日本競馬の生い立ち
まず初めに。
初めましての方も、お!!頼庵じゃん!! という方もお寄りいただき感謝です。
この作品は前半において日本における競馬とはなんぞや!? という点と私自身が得てきた知識をずらずらと書きなぐる所謂私情説みたいな物だと思って読んで頂ければなぁと思っております。
知識と記憶により食い違いや、私の私情によるお馬さんへの愛情が濃すぎる為に過剰な書き方、ないし表現をしてしまう場合がありますが、どうか温かい眼でご覧いただけたら幸いです(笑)
尚、間違った事や間違ったデータなどを発見していただけた方は、感想欄ではなくメッセージ機能によりご一報くださいますようお願いいたします。
日本競馬の成り立ちと概要
日本における競馬(近代競馬、洋式競馬のことで北海道地方における輓馬競争は含みません)の成立と発展の歴史について。
日本の競馬は現在、日本中央競馬会が施行する中央競馬と地方公共団体が施行する地方競馬に分かれています。
これら二つの競馬は元々の起こりが異なっており、中央競馬は馬券黙許時代に政府が公認した競馬会によって主催され行われた馬券発売を伴う競馬を、地方競馬は競馬規程に基づき地方長官の許可の下に行われた馬券発売を伴わない競馬をそれぞれ起源としています。
なお、競技方式は中央競馬・地方競馬ともにかつて外国人居留地において居留外国人が行った西洋式のもの(円形の馬場と複数の競走馬を用いる。近代競馬、または洋式競馬という)が基になっている事はいろいろな資料などによって明記され、知識としては知っているという方も多いのではないでしょうか?
ではそもそも日本における競馬の発祥とはなんぞや?
そんな疑問が出て来ると思います。
日本競馬の発祥とは?
これについてはちょっと意見があると思うのですが、私個人の見識から簡単に説明しますと外国人居留者がやっていた競馬様式を日本人が真似をしたのが発祥……ではなかったかなぁと記憶しています。
色々説はあるのですが、その中でも有力説なのが江戸時代末期、アメリカ合衆国のペリーさんやら外交官の方々が日本に来て、通商条約等の締結により神奈川県の横浜近郊に外国人居留地が設けられました。そこでその地にて外国人主催により行われた競馬(居留地競馬と呼ばれています)が日本最古の外国洋式競馬とされています。
現在資料(書籍・インターネット等による)によって確認可能な最古の居留地競馬は、1860年(万延元年)に行われた競馬。
翌1861年(文久元年)には居留地内の海岸を埋め立てて造成した土地に洋式馬場が建設され、居留外国人が洋式競馬を行ったとあります。
さらに翌年1862年(文久2年)には仮設ではあるが日本初の洋式競馬場である横浜新田競馬場が作られ、競馬施行体横浜レース・クラブの前身となるヨコハマ・レース・コミッティが居留外国人によって組織されるに至り、1866年(慶応2年)に江戸幕府が常設の競馬場としては初の横浜競馬場(根岸競馬場)を建設して以降は同競馬場において盛んに洋式競馬が行われるようになります。
しかしこの競馬は治外法権に基づいて、幕府や明治政府による賭博の禁止の影響を受けることなく馬券が発売されました。
その頃の日本国で庶民一般人が高官の多くいる海外居住区に出入りできたかどうかわからないですし、仮に入れたとしてもなおその際に一般人が馬券を買えたかどうかは定かではありません。
私の個人的な意見としては多分買えなかったんじゃないかとは思います。なにしろ一般庶民の方々が競馬に出資できるような経済状態ではなかったと思うからです。
ちなみに神戸居留地の近くにも競馬場が作られたようですが、こちらは建設から数年で廃止となっています。
廃止理由は定かではありません。
参考資料
図書
日本競馬史 著者 日本中央競馬会総務部調査課 編
インターネット
Wikipedia 競馬の歴史(日本)