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試供品を作りましょう

さーて、今日も今日とて残業残業。

……と見せかけて、「惚れ薬」の原液をこそこそと戸棚から取り出した。


本日の予定【試供品を作る】

それもパッケージングまで済ませた、製品としての体をなしたものを作る予定だ。


建物の私のいる部屋以外真っ暗で、他に人の気配はない。

相変わらず実験の虫だな、と苦笑いしながら同僚たちは帰っていった。


なぜこっそり作業しているかというと、それはここの研究所が国立の施設だから、だ。………まあ、設立したのが国だからかろうじて国立と言えるだけの、弱小研究所なのだけど………。

予算は削りに削られ、わずかな補助金と所長を慕う人達からの寄付で食いつないでいる。

私を採用したことからも分かるように、所長は貴族だけどとても先進的な考えを持った人だ。アカデミアを平民にも開放するよう働きかける所長には、熱烈な支持者がいる一方で敵も多い。

もともと風当たりが強い中で「惚れ薬」なるものを売り出したと知られれば、確実に批難の声が上がるだろう。

主に所長と中の悪い貴族院の議員たちから。

でも平民の女が勝手にやったという体裁なら、最悪私の首が切られるだけで済む。

―――というわけで、私は同僚にも知られないように商品開発を進めているのだ。


「よーし、精製水準備オッケー」


気合を入れて、試供品分の原液を希釈する作業の開始だ!

薄めると日持ちしなくなるから、ちまちま希釈しないといけないのが面倒なんだよね。

現在の一番の課題だ。

研究所にある試薬で保存料になるものがあるかもしれないから、今度試してみよう。


この研究所の主な研究目的は、農薬などの薬剤開発や植物中の成分抽出など。

日夜、植物の中のお役立ち成分を探して、草木を細かくすり潰したり溶かしたりしている。

地味なことは百も承知だ。地味だから予算も付かない。

それでも楽しいんだな、これが。

私の開発した「惚れ薬」も、とある南方の果実の皮から抽出した成分を使っている。細かいことを言えば研究成果の私的流用なんだけど、儲けたお金は研究所に寄付として還元する予定なので、許してほしい。


静かな実験室で1人、黙々と作業を進める。

他の研究員は既婚者が多く、だいたい皆定時に帰っていく。

時おり深夜まで残る人もいるが、こんな馬鹿みたいに実験漬けの生活を送っているのは私くらいだ。

所長や同僚達が結婚の心配をしてくれるものの、そんな予定は全くない。

自分の力で収入を得て、誰にも邪魔されない時間が持てる自由。

研究者万歳! 一人暮らし万歳!


―――あれ?

ビーカーに突っ込んだガラス棒で中身をぐるぐる撹拌しながら、私はふと首を傾げた。

そういえば、私と同い年のルークも婚約者はいないと聞いている。

貴族なら、婚約者はもちろん結婚して愛人の一人や二人いてもおかしくはない。

まあ男性なら23でも独身の人はごろごろいるし………?

貴族にとって結婚は政治の一環。平民には考えの及ばない何かがあるから、きっと公爵様や奥様が慎重に選定なさっておられるのだろう。


夜会の席で正装を着て、凛と立つルークの姿が思い浮かぶ。

子供の頃から綺麗な顔だちで、貴族の子弟として完璧な振る舞いを身につけていた。

ルークの家で開かれるパーティの手伝いをしていた時に、華やかに着飾った貴族令嬢に囲まれる彼をよく目撃したものだ。

それに私が言うのもなんだが、中身もけっこういい人間だ。少々口喧しいけど、まさか自分の妻に対してああも無遠慮な態度は取るまい。

これだけ好条件なら、たいていのご令嬢は彼との結婚を拒否したりしないはずだ。

―――薬を使わなくても惚れてくれるのなら、ルークにはこの「惚れ薬」は必要ないだろうな。


いつかルークに訪れるであろう幸福な未来にほのぼのとしながら、実験台の引き出しからピペットを取り出した。そこで、はたとあることに気が付いて私は撹拌する手を止めた。


―――あれ。もしかして。………ルーク、盛られる方じゃない?


散々女の子に持て囃されながらも、紳士な態度でそれをあしらってきた次期公爵家当主。その彼が、薬を盛られてご令嬢に頬を赤らめ鼓動を高鳴らせている姿を想像すると、笑いがこみあげてくる。

由緒正しい家の跡取りなのだから、いい加減私の世話なんて焼いていないで身を固めたらいいのに。

私の作った薬が彼の結婚のきっかけになったら―――。

今まで散々世話になってきたのだ、僅かながら礼にもなるかもしれない。


頼んだわけではないけど、これでもお世話になっている自覚はある。

自分の研究に対する執着が、少し普通とズレていることも。

使用人の娘だった私が今研究所で働けているのも、ひとえにルークとその父である公爵様のおかげ。

彼らが教育を与えてくれなければ、私は身に余る好奇心を抱えて鬱々と過ごしていただろう。



***




ルークと初めて話した時のことは覚えていない。


物心付いたときから、私は母とともに公爵家の屋敷で暮らしていた。

最初の記憶は、お仕着せを着て廊下を掃除する母の後ろ姿。

下働きが公爵家の人達を目にすることはほとんどなく、彼らは雲の上の存在だった。

名前も知らないお屋敷のお坊ちゃん。

それが子供の頃の私にとってのルークだった。


だった………はずなのに、

いつの頃からか、なぜかルークに文字を教わることになり、本を貸してもらい、数年後には今の所長の元で勉強できることになった。

ただ、どういうきっかけでルークと話すようになったのか、本当に、さっぱり、全く、思い出せない。

かろうじて10歳頃だったような記憶があるような、ないような?


数年前、出会いのきっかけを覚えているかルークに聞いてみたら、それはそれは悲しそうな顔をされてしまった。

彼の中には何か思い出があるらしいけど、知識を得る喜びを知った私はそれどころじゃなかったらしく、記憶にない。

特に思い出したいわけでもなかったので、それ以上追及もしていない。

そしていまだに思い出せていないので、本当に些細な出来事だったのだと思う。


ルークは貴族、私は使用人の子。

私が彼の世話をし、彼がそれを享受するという関係になるのが順当なはずだ。

しかしいつの間にか、ルークがすべてに無頓着な私の世話を焼くのが当たり前になっていた。

庭掃除をする私の手に保湿クリームを塗ったり、おやつをくれたり、髪を梳いてもらったり。

時々お小言も言うけど、最後にはいつも笑ってくれるルークと会う時間が私は好きだった。

しかし、彼と会う時の最大の楽しみは、なんといってもお屋敷の図書館にある本だ。

ルークに文字を教わってから、私は本を読む楽しみを知った。知識を得る喜びを知った。

それは平民の私にとっては、まさに禁断の扉だった。



転機が訪れたのは、忘れもしない、13歳のときだ。

その頃はとっくにルークとの距離は縮まっていて、こっそりと二人で会っては、早く新しい本を持ってこいとしきりに彼に迫っていた。

基本的な科学書をすべて読み終わった私は、次に植物学や微生物についての専門書を読み漁るようになっていた。


その日は、ルークのお祖父様である前公爵様の喪が明け、お屋敷が落ち着きを戻しつつある頃だった。

厨房のすみで芋の皮剥きをしていると、突然、母が私を呼び出しに来た。

無駄口をきかず真面目に仕事をしろと何かにつけうるさい母が、その時ばかりは「何をしたの」「どうしてうちの子が」とおろおろ呟きながら、私をお屋敷の執事の元に連れて行った。

執事は屋敷の実務を取り仕切る、使用人の中でも偉い人。

そんな人に呼び出される心当たりといえば――――――ルークと勝手に話をしたこと、そしてお屋敷の本を勝手に読んだこと。

その時になって初めて、自分がとんでもないことをしていたことに思い至った。

ルークと会っている時は、子供同士だったこともあり、気安い態度を取ることに違和感を覚えていなかったしかし、いざ大人を前にすると、自分があまりにも色々なことに無頓着すぎたことを自覚せざるを得なかった。

怒られるだけならマシだ。

もし母が解雇されたら、親子で路頭に迷うことになってしまう。


内心怯えながら執事のおじさんの元に向かうと、彼はひどく苦々しい顔をしていたが、その場で怒られることはなかった。

しかし、ほっとしたのも束の間、彼はさらに別の場所に行くよう私に命じた。

連れて行かれたのは、下働きは足を踏み入れることすらできない、公爵家の方々の居住スペース。しかもその中でも一番重要な部屋である、公爵様の執務室だった。

さすがの私も緊張で冷や汗が止まらず、ドアの前で生唾を飲み込んだことを覚えている。


執事のおじさんに続いて部屋に入ると、そこには公爵様ご夫妻と、ルークがいた。

さっと全員の視線が私に集まり、身を縮こまらせる。

執務机の前に立った公爵様に手招きをされ、柔らかいカーペットの上を恐る恐る進むと、


「君がメイかね?」


落ち着いたバリトンの声が尋ねた。

気品に満ちたその声に圧倒された私は、やっとのことで頷いた。


「この本を、君が読んだというのは本当かい?」


そう言って公爵様が差し出したのは「ヒロイエナバクにおける土壌環境と根在菌の考察」だった。同じ植物でも土壌中の環境が違えば住み着く微生物群が異なる、という内容の専門書だ。


「この本に書かれた考証について、どう思った?」


なぜそんなことを聞かれるのか。

もし本の内容を言えば、読んでいたことが明らかになってしまう。

そうなれば咎められることは必至―――助けを求めるように公爵様の隣に立つルークを見ると、彼は私と目が合うなり小さく微笑み、頷いた。

その表情はいつもの優しいルークで、勇気をもらった私は恐る恐る口を開いた。


「あ………、あの、と、とても興味深いと思いました………。特に、第3章の………」


………いったん口をついて出ると、もう止まらなかった。

普段ルークに言うしかなかった学問に対する興奮が次から次へと飛び出していく。


「バク科の植物に付く根在菌の種類はかなり詳細に解析されていますが、その菌群の組成が土壌の日照時間や酸性度やその他の指標にも左右されているなんて思いもよらなくて………」

「ふむ」唐突に、公爵様は私の言葉を遮り、ルークの方を向いた。「どうやら、お前の言った通りのようだな」


―――しまった。

私は青ざめて立ち竦んだ。

そこでやっと執事のおじさんの険しい視線にも気がついた。

興奮すると言葉が止まらなくて、自分の興味の赴くまま話し続けてしまうのは私の悪い癖だった。

いい加減年相応に落ち着きなさいと、これまで何度も母に注意されていたのに、またやってしまった。


「メイ」

「は、はい」

「学問に興味があるのか?」


公爵様が問う。

本音は、もちろん「はい」だ。それしかない。

もっと知りたい。もっと色んなことを学びたい。

でも………平民の、それも女がそんなことを言うのは決して褒められたことでない。だから誰もいない場所に隠れ、漏れ入る光を頼りに必死になって文字を追い、本を読んできた。

下働きの子として生まれた私は、ピカピカに掃除をすれば褒められるけど、本を読んだら怒られる。

それは生まれた時から決まっていることだった。

公爵様の問いかけに答えられず俯いたままでいると、


「メイには才能があります」


突然、ルークが口を開いた。


「メイの知識に対する意欲は誰にも負けません。この屋敷にある本もほとんど読破していますし、彼女にはもっと専門的に学べる環境が必要です。父上、私は優秀な者にこそ学問への道が開かれるべきだと、そう思うのです」


私と公爵様の間に立ち、顔を赤らめて必死に公爵様に訴えるルークの姿に、喉の奥から熱いものが込み上げた。ちょっとだけ涙も滲んだのを覚えている。

私は彼を身分関係なく友達だと思っていた。それが浅はかな思い込みじゃなく、彼もそう思ってくれている。そのことがとても嬉しかった。


「ル、ルー………」ついいつものように呼びかけようとして、はっと軌道修正する。「ルーカス、さま………」

「ルークでいいんだよ。君にそんな風に呼ばれることのほうが心外だ」


そう言われても。

後ろでぎりぎりとこちらを睨む執事のおじさんの前ではとても無理だ。

しかしそんな執事の様子とは裏腹に、主人である公爵様はおもしろそうに私とルークを見比べていた。


「もしメイに本を貸してあげたことが咎められることならば、彼女は悪くありません。罰が必要なら、その罰は私が受けます」

「もうよい」


公爵様はなおも言い募るルークに手のひらを向けて静止させ、私に向き直った。


「メイとやら」

「はい」

「シュルツ伯爵を知っているかね?」

「は、はい、もちろん」


シュルツ伯爵といえば新進気鋭の植物学者だ。屋敷の蔵書にも彼の本が揃っていたので、何度も読み返している。


「君を助手に推薦するから、来週シュルツ伯爵の研究所に行きなさい。紹介状を書こう。……アリシア、ペンを取ってくれるかい?」

「ええ、どうぞ」


さらりととんでもないことを言った公爵様は、奥様の渡したペンで何やらさらさらと手紙を書き始めた。

展開について行けずルークを見ると、彼も唖然としたような表情で自分の両親を見つめていた。

(どういうこと?)と口をぱくぱくさせてルークに尋ねても、彼も訳が分からないとふるふると首を横に振る。

どうやらルークも聞かされていなかったらしい。


そこからは怒涛の展開だった。

手紙を送った次の日に研究所に連れて行かれ、シュルツ伯爵ーーー所長の助手として研究所で手伝いをしながら勉強させてもらえることになった。

使用人の仕事をしなくてもいいのかと公爵様に聞いても、勉強に励むよう言われるだけだけ。

公爵家の馬車で研究所に通い、講義を受け、実験の手伝いをする日々―――。

物置に隠れて本を読んでいた時には考えられなかった、夢のような時間。

本当に、今の私があるのは公爵夫妻と、そしてルークのおかげなのだ。





***




古い出来事を思い出して懐かしい気持ちになりながら、実験台の上にパッケージ用の箱と袋を並べる。


あれから10年。

環境に様々な変化はあったけど、変わらないところもあった。

ルークはいまだに寝食を忘れて自分の興味を追求する私の世話を焼き続けている。

いつの間にか当たり前になっていたけど、改めて考えるとどうして主人側のルークが私の食事を準備し、着替えを準備し、髪を結っているのかよく分からない。

長い間お世話になったとはいえ、すでに公爵家との雇用関係はなく、自分の食い扶持は自分で稼いでいる。掃除や料理も使用人時代に経験があるので、面倒だけどやろうと思えば死なない程度に生活することだってできる。


普段彼の周りにいる煌びやかかつ華やかな女性陣とはまったく違う生態でも見て楽しんでいるのだろうか?

さっぱりわからん。


大きな恩があるので何か返したいと思いつつ、私はいつも自分のことで手一杯だし、そもそもルークはお金持ちだから何かプレゼントをしようにも彼に不釣り合いなものしか私の収入では買うことができない。

だから、この「惚れ薬」が彼の結婚の一助になるといいな、と考えている。

結局、研究で得たものしか私が彼にあげられるものはない。

さらに売上が研究費の足しになれば万々歳。


がんばらねば。


―――というわけで、貴族に売るのだから見た目も重要だ。

小瓶を可愛らしい箱に入れるか、レースのあしらわれた袋に入れるかしばし悩む。

結局、レースの袋を採用することにした。

これなら「惚れ薬」をこっそり使おうと思っている乙女たちが持っていても、ポプリにしか見えない。

カスタマーフレンドリーなのも商品として重要な要素だ。

白い袋の口をすみれ色の細いリボンで結ぶ。

ごちゃごちゃと実験器具の並んだ場所には不似合いなそれを20個ほど作り終えて、私は一息ついた。

いつもは使わない繊細な神経を使った気がする。


この試供品、数日後にとある屋敷で行われる貴族達の仮面舞踏会で配る予定でいた。そこで貴族のご令嬢に興味を持ってもらい、彼女達から噂が広がればこちらのものだ。

貴族社会では驚くほど口コミが重要視されている。

平民には理解できないけど、話題に乗り遅れない耳聡さがものをいう世界。それが社交界。らしい。

仮面を付けていればこちらの正体がバレることがないので、おあつらえ向きの舞台だった。


次は人間相手。私にとっては植物よりも難しい相手だ。

仮面舞踏会でどう振る舞うか、何度も何度も頭の中でシミュレートし、気合を入れ直す。


「よしっ!」


必ずこの商品をヒットさせて、所長に恩返しをするぞ!


魔法はないけど科学技術はそれなりに発展しているなーろっぱ世界。

盛られるまでもう数話かかります。

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