ついに格付け!!
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あ、誤字報告はそのまま機能で大丈夫ですw
1979年に日本競馬界を変えたと言われる種牡馬ノーザンテーストの初年度産駒がデビューしました。
このノーザンテーストは世界を席巻していたノーザンダンサーの血を日本競馬界が求め、社台グループ総帥吉田善哉氏が1972年にニューヨーク州サラトガの1歳馬のセリで購入しました。
ノーザンテーストの競走成績は英仏20戦5勝。仏G1フォレ賞勝ちの実績をもっています。
種牡馬になってから通算10回のリーディングサイアー、17年連続のリーディングブルードメアサイアー(母父)を獲得。
主な産駒にダイナガリバー(ダービー、有馬記念)、アンバーシャダイ(有馬記念、天皇賞春)、ダイナカール(オークス)など。
母父としてはダイワスカーレット(有馬記念、桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯)、エアグルーヴ(天皇賞秋、オークス)、サクラバクシンオー(スプリンターズS2回)、ダイワメジャー(皐月賞、天皇賞秋、安田記念、マイルCS2回)、デュランダル(マイルCS2回、スプリンターズS)などなど……。
いやまぁ大種牡馬ですよ。
私が小さかった頃の話になりますが (この当時まだ2~3歳かな?)、テレビ前にて父親が咆哮しているのをぼんやりとしながら時には泣きながら見ていたと、後年になって母親が笑顔交じりに語ってくれたのはいい思い出です。
1980年1月より騎手への制裁点数制が導入され、累積等により騎乗停止などの処分が下される一つの指標が出来ました。この制度が導入されたことにより、騎乗技術の向上とレースにおける安全性の向上が図られたのですね。
天皇賞において、1981年に勝ち抜き制の廃止が決定・施行されました。それまで天皇賞は、優勝したことのある馬の再度の出走を認めないという勝ち抜き制を採用していました。
これは天皇賞の勝ち馬が負けることになれば、優勝馬の威厳を下げてしまうことになりかねず、早く種牡馬となり競走馬の改良に貢献させたいという思惑があり、勝ち抜き(勝ったらもう出られない)という方式にして施行が行われていたのです。
実際に天皇賞の優勝後は古馬になった後の目標レースもなくて、勝つほどに重い斤量 (ハンデ)を負担するシステムだったため引退する馬が多かったようです。
翌年ついに日本国内にレースの国際化の波が歩いてきました。1981年11月22日、国際招待競走として第1回 ジャパンカップ (JC)が新設・施行されます。
JRAの厩舎関係者表彰において最優秀騎手賞と最優秀調教師賞の資格を得るための「1着をとらねばならない競走」のひとつに指定されており、いわゆる「八大競走」と同格の扱いを受けました。
第1回の日本馬は1頭も掲示板に乗れず。勝ったメアジードーツはアメリカの5歳牝馬で芝の重賞を4勝していたがG1タイトルは獲得していませんでした。通算33戦12勝でジャパンC勝利を手土産に引退した。
因みに日本馬の初勝利は1984年のカツラギエースです。
1982年3月23日に競馬学校、開校しました。これにより様々な技術・技能が学べるようになりました。
今では珍しくないウイナーズ・サークルでの記念撮影ですが、1983年に札幌競馬場で初めて設置されたウイナーズ・サークルから歴史が始まりました。
そして待ちに待った1984年、ついに日本競馬にグレード制が導入されることになります。
グレード制とは重賞競走に格付け(G1、G2、G3)がされることで、それまでは八大競走が別格に扱われていましたが、それらに加えジャパンC、宝塚記念、安田記念、マイルCS、エリザベス女王杯、朝日杯3歳S、阪神3歳Sの計15競走にG1が認定された。
この格付けされた重賞競走は今なお増えたり減ったり、名称が変更されたりレース条件の変更 (距離やハンデ戦など)されています。ここ最近の出来事だと、大阪杯やホープフルSの昇格などかな?
参考資料
図書
日本競馬史 著者 日本中央競馬会総務部調査課 編
雑誌
週間競馬ブック
週間競馬エイト
インターネット
Wikipedia 競馬の歴史(日本)




