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誰かの為になれ!! 日本競馬の歴史とお馬さん達  作者: 藤谷 K介(武 頼庵)
第1部 第1章 日本競馬誕生へ!!
3/31

まずは公認しようね

ここからどういった流れで近代競馬になって行くのかを……書きたいなぁ

肉体改造!?

 

 1900年代初期に起きた二つの戦争。日清戦争・日露戦争において日本が活用した軍馬が体格的にも能力的にも西欧諸国のそれに大きく劣ることを痛感した政府が、内閣直属の馬政局という役を設置して改良に着手しはじめました。


 馬政局は優れた種馬を選抜育成して質の高い馬を多数生産するとともに、馬の育成・馴致・飼養技術を高めることに成功していきます。さらに国内における官民の馬産事業を振興するためには競馬を行って優勝劣敗の原則を馬産に導入すると共に馬券を発売して産馬界に市場の資金を流入させる必要があるとして、馬券の発売を前提とした競馬の開催を内閣に提言します。


 当時賭博行為は違法でしたが競馬は軍馬育成(まだこの時は競馬だけに走らせる目的ではない)の国策に適うとして、馬券の発売を黙許するとの方針を1905年(明治38年)に通達しこれにより馬券発売を伴う競馬の開催が可能となりました。


 当時の内閣総理がどなたかは存じませんが、富国強兵の為に布石を打つべく軍馬の育成に着手したことが、現代競馬産業に活かされているかと思うと、一競馬ファンとしてはなかなかに複雑な心境になります。


 そうして馬券発売が黙許されたことを受けて根岸の日本レース・クラブをモデルとした模範的な競馬会の設立が計画され1906年(明治39年)に国会議員の一人を中心とする東京競馬会が池上競馬場を新設して日本人の手による初めての馬券発売を伴う競馬が行われた。


 この時先行して開催していた日本レース・クラブの横浜競馬場は外国人の経営で、正式に日本人の手による運営ではありません。


 当時考えうる超一流のスタッフを集め、とくに馬券の発売や払戻し、配当の計算、発馬、審判などの重要な業務には横浜から熟練の外国人スタッフを招聘して行われた第1回の開催は予想をはるかに上回る売上(4日間で96万円)を記録し大成功におわった。


 現在の価値計算だと明治時代の1円が約2万円前後だったと記憶しているので、約192億円となり、かなりの金額だという事は分かりますね。


参考資料


図書

日本競馬史   著者 日本中央競馬会総務部調査課 編



インターネット

Wikipedia 競馬の歴史(日本)


日本円の価値

国立国会図書館オンライン


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