惚れ薬、完成しました
荒い息遣いが聞こえる。
それが自分のものだと分かった時には、体の中が燃えるように熱くなっていた
きっと顔も真っ赤になっている。
「効いてきたみたいだね」
そう言って、目の前で美しい顔が微笑んだ。
心臓がどきどきと強く胸を叩く。
どうしてそんな悲しそうな顔をするの?
どうして?
どうして私にその薬を盛ったの? ルーク―――……!
***
ふっふふふふふふふ
できた、できたぞ
とうとう、惚れ薬が、できたーーーーーーー!!!!
ガッツポーズ、のち万歳三唱。
予算不足にあえぐ研究所を救う世紀の発明が、今!
私の手によって完成したのだ!!!
「うふふふふふふ」
怪しい笑いを浮かべながら、実験釜の中の液体にうっとりとした視線を向ける。
調合バッチリ。原価計算もバッチリ。
これが売れれば大儲け間違いなしだ。たぶん。
自分を実験体に何度も試行錯誤を繰り返した、苦労の日々。
細かな調整の末、やっと満足のいくものを生み出すことができた。
勤務時間外にちまちま研究を進めてきたので、原材料は自分持ち。
売れなければ、その分大損になってしまう。
ぜひとも、ぜひとも売れて欲しい。
おいおい試作品とはいえ惚れ薬を飲んでお前は大丈夫だったのかって?
それが大丈夫なんです。
なぜか。
そう、なぜならこの「惚れ薬」、単に心臓の動きを強めて心拍数を上げ、血行を促進して顔を赤らめさせ、さらに興奮作用(眠気を取ったり少しだけ脳を覚醒させるカフェイン的なやつ。催淫効果はない)をプラスしただけのものだから!!!
つまり、実際は、惚れないのである!!!!!
1人でいる時に飲んでも、なんか動悸息切れするなあ? あ、でも眠気は取れたな。仕事すっか!
……としかならない。ならなかった。
しかしこれが、ちょっといい感じになってるけどなかなか踏み出せない関係の相手に2人きりの時に飲ませると、「あれ?俺、何かドキドキしてる?こここここれは、まさか恋ーー????」とうまーく勘違いさせることが可能なのだっ!!!!! たぶん。
詐欺ではない。決して詐欺ではない。
完成した高揚から少し誇張が混ざるだけで、詐欺ではない。
実際売り出す時は「惚れ薬」ではなく「相手をドキドキさせちゃう薬」として売り出すつもりだから、詐欺ではない。
それに、効果があろうがなかろうが、この国の時間とお金を持て余した貴族達にとっては「惚れ薬」というキャッチーさが重要なのだ。
私自身は平民だけど、子供の頃から貴族と接してきたからよく分かる。
だから、液体もスミレから抽出した色素できれいな色に染めた。
うきうきと釜の中の液体をすくってビーカーに入れる。
濃度が高すぎると劇物判定される可能性があるから、精製水で濃度を下げる。
一応研究員の端くれなので、こういうところも抜かり無いのだ。
実験台の引き出しからピンク色のかわいらしい小瓶を取り出し、ピペットを使ってその中に釜の中の青い液体をピュッと詰める。
うん。瓶の色がラベンダー色に変わって、ますますかわいくなった。
小指の長さほどのサイズの小さな瓶を指でつまみ、中の液体を揺らす。
これで成人の一回量。
このサイズなら、貴族の女性が持っている、一体あれには何が入るんだ?飴か?という小さな夜会用バッグにも納まるだろう。
見た目もかわいいので、女子受けもイケるはず!
勝利を確信し、グッと拳を握る。
…………とはいえ。
私は自分自身を見下ろして、握った拳をよろよろと下げた。
皺だらけで各種シミの付いた白衣。同じく皺だらけのブラウス。
スカートでは作業がしにくいからと履いているスラックス。
昨晩は溶液の最後の調整に夢中で、風呂にも入っていない。
10代から研究一筋の23才。現在に至るまで恋愛経験なし。趣味は植物採集。
それが私だ。
研究所にいる女は私だけだが、男性陣にまったく気を遣われない。それが私。
こんな人間の考える女子受けの方向性が正しいかと言われると……正直、ちょっと自信がない。
そんな私が「惚れ薬」を売り出そうとしているのには、切実な理由があった。
所属する研究所の、予算大幅カット。これだ。
権力におもねることのない所長が貴族院の古狸達と大げんかしたことが原因だった。
その喧嘩が、予算案の成立前だったのも運が悪かった。
最悪、研究所の解体もありえる。
だから、早急に売り出さなくてはいけないのだ。
あくびを噛み殺しながら、実験釜の中身を大きめのガラス容器に移し替える。
その間にも、頭の中では販売ルートや量産化の算段がぐるぐると巡る。
片付けまで終えて壁時計に目をやると、すでに午前二時をまわっていた。
さすがに二徹は無理だあ。
こういう時に、10代との違いを痛感して悲しくなる。
しぱしぱする目を擦りながら、実験室の隣にある休憩用の小部屋に向かう。
本来この部屋は研究員がお茶を入れたり仮眠を取るためのスペースなのだけど……今や私の私物を入れるロッカーと寝床にするためのソファが部屋を選挙していて、すっかり巣と化していた。
脱いだ白衣を床に放り投げ、そのままソファに倒れ込む。
そういえばずっと何も食べていない。
胃が空っぽだと訴えているが、それよりも疲労が勝っている。
目を閉じた途端に、私はすとんと寝入ってしまった。
***
翌朝。
(あー………いい匂い………)
窓から射し込む朝日と、どこからか漂う食べ物の匂いに誘われて目が覚める。
ぼさぼさ頭のままぼんやりソファに座っていると、カチャリと休憩室のドアが開く音がした。
眠気で閉じそうになる瞼を薄っすら持ち上げると、部屋に入ってくる人影が見える。その人影とともに、ちかちかと弾ける光が瞼の隙間に入りこんできた。
「うう……まぶし」
思わず目元を手のひらで覆って、再びソファに倒れ込む。
休憩室の入り口には、プラチナの髪と綺麗な顔を無駄にキラキラ輝かせた男が、
両手を腰に当て、眩しい光を背に仁王立ちで立っていた。
「メイ、またここで寝てたの?」
「うるさい。ルークには関係ない」
キラキラ男の呆れたような言葉に、目を覆ったまま、すかさず文句を言う。
寝転んだまま壁の時計を見ると、まだ6時半。あと2時間は寝れる。
盛大な欠伸をしてから再び眠ろうとすると、キラキラ男、ことルークがつかつかと私が横になっているソファに近づいてきた。
そして寝転んだ私の腰辺りの空いたスペースに座った彼は、半分寝ている私の髪の毛に指を通し、わかめのように広がった髪を手ぐしで1つにまとめ始めた。
光を透かすように輝くルークの髪を見たあとでは、自分のもじゃもじゃの黒髪がくすんで見える。
「ああもう。また髪の毛がすごいことになってる」
「このままでいいって」
ルークの手から逃げようと身をよじる。
それでも追いかけてくる気配を感じて、実験室に逃げるために起き上がろうとすると、
彼はソファに座ったまま、大きな手でがしりと私の頭を掴みやがった。
そして両脇の下を掴むと軽々と私を持ち上げ、自分の足の間に座らせた。
私のほうが小さいからって、この扱い。むかつく。
立とうとすると、両肩をぐっと押され、無理やりソファに沈められてしまった。
「はい、頭動かさない」
この馬鹿力。
気に入らないが、彼の世話焼きは今に始まったことではないので、渋々頭を差し出すことにする。
「まったく……。家に戻ってないみたいだから見に来たら、これだもんな。メイ、櫛は?」
「………」
「この前俺が買った豚毛の櫛は?」
「………この前まではそこにあったけど………どっかいった」
ふてくされて言うと、手櫛で結った髪にリボンを結び終えたルークはわざとらしい程大きな溜息をついた。
「ほら見て、ワイン色のリボン。よく似合ってる」
まとめた髪に幅広のリボンを結びつけたルークは、リボンの垂らした部分を後ろから私の顔の方に持ってきてひらひら揺らす。
きっと公爵家御用達の、とんでもなく高級でとんでもなくお高い代物なのだろう。
女性らしいその色と光沢に、ますますげんなりする。
「あのね、ルーク。いつも言ってるけど、私はもう適齢期も過ぎた嫁き遅れなの。リボンなんて柄じゃないの。いい加減ルークにお世話されなくても大丈夫なの!」
後ろを向いてルークに人差し指を突き付けて一気にまくしたてる。
仕上げにふんっと鼻を鳴らすと、ルークはいきなり私の鼻を指でぎゅっと挟んだ。
「ぬっ?!」
「よく言うよ。俺が構わなかったら家にも帰らないし飯も食わない、髪も梳かない、風呂だって入らないだろ。大人だっていうなら自分のことくらい自分でしろよ」
「…………か、髪なんて梳かなくても死なないし、家帰ったらシャワー浴びるし……」
鼻をさすりながら、ぷいと顔を逸らして言うと、ルークは腰に手を当てこちらを責めるようにじとっと半目になった。
くっ。相変わらず顔が眩しい。
顔が綺麗なだけに、迫力が2割増しくらいになっている。
それに朝から無駄に爽やかでむかつく。
早朝だというのにきちんと身なりを整えていて、隙がない。
ルーカス・ロスア・ハーディング。
なんとも仰々しい、ルークの本名だ。五大公爵家、ハーディング家のご嫡男様。
彼の父親である公爵様は現内務大臣。
ルークは次期当主として領地経営に励む傍ら、父親とともに貴族院の議員として政治にも関わっているみたいだ。
そして彼はいかにも貴族といった、綺麗な顔をしている。
なるほど、美人とは整っていることなのだと、人の美醜に興味のない私はルークの顔を測ることで知った。
びっくりすることに、どこを測っても黄金比だったのだ
白銀色のさらさらの髪は禿げてもいないのに光の輪ができてるし、アイスブルーの瞳は今まで見てきたどの鉱物よりも綺麗な色をしている。
なんだこいつ。完璧か?
天は彼に二物も三物も与えたのだった。
―――それなのに、実態はただの口うるさいお母さんだなんて、誰が想像するだろうか。
いつもいつもいつもいつもいつも。
衣食住、何かにつけお小言を言ってくる。
だいたいの人は彼の外面に騙されているので、ルークの「お母さん力」がカンストしていることを知っているのは、ごく一部だけだ。
話を聞くに、私に関わる時以外は貴族っぽい格好をして、貴族っぽい言動をしているらしい。
いくら子供の頃からの知り合いだからって、こんな平民、放っとけばいいのに。
何度私がそう言っても、文句を言いながら食事を準備したり寒い日に上着を届けてくれたりと母親のようなお節介を焼いてくる。
貴族なのに。
普通は世話される立場なのはそっちだろう。
私の家の狭い台所で飯を作るんじゃなくて、その時間に夜会やお茶会にで出席した方が、よっぽど有意義なんじゃないだろうか。
彼にうっとりしている女性を見るたびに、その人、実はただの口やかましいお母さんですよと忠告したくなる。
実際は関わらないようにその場を去るだけだけど。
「じゃ、あっちにスープがあるから。食べる気になったらおいで」
好き放題私の髪を整えたルークは、そう言ってソファから立ち上がった。
―――やっと解放された。
こきこきと首を回す。
ほっと一息つくと、限界まで皺の入った自分のブラウスが目に入った。
青紫の染料もところどころに散っているし、なにより昨日の作業で汗をかいたので、なんだかベタベタする。
……でも勤務前に家に戻ってシャワーを浴びるのは面倒だ………うん、シャワーは夜でいいや。
私は着替えだけはしようとブラウスのボタンに手を掛けながら、ドアに向かうルークに声を掛けた。
「ルーク、今朝は何のスープ?」
「ん? ああ、今日はメイド長さんに教えてもらった人参のポタージュ……、ってなんで服を脱いでるんだよ!」
「え、だってずっと着替えてないから」
汗かいたし、と言いながら脱いだスラックスをポイッとソファに投げ捨て、下着姿のままロッカーの中の着替えを探る。
「そういう問題じゃないだろ。人前で服を脱ぐのはやめなさい」
うーん、やっぱりお母さん。
「はいはい」
ひらひらと手を振って適当に返事をすると、ルークは何か言いたげに大きく口を開けた。
しかし結局その言葉を飲み込み、大きな溜息を漏らしながらドアを閉めて出て行ってしまった。
―――なんか、怒ってた?
ルークしかいなかったから着替えただけなのに。
あの言い方じゃ、まるで私がどこでも服を脱ぐ痴女みたいじゃないか。
「あ」
そうか。
子供の頃から変わらないから特に意識したことがなかったけど、ルークも男の人だったっけ。
私の母より母らしい様子に忘れていた。
「ま、いいか」
きっと今頃いつものように実験用のバーナーでスープを温め直し、パンを炙っているんだろう。
パンの焼けるいい匂いがする。
彼の作る料理は、すごく美味しい。とっても美味しい。
あまり食に興味のない私が言うのだから間違いない。
同意するようにお腹がぐーと鳴る。
最後に食事をしたのは……いつだっけ。
私は脱ぎ捨てた服をロッカーに放り入れてから、朝食をとるために実験室へ向かった。
準備してくれた朝食は、いつもどおり完璧に美味だった。