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15歳で成人の国です。
クロードは日に何度もロロの様子を見に行ったせいで、とうとう看護団に入室禁止にされてしまった。自分はこの屋敷の主人だというのに。解せない。
暇なのでリーラが兄にあてて書いた手紙の内容を検閲し、とろりとした赤い蝋をたらして家紋のついた印璽を押しつけ封をし、マーティンにそれを出すよう命じた。
今回も至って変わりばえのしない文面だった。元気にしていることと、セトによくしてもらっていること、領民たちが気さくで優しいこと、そして兄への気遣い。最後の一枚は概ね、ロロがいかにかわいいかを綴ってある。たまに出てくる、白きMの一家というのがなにを指しているのかだけは、未だに謎だ。なにかの符丁だろうか。
しかしこれだけ夫のことや屋敷の暮らしに触れていないとなると、ヴェルデはさすがに気づいていることだろう。妹が不当に扱われていることに。
しかしあちらからの接触はなにもない。乗り込んできてもおかしくないはずなのに、借金の返済以外、拍子抜けするくらいに静けさを保っている。
なにか考えがあってのことではないか。どろりとした濃い疑念が浮かぶ。まるでこちらこそ、キンブリー兄妹にいいように弄ばれているようで、クロードの苛立ちは増すばかり。頭をかきむしりたくなる。
リーラをいたぶって気を鎮めようと思い立ち、ダイニングに向かうが、彼女の席は空っぽだった。まだ部屋で泣いているのかもしれない。そう思うと自然と口角が上がる。
先に食事を済ませるか迷ったが、同じ食卓についた彼女の反応を知りたくて、しばらく待つことにした。しかし待てど暮らせど姿を見せない。
クロードは我慢の限界を超え、使用人のひとりを捕まえて命じた。
「あの娘を引きずり出してこい」
よほど恐ろしい顔をしていたのだろう、その使用人は慌ててリーラを呼びに行ったが、戻ってきたときは青ざめた顔で、そしてひとりきりだった。
「あの娘はどうした?」
「それが……部屋はもぬけの殻でして……」
「だったら探せ」引きずってでも連れてこいと言いかけて、思い直した。「いや、いい。自分でやる。戻っていいぞ」
安堵の表情を浮かべて仕事に戻っていく彼を見送り、クロードは席を立った。
リーラの行くところなんてたかが知れている。どうせセトのところだろう。
ロロのためにとしばらく予定を空けてあったのだが、当のロロには会わせてもらえず、時間はありあまっている。直々に迎えに行ってやろう。
外出の準備をしていると、マーティンが目を丸くしながら尋ねてきた。
「今からお出かけですか?」
「逃げた獲物を捕らえ直してくるだけだ。ロロの予備の首輪があっただろう、あれを出しておいてくれ」
クロードの渾身の冗談に、マーティンは怪訝そうに、だが、了解しましたと素直に従った。
触らぬ神に祟りなし、とつぶやいた声は、あいにく聞こえていたが。
*
帰りたくない。だが、帰らないといけない。
葛藤の末、とろとろ遠回りして歩くリーラは、どうしてだか街の方へと出てしまっていた。道を間違えたらしい。素直な足だ。
豊かな自然に囲まれるようを居を構えるロシェット伯爵邸は、街の中心部から外れた位置にあり、互いにつかず離れずの距離感で暮らしている。
明かりと賑やかな声に誘われて飲食店街までやってきたリーラは、行き交う陽気な人たちを興味深く眺めた。
このあたりは治安がいいからか、日が沈みかけたこの時間でも女性の姿をよく見かける。もちろん男性と同伴の人がほとんどだが。
リーラは試しに一番最初に目についた店に入ると、女性に人気と銘打たれた果実酒の水割りを買ってみた。てっきり無骨な木か鉄のカップで出てくると思いきや、差し出されたのは華奢な透明のグラス。赤紫色がかった透き通る液体の中に輪切りにされたフルーツや花が沈んでいて、涼やかで美しい。飲んでしまうのがもったいない。このまま持って帰りたいぐらいだ。値段が割高なだけはある。
セトから労働分の賃金としてお小遣いをいくらかもらっているので、多少の買い食いならなんとかなる。クロードとは顔を合わせたくなかったのでちょうどいい。このまま夕食を済ませることにした。
果実酒は女性向けなだけあって飲みやすく、しっかりとつけこまれたフルーツはほどよいあまさと酸味でおいしい。
「うまいか?」
隣から問われて笑顔のままうなずくと、そこには今一番見たくない顔があった。笑みも感動も瞬く間に霧散した。
「なんで、ここに……」
愕然とするリーラに、クロードは呆れながらもあっさりと種明かしをした。
「ここをどこだと思っているんだ。黒髪に藤色の瞳の娘はわりとめずらしい上、俺が聞けばみな親切に教えてくれる」
クロードは店主にリーラと同じものを頼んだ。それといくつかのつまみ。
リーラが口を開く前に、彼は八つ当たりのように言った。
「きみのせいで空腹なんだ」
「……ひとりで勝手に済ませればいいのに」
「そうして、きみに死なれては困る」
リーラはなにも言わず、果実酒をこくりと飲んだ。そして続けざまに、ごくごくと。
飲み干して飾りの花まで綺麗に食べつくすと、お金を置いてさっさと立ち上がった。
「どうぞごゆっくり」
冷たく言って背を向けたが、すぐに腕を掴まれ座り直させられた。リーラはむっとする。一秒でも顔を合わせていたくないのに。
「あなたが食べ終わるまで待てと?」
クロードは真顔だった。
「いいか、何度も言うが、一緒に食べるんだ。嫌でも顔をつき合わせて、だ」
「へえ、そう。だったらあなたがいないときは? あなたが王都に出かけているときは、わたしひとりなのよ。知らなかった? あなたはいいわよね、わたしの顔に嫌気がさしたらほかの女の家で食べればいいんだから」
今度はクロードがむっとして眉を上げた。
「ほかの女の家で食べることなんてない」
「ああ、そうね。堂々と招けばいいんだものね」
そうなると食卓に呼ばれないアイビーは、やはり遊び程度の存在なのだろう。だとするとよそに本命がいるのだろうか。
そういえば、彼に関する下世話な類の噂を聞いたことがない。
(ある意味、ロロ一筋だものね……)
ロロと愛人が遭難していたら、間違いなく先にロロを救出しに向かうことだろう。
クロードは運ばれてきた皿を、一旦脇へと置いた。
「言っておくが、外に愛人なんていない。うちの家系は一途な者が多いんだ。どこかの子爵と違ってな」
どこかの子爵とは、キンブリー前子爵のことだろう。リーラはうんざりとした。
「あのクソ野郎と比べたら、世の中のすべての人が一途で純真無垢な紳士淑女じゃない!」
多産なねずみだって、あれほど節操なしのろくでなしではない。
続けざまに口汚く罵詈雑言を吐き捨てるのを、クロードは目を丸くして見ていた。令嬢らしくないと思っているのだろうが、構わない。
これ以上嫌われようもないほど嫌われているのだから、もうどうでもいい。リーラは拳をテーブルに打ちつけ、矛先を変えてクロードをにらみつけた。
「だけど言わせてもらえばあなたも同じ穴のむじなよ! そのうちメイドのひとりでもふたりでも気まぐれに孕ませて、母子共々暴力で支配するようになるんだわ!」
「……言いたいことは、それだけか?」
その静かな口調にこれまでにない怒りを感じて、内心震えながらも、それでも挑むように顔を上げた。まだ言っていいのなら、いくらでも言ってやる。
「だったらメイドに手を出すのはやめなさいよ! なにが一途な家系よ、メイドと結婚する度胸もないくせに笑わせないで! あなたなんて、誰のことも本気で好きになったことなんてないくせにッ!!」
リーラは両手をテーブルへと叩きつけ椅子を後ろへとひっくり返して立ち上がった。
「本気で愛する人ができたときに、心の底から後悔すればいいわ!」
一生後悔すればいい。
あまりにも軽薄に、妻を選んだことを。
軽々しく身分の違う女をはべらせていたことを。
本当に心から愛する人ができてから思い知ればいい。
キスひとつの大切さを。
そして自分がどれほど愚かな人間だったのかを。
今度こそリーラは捕まる前に素早く身を翻して、クロードの視界から逃げ出した。