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 クロードとマーティンが追いかけっこをして遊んでいるのを、リーラは遠くから冷めた目で眺めていた。


「あなたの飼い主はちょっと、頭がおかしいわよね?」


 しかし話しかけた相手のロロからは返事はない。自分もふたりの遊びに混ざりたいのか、今にも駆け出しそうにおしりをふりふりしている。


 年のせいかあっけなく捕獲されたマーティンを引きずっていくクロードと目が合った気がしたが、今はそれどころではないとばかりにそらされた。


 離縁の話より重要なことなどこの世にあるのならご教示願いたい。


(わたしのことなんて、どうでもいいということ?)


 リーラは無性に腹が立って、むしゃくしゃしながら彼らに向かって持っていたボールを投げつけた。意図したわけではないが、ロロが目を輝かせてボールを追いかけて行き、クロードとマーティンを踏み台にして空中でボールをキャッチ。ボールを取っただけで満足したロロは、その後マーティンの上で飛び跳ねたりクロードの腰にがんがんぶつかったりと、それはもう、はしゃぎ倒している。


(わたしも混ざってやろうかしら)


 リーラは自ら足を進め、ロロの体当たりに腰をかがめながらどうにか踵で踏ん張っているクロードを見下ろした。


「あなた、わたしになにか言うことはないの?」


 リーラから話しかけられたことに動揺したクロードは、次の瞬間、ロロに床へと背中から押し倒されていた。胴にのしかかられて、顔をべろんべろんなめられた状態でも、彼はリーラに向かって謝罪の言葉を叫んだ。


「すまなかった! 俺が全面的に悪かった!」


 それが謝る人の態度かどうかは置いておくとして。


「よくあんな勘違いが起きますよね?」


「それはっ、……ロロ、ちょっとだけま、待て……ぐっ!」


 ロロは待たない。久しぶりの再会だからか、めいいっぱい遊んでもらわないと気が済まないとばかりに彼の上で飛び跳ねて、運悪くクロードのみぞおちを思い切り踏み抜いた。


 とてもまともな会話ができる状況ではない。リーラはため息をつき、なにげなく地に伏せたまま動かないマーティンへと視線を移し――目を剥いた。


「ちょ、誰かっ、誰か来て! マーティンがっ……!!」


 死んでいるかもしれないと悲鳴のように叫ぶと、使用人たちが血相を変えて集まって来た。ロロは興奮状態なのか、集まって来たひとりひとりに体をぶつけて邪魔をしている。


 大混乱の末になんとかマーティンを救助して、命に別状はなさそうだったが、すぐに医者が呼ばれた。病名は、ギックリ腰。しばらく安静が必要とのことだった。


「元々医者を呼ぶつもりでしたが、まさかこんなことになるとは……。誠に申し訳ありません」


 病床でマーティンが弱々しい姿を見せるのでリーラは日頃の鬱憤を晴らす気にもならず、部屋の隅で黙って彼らのやり取りを見守っていた。


「いいからしばらく休め。ロロはここに近づけないようにしておくから」


 ロロは自分がマーティンを負傷させたことなど知らないだろうに、なにか感じることがあったのか、庭でしょんぼりと肩を落としてボールを前脚でつついている。


「私は心配なのです。この家の行く末が。このままでは、死んでも死に切れません……」


「縁起でもないことを言うな。ただのギックリ腰じゃないか」


 しかしマーティンは慰めるクロードではなく、奥様、と。リーラへと覚悟の光が宿った目を向けた。


 クロードと別れろと言われるのだと思った。もとよりそのつもりだったと言い返すつもりだった。が。


「私が至らないばかりに、クロード様は……不能に、なってしまわれたようです……」


「は?」


「おい」


「このままでは後継が! もはや誰でもいいのです! ロシェット伯爵家に嫡男を!」


(誰でもいいのね……)


 少しだけクロードを憐れんだ。


 そのクロードはこめかみに青筋を立てながら、いいから黙れとマーティンに毛布をかけている。


 リーラの背中を押して廊下へと追い立てるクロードを、振り返ってじっと見つめる。


「マーティンは」


「負傷して心が弱くなっているだけだ。すべて事実無根だから、聞き流しておけばいい」


「……あなたもなにか、病気なの?」


 マーティンがなんのことを言っているかはわからなかったが、それっぽい響きを感じ取って尋ねたのだ。クロードは苦虫を噛み潰したような表情で閉ざしたドアを一瞬にらんでから、うそぶいた。


「至って健康だが?」


「それならいいけど……」


 実は内心不安だったので、リーラは胸に手をやりほっと息をついた。


「……心配してくれたのか?」


「あなた、わたしのことを血も涙もない冷血漢だと思っているの?」


 生死をわけるような人の不幸を笑えるほど、落ちぶれた覚えはない。


「マーティンのことだって、少しは反省しているのよ。普段から矍鑠として元気そうだったから、年のことなんてすっかりと忘れていたわ」


 ボールを投げつけたのはリーラだ。マーティンのギックリ腰の原因の一端は、リーラにもある。


「確かにマーティンは祖父の時代からずっとここで働いていたようだから、もう……いくつだろう?」


 クロードでさえ年齢がわからないほどの老齢なのだ。むしろこれまでちゃきちゃき働いていたことが驚きなのではないか。


「マーティンの看病に手が足りなかったから貸すので、遠慮なく言ってください」


「……いいのか?」


「なにがですか?」


「……離縁、したいんだろう」


「あなたこそ」


 リーラが唇をとがらせてうつむくと、クロードは目を瞬いた。


「なぜ俺が?」


「……王都で……綺麗なお嬢さんたちと、遊んで来たんでしょう?」


 あまり聞きたくはなかったが、覚悟を持って問いただした。リーラなんかよりもずっと素直でかわいくて従順な子たち。その子たちを妻にと思っても仕方のないことだ。


 だってリーラは素直でなければかわいくもない。口答えしかしない扱いにくい娘だ。


 ぽつりぽつりと告げたが、なかなか答えが帰って来ずに、ちらっと彼を見上げた。口元の緩んだ奇妙な顔つきをしていたが、リーラの視線に気づくと全力で否定した。


「遊んでない! 確かにいろんな女に口説かれはしたが、すべて断った!」


 自慢だろうか。自分はモテるのだという。


 彼はめずらしく自信に満ちた微笑みでリーラの両肩に手を添えた。


「安心しろ。俺は今や、愛妻家で通っている」


 嘘はだめだろう。なぜ誇らしげなのかわからない。


 突然馴れ馴れしくなったので、警戒しながらやんわりとその手から逃れる。クロードは拒絶されたと思ったのか、しゅんと肩を落とした。


「変な誤解をして、悪かった。裏切られたと思ったら、カッと頭に来て……。本当に、すまない」


「二ヶ月も経ってから謝られても」


「言い訳だが、手紙で謝罪文を送った。何度も、何度も」


 むすっとしているあたり、読んでいないことは筒抜けなのだろう。


 内容のわかりきったものをなぜ読まなくてはならないのか。押しつけがましい。


「恋文ならまだしも、謝罪文なんておもしろくもないもの読みたくないです」


 まったく乙女心をわかっていないクロードにため息をつくと、彼は、え? と小さな驚きの声もらしてリーラをまじまじと見つめた。


「なにか?」


「つまり、恋文なら読んだのか?」


 う、とうめいたリーラは自分の失言に焦る。


「それは、その……」


「読むんだな?」


 このままだと本当に恋文を書きそうな勢いだ。


 好きな相手に恋しい気持ちを書くのが恋文であって、クロードがなにを書いたところでそれは恋文じゃない。それを読んだところでむなしいだけだ。


「そんなものよりも、あなたはまず、誠心誠意わたしに謝罪し続けてください。紙に託すのではなく、ものでごまかすでもなく、日々面と向かって」


 クロードはしばし考え込んでいた。それほど難しい要求をした覚えはないのだが。


「それはつまり、毎日俺の顔を見たい、ということか?」


(どれだけ顔に自信があるのよ)


 とはいえ、見目だけはいいので、そこは否定しない。少し冷たく近寄りがたくも見えるが、おおむね見掛け倒しだ。短気だし、こうと思ったら周りが見えなくなる。


 それでも。


 誤解が解けたら、きちんと謝ることができる人だ。


 彼は本来謝る必要のない立場の人なのに。妻をないがしろにしたところで責める人なんていない。


 なのに謝るのだ、彼は。何度だって。


 そこは認めざるを得ない。


 悔しくなって、リーラはそっけなく本心を告げた。


「そういうことかもね」


 言ってから気恥ずかしくなり、すぐにその場から離れた。


 だけど、つい、頰が緩む。


 クロードはほかの女性たちと遊んで来なかった。


 離縁の申請書類が偽物でよかったと、はじめてマーティンに感謝の気持ちを抱いたのだった。







「そのような締まりのない顔でいかがしましたか?」


 そんな顔はしていないと、クロードは改めて気を引き締めた。


「離縁はなくなった……と思う」


「それはようございました。私も腰を折った甲斐がありました」


「いや、折れてはないだろう」


 大げさだ。ロロだってそこまで重くない。はず。


 久しぶりに見たロロがまたひと回りほど丸くなっていた気もするが、気のせいということにしておいた。明日からダイエットメニューをもう少し見直そう。


「どうやって懐柔なさったのですか?」


「どうやらリーラは俺の顔が好きらしい。毎日顔を見せて謝罪しろと、かわいいことを言った」


 嫌な顔なら二度と見たくないと思うはずだ。この容姿は微笑んでいないと冷たく見られがちだったが、外見まで嫌われていないようで安心した。


 なによりクロードはジーンと系統が違う。ジーンはリーラの好みでないとわかっただけでも収穫だった。


「それは……。……いえ、クロード様がそれでよろしいのなら、よいのです」


 マーティンの目に憐憫があったが、その目をしたいのはこちらだとばかりにクロードは神妙に言った。


「いい機会だからゆっくり休むといい。俺のことで苦労かけてすまないな」


「いいえ、とんでもございません!」


 声を張って腰に響いたのか、マーティンは苦しげうめいた。無茶をするからだ。


「ああ、そうだ。リーラが看護をするそうだ」


 マーティンの目からすべての光が消えた。


「なんと無慈悲な……。一体、なにをされることか……」


「病人相手になにもしないだろう」


「惚れた欲目で根拠のないことを言わないでください!」


 納得いかないマーティンとの話し合いの末、クロードが付き添うことでどうにか話がついた。


 しかしこれだとしばらく王都へ戻れそうにない。


 予定を詰め込んであらかた終わらせてきてよかったと、改めてそう思った。






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