聞いた事ある言葉(いろんな意味で)
ようやく近代へ向けて歩き出す。
馬券の発売が禁止されたことにより公認競馬の各施行体は収入源を断たれ、競馬を開催することがきわめて困難な状況に追い込まれました。
しかしながら当時の政府は前述したように軍馬の品種改良に取り組んでいたので生産の奨励、品種改良の成果確認のために競馬の開催を必要として焦ります。そのため、政府は馬券発売を伴わない競馬開催を推進していくことにします。
収入源になると目論んでいた件が頓挫するわけですから、政府だけではなく当時の競馬に携わっていた方々の心中は穏やかではなかったでしょうね。2年しかできなかったわけですから。
政府は旧来の施行体をすべて解散させました。
そして新たに全国11の競馬倶楽部を競馬施行体・団体とし、補助金を支出。このような補助金をもとにして行われた競馬を補助金競馬といいます。
なおこの補助金競馬の開始に伴い1908年(明治41年)11月、内閣令として競馬規程が発布されました。
前記のように馬券は禁止され、政府は馬券発売を伴わない競馬を推奨したんですが、馬券を売らない競馬は開催しても不人気で観客席は閑古鳥が鳴きます。そりゃそうですよね、当たれば大金が転がりこむ様なチャンスがあったのに、突然「それはダメ!! 絶対!!」という神の声により封鎖状態になったわけですから。
当時はまだ上流階級者の為の遊戯であり、社交場なので一般の方々にはそれほど被害はなかったとは思いますが、今の近代でそんなことしたら暴動が起きそうで怖い……
馬券販売無しはあまりの不人気に、実際には入場者に対して勝ち馬を予想し、的中者に景品を付与するという形で賭けが行われるようになります。
これを景品競馬というそうです。
この景品競馬についてちょっと記憶になかったので調べたのですが、景品内容の詳細などが見当たりませんでした。この当時(明治期~)ですから、お米とかの穀物類や織物・反物などだとは思いますが詳細を知ってる方がおられたら教えていただけると嬉しいです。
このとき発売したのは馬券ではなく勝馬投票券という名称・呼称になりました。
そうこの勝馬投票券という名称は現代でも馬券の正式名称として使われている言葉です!! ようやく聞きなれた言葉が出て来た!! と喜んだ方々もおられると思います。
実はこの勝馬投票券という言葉は歴史がある言葉なのです。
こうして現金ではなく景品での払い戻し、なおかつ販売枚数や払い戻しの上限を設ければギリギリグレーゾーンで賭博罪を免れながら、賭ける事、景品が出る事で楽しみを求められるだろうという苦肉の策が発動したのでした。
景品競馬は1913年(大正2年)に宮崎競馬倶楽部が宮崎競馬場において実施し、翌年には目黒競馬場などでも取り入れられ、以降全国各地の競馬場で行われるようになります。
この景品競馬は少し後に書いて行きますが、競馬法が完全に成立し馬券発売が再開された後には公認競馬では行われなくなりました。しかし畜産組合が主催する競馬および地方競馬では引き続き行われたようです。
参考資料
図書
日本競馬史 著者 日本中央競馬会総務部調査課 編
文明開化に馬券は舞う―日本競馬の誕生 (競馬の社会史) 著者 立川 健治
インターネット
Wikipedia 競馬の歴史(日本)
日本競馬会ホームページ