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共感覚の少年

短編にする予定でしたが、長くなりそうなので、何話か続きます。

 序


 どこかの時代。

 何処かの星。


 枯れた大地の上を、風が渡る。

 粗末な家屋がぽつりぽつり。

 人々は寄り添い、火を焚くが、燃やす物もわずかしかない。


 子どもらは、日暮れまでは外にいる。

 木の枝で、地面に何かの図形を描いたり、落ちている小石を適当に並べて、奪い合ったりしている。


 陽が落ちると、凍りつくような外気があふれる。

 空に浮かぶ月は、赤い色のまま、歪んだ円を描く。


 粗末な中でも少しましな、木材で組み立てられた家が一軒。


「ムリ、だな」

 老女が言う。


限界むりですね」

 老女に付き添う男が言う。


 男の傍らに正座する少女が一人。

 年齢としの頃なら、十歳くらいか。


 少女は掌をあわせ、火に向かって頭を下げる。

 炎の奥から微かな笛の音が聞こえる。

 

「お前、何回、音を紡ぐようになった?」

 老女が少女に訊く。


 少女は指を三本立てた。


「そうかい。なら、呼べるかもしれない」


 老女はそう言って、巻物を開く。

 広げた巻物には、大小いくつもの円と、円に重なる三角形が描かれている。

 そして老女はうやうやしく、懐から小さな木片を三枚取り出す。


 木片の表面は黒く塗られているが、炎を反射し、赤や緑、黄色に光る。


 老女が手を叩く。


 パン、という軽い音が三回響くと、炎は生き物のように、枝分かれしてうごめいた。

 老女と男、少女には、炎が吐き出す、音が聞こえた。



 一 ルイ


 いつもの相談センターを出た時には、既に陽は傾きかけていた。


 家路を急ごうとした琉生るいだったが、今日は家に、誰もいないことを思い出す。


 父は出張。

 母は、礼奈れなに付き添って、原宿に行っている。


「もうすぐ、中学生になるんだから、センターくらい、一人で行けるわね」


 母は今朝、お化粧しながら琉生に言った。

「今日は礼奈の撮影があるの。付き添いが必要なのよ」


 自分に言い訳するかのように、母は続けた。


 今の母の声は、蛍光色の黄色だ。

 この色の声の時には、何を言っても無駄だと、琉生は知っていた。



 学校帰り、琉生が一人でセンターに行くと、担当の先生は、ほんの少し眉を寄せた。


「お母さん、忙しいんだね」


 担当の先生は、センターで一番偉い人だ。

 声は、深い緑色。

 琉生が落ち着く声である。


 センターでは、先生とお話したり、読書をしたり、たまにテストみたいなことをする。

 学校と違って静かだし、担当の先生以外の人たちも、皆、優しい。


 ただ。


 此処は、琉生がずっと居られる場所ではない。

 学校から行けと言われ、そうしているだけだ。


 椅子が高いので、琉生は足をぶらぶらさせながら、読書を始めた。

 文字は黒いまま、ゆらゆらしない。

 今日は調子が良い。


 共感覚きょうかんかくを持つ児童。


 羽生はにゅう琉生は、そう診断されている。


 共感覚とは、外部からの一つの刺激に対して、通常の知覚だけでなく 別の感覚も、自動的に生じることをいう。

 例えば、視覚刺激を得た場合、文字や色に音を感じたり、逆に音を聞いた時に、色を感じたりする反応が起こる、それが共感覚である。


 琉生の母は、琉生が小さい頃からピアノを習わせた。

 呑み込みは早かったが、ピアノの練習を、琉生は徐々に嫌がる様になった。


「目の前に、色が飛びすぎて怖い……」


 そんなセリフを言う琉生を、母は受け入れられなかった。


 学校に行き始めると、教師も同級生も、琉生の発言に奇異の眼差しを向けるようになる。


「数字の七は、青色!」

 と言う琉生を、周囲は嘘つき呼ばわりした。


 視覚と聴覚の結合が強い琉生は、いくつかの授業に耐えられず、早退したり、保健室に駆け込むことが増えた。聴覚過敏が強い発達障害だと、担任は推測し、教育相談センターでの療育を勧めた。

 

 琉生の三歳下の妹、礼奈は、母の理想通りに生まれ育った。


 顔色が悪く、ガリガリの琉生とは違い、白いすべすべした頬に、ぱっちりとした瞳。


「こんな子が欲しかったの!」

 琉生の前でも憚らず、母は手放しで妹をほめたたえた。


 小学校に上がった礼奈は、児童劇団に所属して、モデルや子役の仕事をするようになった。


 琉生は、家庭の中でも、学校でも、落ちついて過ごせる場所が、どんどんなくなっていった。

 週に一回、センターで過ごすことは、せめてもの安らぎとなった。



 家に向かって歩きながら、琉生はセンターで読んだ本を思い出していた。


 崩壊する世界を救うために、日本からその世界へと召喚される少年。

 少年は琉生と同じくらいの年齢だった。


 カッコいいな、と琉生は思った。

 そんな風に、誰かに頼られ、期待される存在というのは、遠い憧れである。


 少年を描いた挿絵には、ネーブルの匂いがした。

 清々しい香りだった。


 そんなことを考えながら歩いていたら、いつもは通らない、歩車分離の交差点に出た。


 夕方の道路は、車も人も多い。


 何よりも。

 信号が変わった時に流れる音楽が、琉生は苦手である。


 琉生の感覚では、歩行を許可する時に流れる音楽の色は、こげ茶色である。

 信号の緑色とは、まったく合わない色なのだ。


 特に、歩車分離の信号では、歩行者は一斉に、縦横斜めに動く。

 その動きを見ていると、琉生は気持ち悪くなる。


 少し戻って、遠回りして帰ろうと、琉生が踵を返した時である。

 交差点の真ん中に、キラキラ光る何かが、落ちて来るのが見えた。


 なんだろう。

 光る何かは、懐かしい音を奏でていた。


 思わず見とれているうちに、歩行者向けの信号が変わった。


 突っ立ったままの琉生は、誰かに突き飛ばされた。

 琉生はそのまま、道路に転倒した。


 琉生の頭にガンガン、信号の音楽が響く。

 耳元をザクザクと、通り過ぎる足音は、琉生の目には灰色の、アメーバのような形に映っている。


 立ち上がろうと手を伸ばした先に、キラキラ光る物体があった。

 物体は、薄青色のタイルのような質感があった。


 琉生が好きな色だった。

 思わず見とれて、手に取った瞬間。


 琉生に向かって、一台のバイクが疾走してきた。



参考文献:伊藤浩介「共感覚とは何か」基礎心理学研究,39(1),2020

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