解呪
八
その日、「朱の陽」すなわち太陽が、高い位置にある間、琉生と芹菜は「儀式の準備」を行った。
まずは小さな泉に案内され、身を清めた。そのあと、デフナの家で、椀一杯程度の薄い塩水と、段ボールの切れ端のような、パンを一つ、与えられた。
次いで、儀式用の衣装に着替えた。
作務衣のような、白い衣装だった。
陽が傾き始めると、二人は屋外のテントに誘導された。
琉生と芹菜が目覚めた場所である。
「まだ、夢から覚めてないみたい……不思議。私たち、これから本当に、この国を救う儀式を行うのかな」
芹菜が呟くと、琉生も同意する。
「うん……僕も不思議」
クルリとテントの隅が開き、ライナがやって来た。
手には湯気のたった、お茶碗のような容器を二つ持っている。
ライナは二人の前に、それぞれ容器を置いた。
「お飲みください。お浄めです」
二人が飲み終わると、ライナは言う。
「間もなく儀式が始まります。儀式で使う方円は、練習したものよりも大きいです。
音の種類は七つ。いままでより、札を早く置かないと、音に追いつけなくなります。
私は、どんなに練習しても、追いつかなかった。
お二人が、お二人だけが頼りです」
ライナは一礼して、顔を上げる。
その表情は、妹の礼奈によく似ていると琉生は思った。
「そう。一つ言い忘れていました。この儀式がうまくいったら……
取り次いだ者の願いを一つ、必ず叶えてくれるそうです」
朱の陽が沈みかけ、闇の灯が頭を現し始めようとする頃。
二人はデフナに呼ばれ、テントを出る。
いよいよ。
儀式が始まるのだ。
芹菜は琉生の手を握った。
琉生も強く握り返した。
二人とも、掌は湿っていた。
儀式の場には、直径が二畳分ほどの、札を納める方円が刻まれていた。
彼方の地平線に、一筋の朱色が残り、その向こう青白い月の欠片が見えると、一族全員が集まり、座したまま頭を下げる。
老女が二人の前に立つ。
「始めましょう」
琉生は七枚の札の包みを解く。
一点の曇りもない、真白い札である。
「最初は、七回、一つずつ音を出します。それから、神に捧げる曲を吹きます」
老女が笛を吹き始める。
途端に札が色を出す。
方円に描かれた図形にも、同じ色が光る。
札を持った芹菜が琉生の指示により札を置く。
それが七回続くと、方円は七種類の色を、細い柱のように立ち昇らせた。
老女は息を吐き、祈りの言葉を捧げる。
「この地を司る神よ。今一度、その神力を我らにあたえ給え。この札をわれらの誠として、受け取らしめ給え」
老女が再び、笛を取る。
琉生と芹菜は見つめ合い、頷き合った。
「はじまる……」
ライナも老女の後方に座り、二人を見つめた。
老女の演奏が始まり、琉生の指示は早くなる。
指示を間違うことなく、秒単位で芹菜は札を置く。
途中から、琉生には、音が帯のように見えてくる。
帯は赤から紫、青や緑へと色調を変えて流れていく。
この色のつながりは、学校で帰宅時間を告げる曲に似ている。
琉生はそう思いながら、色を見極めていた。
闇が濃くなっていく最中、方円の一部から、真っ赤な太い柱が天に昇った。
「一つ、解けた!」
ライナが小さく叫ぶ。
赤の次は橙色、そして黄色、緑、青、藍色の柱が、方円を囲むように天に向かっていく。
急に風が強くなる。
老女の額には、大きな粒の汗が浮かぶ。
紫色に光る場所へ、芹菜が札を納めると、ひと際輝く紫色の柱が立ち昇る。
地面は大きく揺れ、闇を切り裂くように、稲妻が走る。
「解除、できた!」
ライナが叫んだ。
七色の柱は一つになって、白金色に輝きながら上昇していく。
そのプラチナの光の中から、月を凌駕するような大きさの眼が、この地に住まう全ての者と、召喚 された二人の人間を見下ろした。
老女は平伏し、祈りの文言を捧げる。
琉生と芹菜には、「眼」からの声が届いた。
『外来の者よ、大儀であった。我を呼び出した功績をたたえ、そなたらの願いを一つ、叶えてしんぜよう』
二人の願いは同じである。
元の世界に帰りたい!
『さすれば、この札を持ち、我が身体に捧げるべし』
芹菜の手の上に、ふわり落ちて来た一枚の札。
白金色の表面に、七つの色が光る。
芹菜は琉生の手を取って、力の限り札を投げた。
『受け取った!!』
バリバリと木が裂ける音がした。
幾筋もの雷光が二人を包んだ。
琉生と芹菜の意識は、雷光に溶けた。
◇◇◇◇◇◇◇
「か、雷!」
自分の声で、琉生は目覚めた。
ぼんやりとした視界には、久しぶりに見る父の顔。
「琉生、ルイ!! 母さん! 琉生が」
薬の匂い。白い天井。
バタバタと向かって来る足音。
「羽生さん、意識が戻りました!」
看護師さんがモニターを見て、バイタルチェックをしている。
そのあとから白衣の男性。お医者さんだ。
病院?
僕は、病院にいるの?
セリナさんは?
デフナさん、ライナさん、おばあさん……
「良かった! 良かったよ、琉生」
琉生は父の涙を、初めて見た。
隣の病室からも、声が上がっていた。
病室の入口には、『宗岡芹菜』の名札がかかっていた。
救急車で搬送されてから三日間、琉生も芹菜も意識不明だったと、琉生はあとから聞いた。
涙を流す父と母からは、桜よりも薄い、ピンク色が見えた。
琉生の好きな色である。
そして母の後ろから、そっと顔を覗かせた妹の礼奈は、ニコッと笑って琉生に何かを握らせた。
琉生が手を開くと、そこには白金色の札が一枚、柔らかな光を放っていた。
本編完結いたします。
後日談でもあれば、また。
企画を立ち上げてくださました、小畠愛子様に深く御礼申し上げます。