可愛いらしい方で、少し下がった目尻にあるホクロが、私から見ても色っぽいですわね。
それに思いっきり締め上げた腰のクビレと、豊かな胸が凄いですわ。
思わず自分の胸を見てしまいました。かなり寂しいですわね。)
ひとつ気になったのは、その時に彼女が私に対して向けてきた眼差し。私に対して見下したような態度。
私は思わず頬が緩んでしまいそうになり、慌てて顔を引き締めた。これは、予想外。
この日は、私の希望に光が見えた記念すべき日になった。
その夜、私は、お父様の部屋に伺った。
「お父様、少しよろしいですか?」
「良いよ。何の話かな?」
「お願いがあります。」
「言ってみなさい。」
私はお父様と向かい合って座り、侍女が入れてくれたお茶を一口飲んで、ゆっくりカップを置いた。
「記録球の用意と、影の使用をお許し下さい。」
「何があった?」
「カリスト殿下がある女性と親しくされています。」
「ほお。側近はどうしているのだ?」
私は、昼間の様子を思い浮かべた。側近の彼らは、カリストと共に彼女の機嫌をとるように笑いかけていた。
「殿下と共に、その方と親しくなさっています。」
「そうか。」
「はい。」
「それで?殿下がお前の事を蔑ろになされたのか?」
「いえ、まだ。お父様、私、学園に入ってから、殿下とお話しした事が、実は一度も無いのです。」
「それは……。」
あら、お父様を驚かせてしまいましたわね。
「話を続けますわね。お相手はマリアンヌ・ドルチェ令嬢という方です。」
「ドルチェと言うと、男爵家か。彼はなかなかの野心家だな。」
「お嬢様もお父上と似ておられるのですね。私からはなかなかの野心家だと拝見しました。」
「それで、影か?」
「そうです。ねぇ、お父様。最近、低位貴族令嬢や、平民の女性にとても人気の小説があるのをご存知ですか?」
「いや、知らないな。」
「身分の高い令嬢が、自分の婚約者に近づく、身分の低い女性を迫害し、その罪を暴かれて、婚約者から婚約を破棄されて、国を去り、身分の低かった女性は、想い人と幸せになるという物語です。」
「それは、また……ありえないな。それは犯罪だろう?」
「彼女達にはそれが間違った事だとは、分かっていませんわ。ただ、ありえない夢を見ているだけです。」
この国において婚約とは、決して簡単に揺らぐものでは無い。特に王家の婚約はそうだ。婚約を解消する方法は、2つ。婚約者が死亡したか、又は婚約者が婚約者本人よりも高位の人間を害した場合。
そして、王家の人間が婚約を解消されるのは、本人が死亡した場合、または、
王家の人間としてあってはならない醜態を貴族の前で晒した場合だ。
「それで、お前は、その男爵令嬢がありえない夢を見ているのではと思っているのだな?」
「その通りですわ。本来私が彼女を害したとしても、婚約解消にはなりません。」
「そうだな。」
「でも、彼女は、私を悪逆非道と訴えるかもしれませんわね。」
「ふむ。」
「私、この婚約に、そこまでの我慢を強いられる覚えはございませんの。」
「お前は、殿下がそこまで愚かな真似をすると、思っているのだな?」
「これまでの年数がそう教えてくれていますわ。常に、楽に、自分の都合の良いように流される方ですもの。」
お父様の逡巡はわかる。でも、私は貶され、罵倒されてまでもこの婚約にしがみつく女だと思われたくない。
カップの紅茶が冷めてしまい、お父様の返事を諦めようと立ち上がりかけた時に、お父様が俯けていた顔をあげた。
「良いだろう。記録球と影の使用を認めよう。」
「ありがとうございます。」
「期限は、殿下の卒業パーティーまでの1年半。それで良いな?」
「十分です。」
「陛下にもその旨、報告する。」
「分かりました。」
もしかしたら、王妃殿下からカリストに注意が入り、思い直すかもしれないと言う考えがチラリと頭を掠めたが、私はそれを受け入れた。
さて、私は、これからの1年半、隙を見せつつ、油断なく過ごさなくてはならない。
より一層、完璧な淑女として。