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中身はなんでしょう

「ルーク! ごめん!!!」


家に入るなりぱん!と両手を勢いよく合わせ頭を下げた私に向かって、ルークは冷ややかな流し目をよこした。

玄関開けてすぐの狭いダイニングに置かれた庶民的なテーブルセットなのに、ルークが座るだけで優雅なお茶会みたいに見えるのが不思議だ。

彼は優雅な手つきで紅茶カップをソーサーに戻すと、


「………約束、してたよね、2週間前に」


圧。

はい……と首を竦める。

言い訳にすぎないけど、昨日まで、いや、今朝までは覚えていた。


「うう……本当にごめん」

「うん。勝手にお茶淹れてたけどいいよね?」


そりゃもうどうぞご自由に………。

ルークにとっては勝手知ったる台所なのだから、いいよもくそもない。


―――どうして私ってこうなんだろう。

衣食住が適当でも(ルーク以外の)人には迷惑をかけないけど、予定をすっぽかしてしまうのはよくない。誰かとの予定を忘れるたびに次からは気をつけようと固く決意する―――のに、未だに年に数度やらかしてしまう。

約束があると分かっていても、目の前にやりたいことがあると頭からすっかり抜けて、私の中からその約束がなくなってしまうのだ。子供の頃も隠れて本を読み出すと集合の時間になっても止められなくて、何度注意され、何度叱られてきたか分からない。


ルークは肩を落とす私を見て長い長い溜息をついたあと、もう一客のカップにお茶を注ぎ、目で座ったら?と椅子を示した。

おずおずとルークの向かいに座ると、彼はテーブル越しに腕を伸ばして、走って帰るうちに残念なことになった私の髪を耳にかけた。

その拍子に、ぱちりと目の前にいるルークと目が合う。


…………あれ?


真正面から見た彼の目の下には、珍しくクマができていた。

いつもは冬の晴れ間のように澄んでいる瞳もどんより曇ったような色をしている。

もしかして―――


「………………怒ってる?」


耳のあたりにルークの指先の気配を感じながら、上目遣いで尋ねる。

どの口が言ってんだって自分でも思うけど、ルークが怒ってたらイヤだ。せっかく一緒にいるのなら楽しい方がいい。

多分、私の顔がよほど情けなかったんだろう。

険しかった表情がゆるゆるとほどけていき、中腰からすとんと椅子に座った彼はふっと小さく息を吐いた。


「……怒ってないよ」

「ほんとに?」

「本当に」


念押しするような言葉を口にしたルークの指先が、するりと私の輪郭をなぞり、離れていく。


「今さらメイ相手にこんなことで怒らないよ。………昨日遅かったから、ちょっと寝不足で疲れてるだけ」

「そうなの?」


なるほど。パーティ慣れしている貴族と言えど、やっぱり次の日はぐったりするんだ。

それに、ルークは昨晩それだけじゃなくて―――。


「ねえ、ルイー……」


ザ様とはあのあとも一緒だったの? 


―――なーんて。あの場にいなかったはずの私が聞いたら変だよね。

慌てて口を噤む。

ぎ、ぎりぎりセーフ……。

ルークがぴくりと眉根を寄せたような気もするけど、無視して淹れてくれたお茶をごくごくと飲む。

紅茶はすっかり冷えてしまっていて、からからの喉にはちょうどいい温度になっていた。

一杯飲みきるついでに、ルイーザという人を思い出すと湧き出る胸のもやもやも飲み下す。


なんだろう? この妙に落ち着かない感じ。

昨日からずっと味のしないガムを延々噛み続けているような、変な気分が続いている。

ルークの貴族としての一面を見たから? 兄弟の恋愛を目撃したみたいで気まずいから? 

………兄弟じゃないけど。


二人の関係ははっきりとは分からないものの、今日のルークの様子を見れば………まあ、だいたい想像もつく。夜、しかも舞踏会の夜に男女が何をするかくらい、私だって知っている。

そりゃあ寝不足にもなるだろう。

その次の日なのにちゃんと約束を守って来てくれるんだから、本当に律儀な人というかなんというか。


うーん………やっぱりなんかもやもやする……。胸を押さえながら内心首を傾げる。

私も寝不足なのかな。

よし、話題を変えよう。


「で、見せたいって言ってたサンプルは?」


空っぽのカップに2杯目を注いでから、今日の本題について尋ねることにした。

もうちょっと反省したほうがよかったかもしれないけど………ま、いっか。


ルークは私の変わり身の早さに苦笑いを浮かべながら、足下に置いていた革製の仕事用鞄から書類入れほどの大きさの封筒をいくつか取り出した。それを順々にテーブルに並べていく。土壌サンプルと言っていたから、十中八九中身は土だろう。封筒の下の方がずしっと膨らんでいる。


「…7、8…これで全部かな。先月ロスアに行って来た時に、領内のいろんな所から採取してきたんだ。これで量は足りる?」

「うん、十分十分」


ロスア地方は代々ハーディング家が治めている土地で、中央に大平原を持つ国内でも有数の穀倉地帯だ。普段は王都で暮らすルークだけど、数ヶ月に一度、馬車で3日程かけてロスア領に赴き執務を行っている。

何度か一緒に行かないかとルークに誘われたけど、その時すでに所長の元に通っていた私は全部断っていた。興味がなかったわけじゃなく………当時は、人一倍努力しないと平民の自分には先がないと思い込んでいた。

もったいなかったと、今なら思う。


もしかしたら、そんな私の思いを所長は分かってくれていたのかもしれない。

一度だけ、フィールドワークだといって所長にロスア地方まで連れて行ってもらったことがあった。

印象的だったのは……―――見渡す限りの金色の海。

金色に実った麦穂で覆われた大地。

風が吹くと波のように穂が揺れるその景色は、とても壮大で……目を奪われるほど綺麗だった。


彼が領地経営の書物をせっせと読み漁るのを長年不思議に思っていたけど、あの金色の海を見てようやく納得することができた。

ああ、彼はこの土地が好きなんだ。

お金のことや政治のこと、色々勉強しているのはここを守るためなんだ、って。


ロスアの小麦は全土に流通している。だから、この国はハーディング家に胃袋を掴まれているなんて嫌味を言う人もいる。

でも、きっとルークは豊かな土地がもたらす莫大な富ではなく、あの美しい景色とそこに暮らす人々の営みを愛しているのだと思う。



彼が持って来たのは、その大事な領地の土。

私にできることがあれば、絶対に力になりたい。

意気込んで封筒の底を覗くと、そこには小石混じりの土が入っていた。

―――この粒子の感じは………川の近くの土?

8つある封筒の中身はそれぞれ微妙に粒子の構成や色が異なる土で、それをルークがひとつひとつ指差していく。


「これがタタン川の上流に近い所、中流域、その近くの農地と内陸部の牧草地………」


タタン川は山岳地帯からロスア領に向けて流れる大きな川だ。

ふむふむと聞くうちに、だんだんと目がテーブルの上に置かれた封筒達に釘付けになる。

見た目、匂いともになんの変哲もない土だ。それなのに、何か引っ掛かる。心臓の動きがどきどきと早まってくる。緊張? いや―――これは。


「メイ?」


はっと顔を上げると、ルークがじっとこちらを見つめていた。

いくらか明るさを取り戻したアイスブルーの瞳に自分が映っているのが見えて、なぜかどきりと胸が鳴る。

いけない。また周りが見えなくなっていたらしい。


「この土、メイから見てどこかおかしいところがある?」

「ううん、別に見た感じは普通……」


……なんだけど、土というのは中に何を含んでいるか、抽出してみないと分からない。


「ねえ、どうしてルークは領地の土の分析をしようと思ったの? 川の近くの土ってことは流域の造成? 畑の土もあるから農地改良とか?」

「いや………鼠が増えたんだ」

「鼠?」


聞き返すと、ルークは真剣な顔で頷いた。


「最近、保存していた麦を鼠にやられる被害が相次いでいるんだ。ネズミ捕りを仕掛けたりして対策してるから被害はそこまで大きくないんだけど………。原因を調べたら、どうも猫の数が減ってるらしくて」

「猫?」


鼠に、猫?


「―――それとこの土が関係してるの?」

「それは………」


しかし、何かを言いかけたルークはそのまま言葉を飲み込んでしまった。俯いた視線が逡巡するように動く。


「……まだいろいろ調査してるところなんだ。メイの分析結果が出れば、もしかしたら……」


そうなんだ…と呟く自分の声が妙に遠く聞こえた。

ルークの話は興味深い。自分の分析結果が役立てられるなら、そんなに嬉しいことはないーーーのだけど。

なぜか、さっきから頭がぼーっとして、視界が揺れる。

なんか変だ。

ルークの話に集中したいのに、なんでか胸を叩く鼓動が大きくなってそっちに気を取られてしまう。

こころなしか体の中も熱くなってきたような気もしてきた。

気づけば呼吸もはっはっと短く、荒くなっている。

ポットに残っていた紅茶を注いでもう一杯飲み干してから、胸に手を当ててふうと一息つく。

これでも私は科学者の端くれ、しっかりしろ。


「えーと……じゃあ、まずは土をざるでふるって粒子の組成を見ようかな。それから中身の定性分析をするね」

「……ありがとう、メイ」


優しい声色に、土からルークに目線を移すと、


「領地内のことはあまり大っぴらにできないから………本当に助かる」


目が合うのと同時に彼がふわりと微笑んだ。

ルークの顔なんて見慣れているはずなのに。

綺麗なプラチナの髪も、長い睫毛に縁取られた少し垂れた甘い目元も、甘く弧を描く唇も―――全部全部見慣れているはずなのに。

なのに、ルークに見つめられていることを自覚した途端、これまで感じたことのない程大きく心臓が高鳴り、どっと体が熱くなった。


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