幕間 名馬さん!! (4)
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トキノミノル 1948/05/02生 1951/06/20没 牡馬 鹿毛
父馬 : セフト 母馬 : 第二タイランツクヰーン (母父 : Soldennis)
系統 : ヘロド系
生産者 : 本桐牧場
馬主 : 永田雅一
所属(現役当時) : 田中和一郎(東京)
通算成績 : 10戦 10勝 10-0-0-0
脚質 : [逃][先]
G1 : グレードという概念のない時代なので該当なし
重賞 : 4勝
表彰歴 : 84.年度代表馬/最優秀3歳牡馬 85.年度代表馬/最優秀4歳以上牡馬
顕彰馬選出
獲得重賞
朝日盃三歳ステークス
皐月賞
東京優駿
札幌ステークス
武頼庵’タイム
10戦10勝・うちレコード優勝7回という成績でクラシック二冠を制した同馬ですが、東京優駿(日本ダービー)の競走17日後に破傷風で急死してしまいます。三冠は間違いないと世間からも競馬界からも注目されていた中での訃報でした。それゆえに「幻の馬」と称された。
戦後中央競馬で10走以上した馬で、唯一全勝を記録している(戦前にクリフジが11戦11勝)主戦騎手は岩下密政氏。
1984年、顕彰馬に選出されました。
尚、このトキノミノルは現在の競馬、競走馬ではなくなりましたが、一度改名しております。デビュー当初は「パーフエクト(パーフェクト)」の名称で出走していた。
元々トキノミノルは脚部不安があり、レースに出ても無事に戻って来てくれるだけでいいと関係者が漏らしていたという話を聞いた事があります。
レースは脚部不安のせいもあり、調教できずに一発勝負なんて話もあるくらいなので、当時の関係者内では相当気を使いながら育成等を手掛けていたのではないでしょうか。
戦法は逃げないし先行を得意とし、脚部不安がありつつもそのスピードはかなりのモノだったようです。
競馬関係者、評論家の方の中にはトキノミノルを「『ダービー中興の祖』であり『第一次競馬ブームの主人公』」と語る方もいらっしゃいます。現在、トキノミノルの残した功績は毎年2月の明け満3歳による重賞競走「共同通信杯」にて、その名を冠し「トキノミノル記念」の副称が付けられて時折ファンにその存在を知らせてくれています。
参考資料
図書
日本競馬史 著者 日本中央競馬会総務部調査課 編
『大川慶次郎 殿堂馬を語る』ゼスト社 著者 大川慶次郎
『大川慶次郎回想録 まっすぐ競馬道 杉綾の人生』 著者 大川慶次郎
雑誌
週間競馬ブック
週間競馬エイト
勝馬
優駿
インターネット
Wikipedia 競馬の歴史(日本)
グリーンチャンネル
JRA-VAN




