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誰かの為になれ!! 日本競馬の歴史とお馬さん達  作者: 藤谷 K介(武 頼庵)
第1部 第3章 進化する日本競馬
20/31

あの方の仔がデビュー

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 1994年、ついにサンデーサイレンスの初年度産駒デビューを迎えました。


 サンデーサイレンスは、1988年10月に競走馬としてデビュー。翌1989年にアメリカ三冠のうち二冠(ケンタッキーダービー、プリークネスステークス)、さらにブリーダーズカップ・クラシックを勝つなどG1を6勝する活躍を見せ、エクリプス賞年度代表馬に選ばれた非常に優秀な牡馬です。

 1990年に右前脚の靭帯を痛めて競走馬を引退。引退後は日本の社台スタリオンステーションで種牡馬入りし、初年度産駒がデビューした翌年の1995年から13年連続で日本のリーディングサイアーを獲得。さらに中央競馬における種牡馬にまつわる記録を次々と更新した。サンデーサイレンスを起点とするサイアーラインは日本競馬界における一大勢力となり、サンデーサイレンス系とも呼ばれる。そのイニシャルから、SSと呼ばれ親しまれています。


 2002年8月19日に左前脚の蹄葉炎を原因とする衰弱性心不全のため、16歳で死亡。このニュースには競馬界だけではなくファンや牧場関係者の間にも少なくない影響を与えました。

幼少期は見栄えのしない容貌 (サンデーの両足は内側でくっついてしまう程に湾曲していたそうです)と地味 (ヘイロ―系)な血統ゆえに買い手がつかず、生命にかかわる事態に見舞われながら、競走馬、さらに種牡馬としても成功。幼少期の事を考えるとその生涯は雑草魂とでも表現できるような濃い一生だったといえるのではないでしょうか。

 

 因みにこのサンデーサイレンスはセリにかけられ、一時は落札されますが、金額の安さに生まれた牧場のオーナーが怒り増額した金額で買い戻したという逸話もあります。



 1995年、大井競馬の帝王賞、東京大賞典などがJRAおよび他の地方競馬所属馬も出走可能となった。岩手競馬のマイルCS南部杯は新設され交流競走に。1996年には川崎競馬の川崎記念、船橋競馬のかしわ記念が追加。このことにより中央地方指定交流競走と呼称されますが、中央・地方という垣根それまでよりも一段低くなった感じがしました。


 1996年3月に競馬学校の12期生であった細江純子氏、牧原(増沢)由貴子氏、田村真来氏の3名の女性騎手がデビューを果たしました。この三人がJRA初の女性騎手がデビューとなります。そして同年3月17日には牧原由貴子騎手が初勝利をあげている。


 同年の1996年3月27日、ドバイ首長国のアミール(首長)シェイク・モハメド殿下が創設。以後、世界最高賞金レースとしての地位を確立していくことになります。第1回の優勝馬は1995、1996年のアメリカ年度代表馬シガーで、日本から遠征のライブリマウントは6着でした。

 1998年にドバイターフクラシック(現シーマクラシック)が、2000年にはドバイデューティフリー(現ターフ)が創設し現在でも規模を拡大して施行されています。


 更に同年、1996年5月12日に第1回 NHKマイルカップが新設・施行されました。それまでのNHK杯は芝2000mのG2ダービートライアルでした。この短距離変更によって3歳春の短距離馬の目標となる競走になりました。

 まだ外国産馬にクラシックへの出走権利がなく、第1回は出走18頭中14頭が外国産馬となり、外国産馬のダービーと呼ばれたり残念ダービーなんて言う方もいらっしゃいました。


 続く5月19日、高松宮杯がスプリントG1に生まれ変わり施行されました。高松宮杯は中京芝2000mの条件で、唯一の夏のG2として開催されていたのですが、短距離競走の体系整備のため距離を短縮し、時期も春に移動となったのです。

 中央場所(東京、中山、京都、阪神)以外では初の常設G1競走となり、競輪の高松宮杯において、宮家への謝礼金が問題となり優勝杯の下賜がなくなったという事例が発生、1998年に高松宮記念に改称され現在に至ります。


 同年10月20日、第1回 秋華賞が新設・施行されます。3歳牝馬の三冠最終戦としてはエリザベス女王杯が京都芝2400mで施行されていましたが、エリザベス女王杯が古馬に開放されたことにより三歳牝馬三冠最後の競走として新設されました。条件は京都芝2000m。


 上記に記載した通り、1996年11月10日よりエリザベス女王杯を古馬開放しました。古馬牝馬限定のG1は初。条件は京都芝2200mに変更がなされました。



 1996年の年間売上は約4兆円となりJRA年間売上ピークを迎えます。有馬記念の1レースだけで約875億円を売り上げた。この成功の裏では数え切れないほどの努力の跡が垣間見られると思います。

 競走路線の拡充によるアイドルホースの誕生、それに伴いそれまで競馬に興味のなかった層を取り込むことに成功し、グッズなどの売り上げが伸びました。それがこの売上ピークになったのではないかと愚考しています。


 2011年には約2兆3000憶円にまで落ち込みますがそれはまた別のお話にて。


参考資料


図書

日本競馬史   著者 日本中央競馬会総務部調査課 編


雑誌

週間競馬ブック

週間競馬エイト

勝馬


インターネット


Wikipedia 競馬の歴史(日本)



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― 新着の感想 ―
[良い点] 秋華賞の創設。 ついこの間のような気もするのですが、もう四半世紀も経つのですね。 [気になる点] 私レベルの競馬知識だと、外厩の制度化はシンボリルドルフを巡るゴシップとかが多いに影響したイ…
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