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X.en.トリガー 罰と交錯の引鉄  作者: そうのく
X.en.トリガー 
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第七章


 外のほとぼりが冷めようとしている頃、事件から既に数日が経過した。

 拠点で作業を続けていたクシビは、資料を入れた封筒を手に持って立ち上がった。

 この間の事件の資料が出来上がったのだ。


「出かけてくる」

「精霊院に行くのか? この間行ったばかりじゃろう」そうヒマリが指摘した。

「念を入れておく」

「まあ、好きにすればいいがのう。また情報屋に怒られるぞ」

 ヒマリがそう言うが、クシビは気にしないまま店を出た。


 クシビの焦っている様子を見やるヒマリ。こういう時は好きにさせるのが良いと踏まえていた。

 クシビはそのまま急いで精霊院へと向かう。ついこの間に来たばかりだが、それでもここに来ずにはいられなかった。

 一刻も早く、何かの手掛かりを掴まないといけない。クシビは足早に都市部を移動すると精霊院に到着する。


 こうした地道な作業が続いている。外には英装術士や警護術士隊が蔓延っているので、しばらくは大人しくしていなければならない。


「………」

 クシビが精霊院の裏口で待っていると、すぐに出迎えが現れた。


「ソノカ会長、少し渡したい資料が――」

 クシビが口早に切り出すが、そこに現れたのは別人だった。


「く、クシビ君……」

 弱々しい口調で話し出すその女性は――訓練生時代に確かに見覚えがあった。


「君は……確かイサラ・カヤ……」クシビは名前も思い出す。彼女も訓練生時代に一緒にいた事のある人物だ。

 ソノカ会長と同じく、精霊魔術の訓練を受けていた。


「うん、覚えててくれたんだね……。ソノカ士長は今出かけているの……。何か用事があるなら、私が代わりに請け負うけれど……」

「あ、ああ……。それじゃあ、この資料を渡しておいてくれるかな」

「う、うん……。わかった……これだけでいいの?」

 そっと資料を受け取る巫女だったが、その様子はどこか覚束ない。


 それどころか、こちらの様子を心配そうに度々伺ってくる。


「く、クシビくん。いったい何があったの……? ソノカ巫女士長からも色々話は聞いてるの……。何か辛い事があったのなら、相談に乗るよ?」

「い、いや……。別になにも辛い事なんて……」

 いきなりそんな心配をされたので、クシビも口調が覚束なくなってしまう。


「うそ……。クシビくんって、昔から謙虚で優しい人柄だったのに……。今じゃこんなになってるんだもの。そんな事言われても信じられないよ」

「う……」

 過去の事を思い出され、少し顔を反らしたくなるクシビ。昔の自分とのギャップを考えると、今の状態は奇怪に映るかもしれない……。


「それに、外でまた何か騒動があったみたいだし……クシビくんも関係しているんじゃないかって……」

 騒動のことは流石に都市部でも有名のようだが、鋭い指摘だ。


「え、えっと……。まあ、とにかく俺の事は心配いらない。とりあえず、これを」

 急いで資料を手渡すクシビ。それを受け取るカヤだったが、やはり心配そうな表情は消えなかった。


「それにクシビ君……。英装術士兵団に追われてるんだって? あそこは、アヤメちゃんもいるのに……」

「あ、ああ……。あいつの事は心配いらないんじゃないかな……。元気だし、やられるような奴じゃないし」

 何と言っていいかわからず、クシビはそんな返答をするしかない。


「そうじゃないよ……。クシビ君が追われてるって事の方が心配だよ。だってアヤメちゃんとは、とても仲が良かったのに」

 そんな事を言われたので、クシビはとうとう耐え切れなくなった。


「あ、あー、えっと、とりあえずソノカ会長に伝えてくれるかな? この内部資料の気になる部分があるから、その事を後に聞かせてほしいって……」

「今はソノカ巫女士長ね」即座にカヤが訂正を入れる。

「あ、ああ……。ソノカ巫女士長に」

「うん、わかった。ふふ、でもクシビくんって昔と変わってないんだね。会長って呼ぶのが未だに抜けないなんて」

 カヤは、ソノカ会長の業務を手伝うクシビの姿を思い出す。あの頃は、本当に働き者だった。


「いや……。俺は……」

 クシビは、またもやなんと答えてよいかわからず、返答に困る。成り行きで昔の呼び方を続けていただけなのだが……。


「任せて。ソノカ巫女士長にはちゃんと伝えておくからね。クシビ君の言う通り」

「ああ、ありがとう。助かる」

 それじゃあ気を付けて、と別れの挨拶を交わすと、クシビはそのままその場を急いで後にしていた。






「どうしたの? さっきの様子。まるであなたらしくなかったわね。」

「覗き見か。趣味が悪いな。それと妙な勘違いをするな」


 帰り道の途中、付近で待っていた情報屋にそう告げられる。


「昔の友人に懐かしくなった?」

「もうそんな柄じゃない」

 知ったような笑みを浮かべているのが気に入らず、クシビは急かす。昔の自分など、もう忘れてしまった。


「ふふ、あの大逃亡者が狼狽えているなんてね。さてさて、貴重な光景が見られたわ」

「………!」

 茶化して来るのに耐えきれず、クシビが口を挟もうとすると、情報屋が伝える。


「そういえば、あなたのお友達から連絡が入っているけど?」

 イライラとしながら立ち止まるクシビ。情報屋からの言葉を、そのまま聞いていた。










 街が暗くなり、都市部には辺りを明るく照らす街頭が光り点っていた。

 リョクは店のカウンターに座り、刻一刻と過ぎていく時間に身を委ねている。

 お酒を飲み交わし、楽しげな会話が店内に響いてきた頃、店の扉が音を立てて開いた。


「リョク、すまない。少し遅くなった」

「よう、クシビ。気にするな」

 クシビが飲み屋の店に入ると、カウンターに座って待っていたリョクにそう謝った。飲み屋では、リョクの仲間の術士も来ている。


「久しぶりだな。こうして飲むのも」

「そう言えば、そうだな」

 クシビが答える。訓練術士生の時代はよくこうして飲み屋に入った物だが……。


「どうしたんだ? 話って」クシビがリョクに問いかけて隣の椅子に座る。同時にバーに構えていた店長に酒の注文をした。

「いや、最近のお前を見ていると、何だか無理をし過ぎているんじゃないかと思ってな……。この間のお礼も兼ねて、息抜きにでもどうかと誘ってみたんだ」

「別に無理はしてないさ。そっちこそ毎日警護の任務を大変だろう」

「俺はお前ほど苦労はしてない」

 そう言うと、リョクは酒を口に運ぶ。氷の音が静かに響いた。


「仲間はいいのか?」クシビが聞く。

「ああ、今日はオフだ。みんなで盛り上がってくれている」

 隣の部屋では、リョクの仲間である複数の術士がテーブルを囲い、盃を交わしている最中だった。賑わい、楽しむように会話を弾ませている。


「一人でよくこれだけのギルドを育てたもんだ。やっぱりお前はリーダーに向いてるよ」クシビが言った。過去を思い返してみても、リョクの肌柄は際立っている。

「お前にそう言われるのは何度目かな。俺は別に人の上に立つような大した人間でもないんだが」

「そんな事ないさ。俺もアヤメも、お前の世話になってるんだ。人望の厚い人間ってのは必要だ。いつの時もな」

「周りがいい奴等ばかりなんだよ。俺は別に何もしてない。」

 リョクがそう答えると、クシビは何も返事をせずに意味ありげに苦笑するしかなかった。

 このセリフは、リョクが昔から口癖のように言っていたセリフだ。


 ――俺は人の上に立つような人間じゃない。周りがいい奴等ばかりなんだ。


 店長から注文の酒が届くと、クシビも同じように口に含んだ。

 いつ頃からか……。こうして酒を飲むのも久しぶりだ。


「クシビ、お前、この先大丈夫なのか?」

「この先?」

 リョクは真剣な表情を向けていた。


「ああ。ずっとこの先の事さ。お前が目的を追い掛けて、過ごしていくこれから先の事だ」

「……たぶん、今までと同じだ。何も変わらない」

 リョクの言葉に、クシビはそう返事をする。自分の目的を果たすために、こうして違法術士の身となった。


「俺も仲間も助かってるけどな……。クシビ、お前がいたから外周の移住民も無事に守れている」

「………」

 リョクが真剣な表情のまま続ける。


「だけどな、クシビ。俺はそれと同じくらいにお前の事が心配だ。このままずっと今の生活を続けるなんて、これほど危険で辛い事はないだろう」

 真剣なリョクの言葉に、クシビは何も言わずに黙っていた。


「違法術士も今は大勢いる……。お前が毎日危険な事をしているのは知っている。最近、外放区では騒動が慌ただしくなっていると聞いている。まったく、無理をしてないなんて言ってたが、俺にはそうは思えない」

「………慌ただしくなっている時こそ、注意が必要なんだ、リョク」


 慌ただしくなっている時こそ――そこに敵の思惑が隠れているかも知れない。


「何を言ってるんだよ、まったく……」

 そんなクシビの様子に呆れるリョク。危険を省みない所か、それをチャンスと見ている表情だ。


「それに目的を果たしても、英装術士に追われる毎日が続くだろう」

 リョクが言う。クシビの今までの事を思い返しても、辛く厳しい経験しか思い浮かばない。このままでは、将来もずっと厳しい日々を過ごすことになってしまう。


「クシビ……。お前、そろそろ足を洗ってもいいんじゃないか?」

「それは無理だ……リョク」

 クシビはそれだけを答えた。しかしリョクは、そんな様子を見ながら続ける。


「まあ、お前ならそう言うとは思っていたがな……」

 苦笑するしかないリョク。やはり思った通りの回答が返ってきている。


 酒を口に含み、少し間が空いた。


「……それにアヤメも心配してる。あいつはお前の事をずっと気に掛けているぞ」

 その言葉に、クシビは黙ったまま何も言わなかった。


「本当に気が狂うんじゃないかと思うくらいにお前を心配してる。まったく、せっかく英装術士になったのに、いちばん身近にいた人間が違法術士になったんだからな」

「………」

 リョクに笑われるクシビ。本来なら面目丸つぶれもいい所なのだが……。どんな顔を向けていいかわからないクシビ。


「俺達の夢だったじゃないか。正規の術士になるってのは……。あいつがそれを一番楽しみにしてたのは、お前もよく知ってるはずだろう」

「……今は昔とは違う。時が経てば、色々と変わる物もある」

 クシビが短く答える。しかし、リョクはそれをキッパリと否定した。

「変わってないさ、お前はな。俺が一番よく知ってる」

「………」

 クシビは黙ったまま何も話さなかった。リョクは笑みを浮かべているが、クシビは頑なに表情を俯かせたままだ。


「頑固な所も、な」

「お前も、お節介な所は変わってないぜ」

 リョクが揶揄するように付け加えるので、クシビもそう言い返す。そして、手にあるグラスの酒を飲んでいく。

 それでも晴れず、クシビは言いようのない思いだけが胸に溜まっていた。


「お前がこのまま違法術士を続けると……。あいつも悲しむ。アヤメはお前を追い掛けなければならないと思った時、誰よりも自分を責めたはずだ。」

 リョクはアヤメの言葉を思い出していた。忘れもしない、クシビが違法術士となって現れた日の事だ。


 ――なんで、なんで……私は……。


「何で身近にいた自分が気づいてやれなかったんだって、あいつはずっと言っていたぞ」

 そう言って泣いていたアヤメは、心底自分を恨んでいる様子だった。

「……少しはあいつの気持ちも考えてやれよ」

 リョクがそう言うと、クシビも思い出すように口を開いた。


「……あいつもお節介なだけだ。昔から気にもしない事に次々に首を突っ込んでくる」

「クシビ……。」

 リョクが悲しそうな表情になるが、クシビは口調を変えようとはしなかった。

 あいつは人の事情も知らないで……勝手なことばかり……。


「いつもそうだ。こっちの迷惑も考えずに……。」

 そうだ、昔からあいつは……。どんな事にも首を突っ込むようにして……。


 クシビはそう言って口を閉じ、リョクも顔を俯かせていた。


 次にリョクが口を開こうとした時、グラスのなかにあった酒を飲み終えたクシビは椅子を立ち上がっていた。

「そろそろ時間だ。ここらで失礼するよ。今日はありがとうよ」

「もう帰るのか? 金は俺が持つぞ、クシビ」

「いいって。俺の分は俺が出す。仲間の分だけで精一杯だろ、団長さん」

「………」

 そう言い残すと、クシビはカウンターに金を置き、その場を後にした。

 リョクも観念したように席を戻すと、そのままカウンターを後にして、テーブル席へと移動した。


「リョクさん、もう話はいいんですか?」

「ああ、時間を取らせて悪かったな」

 リョクが話し終えたようだったので、仲間の一人が声をかけた。


「いえ、それはいいんですが……。クシビさん、何だか大変そうでしたね」

「そうだな……。あいつの性分なのかもしれないな……。俺が何とかしてやれたらと思っていたんだが……」

 深刻な表情をするリョクに、仲間の術士は何と言葉をかけてよいのか分からなくなる。

 話し合いは上手くはいかなかったようだ……。


「でも……クシビさんって、昔もリョクさんと仲が良かったんですね」

「まあ、そうだな。あいつとは訓練術士兵時代には色々と修羅場を味わってきた物だが……。まったく身に染みる苦労だった気がする。あいつがいなかったら、俺もここにはいなかったかもしれないな」

 団員の術士は興味をそそられる。リョクさんにも訓練兵時代の過去はあったのだ。


「だが、それよりもあいつはアヤメといる時が一番輝いていた気がする」リョクが懐かしむように思い出すが、団員の術士は誰の事か分からない。

「アヤメ……? 同僚の一人ですか?」

「ああ、英装術士兵団のサキノジ・アヤメだ」

「ええ!? あの、英装術士兵団の!?」

 その事実に、仲間の術士は驚くしかない。


 英装術士兵と言えば、この都市を守り、平穏をもたらしてきた有名な術士兵団だ。この州都市内に留まらず、世界中でも幅広く活動しており、その知名度は名を知らない人間などいないほどだ。


「あいつはアヤメと一緒に新入生の名コンビなんて呼ばれてたもんだ」

「本当ですか?」

 その事実に、さらに驚きを隠せない団員。


 英装術士の一人と、今は違法術士の一人が、昔はそんな名前で呼ばれていたなんて思いもしなかった。


「ああ、アヤメと組んでいる時のあいつは輝いていた。お互いの弱点を補い合うようにして巡り合ったペアだったからなあ。アヤメと組んでいる時のあいつは、いつもより生き生きしていたよ」

「へえー……」

「他にも色々あって、今はこんな形になったが……」

 ふと、昔を懐かしむリョク。昔のクシビとアヤメの姿をハッキリと思い出す。

 チームを組んで訓練をしている時のあいつらは、どんな時よりも生き生きと輝ているように見えた――。








 帰り道、クシビは暗く狭い路地を歩いていく。外放区でもの人通りの少ない区域で、辺りには古い壊れかけの建造物が並んでいる。


 ――お前、そろそろ足を洗ってもいいんじゃないか?

 リョクの言葉が脳裏に浮かぶ。心配をしてくれている友人がいる。


 ――俺は、お前の事が心配だ。

 暗い路地を歩き続けるクシビ。空の模様は月が見えず、雨が降ってきそうな程に曇っていた。


 ――アヤメも心配している……。


「………。」

 昔のことを思い出すクシビ。いつも和やかに過ごしていた日々が蘇ってくる。ふと天を仰げば小雨が降り注いでいた。


 だが……自分にはもう帰る場所はない。もはや、あの時のような平穏に戻る事はできない。

 自分はもう違法術士なのだ。


 ――クシビ、一緒に術士になろうね。


 その笑顔を思い出した時、クシビの足が止まる。


 だが次の瞬間、突如襲ってきたのは――魔術による爆炎だった。


「ぐっ……!!」

 いきなりの奇襲に不意を突かれるクシビ。

 魔力の少ない状態で、魔法の直撃を受けてしまった。


 出血と共に痛みが体を蝕む。


「へっ、この間は仲間が世話になったみたいだなあ! また賞金が上がったぜ? ヤタノハ・クシビ!」

「くっ……!」

 クシビが銃と剣を急いで構える。この間相手をした連中の一味だろう。

 不意を突かれながらも、急いで体勢を整えるクシビ。

 痛みが体中を蝕み始める。


「術士を雇ったか……」

「へっ、仲間の敵討ちだからなあ、色々と手を回したのさ。おまえを葬りたい奴なら大勢いたからなあ」

 辺りを見回すと、正規の術士兵らしき人物が何人か見受けられた。整ったある程度の武装を施している。賞金稼ぎ、恐らくは自分の懸賞金が目当てなのだろう。賞金稼ぎのギルドだと思われた。


「………。」 

 自分は外放区でも指名手配をされている。正規の物ではない裏の賞金首リストだ。

 名前を聞けば、こうして雇われる術士もいるだろう――。恨みを持っている高地位の人間も少なくはない。


 苦戦を強いられる事を覚悟しながら、クシビは戦闘を開始した。










「指令長、散策任務の許可を頂いてもよろしいでしょうか?」

「またか? 任務後の時間は規則では自由だが……。あそこは警護術士隊が請け負う場所だ。私達の活動範囲内ではないのだぞ?」

 その言葉に、アヤメは真剣な面持ちで頼み込む。


「お願いします。周辺の散策は警護術士隊にも迷惑の掛からないよう行いますので、どうか許可をお願いします」

 それでもアヤメは頭を下げて頼み込んだ。


「……仕方がない。そこまで言うなら許可しよう」

「ありがとうございます」

 指令長の許可が下りると、すぐにアヤメは工場区付近へと向かう準備に入った。リョク達や他の住民達が少し心配だ。騒ぎが大きくなっているのもあの周辺なのだ。


「アヤメ、また出かけるの?」

 その途中で、サナが出かける準備をしているアヤメを見かけたので、そう声を掛ける 。


「ええ、工場区の探索に出かけてくるわ。」

 アヤメは元気な声で返事をした。


「一仕事終えた後なのに、そんな無理して大丈夫なの? 魔力の使い過ぎには注意よ」

「ううん、大丈夫よ。それにリョク達の事も気になるし。工場区の事も放っておくわけにもいかないもの」

 すぐに出かける支度を整えるアヤメを見ては、サナは息を吐くしかなかった。


「まったく、働き者ね。アヤメは」

「そんな事ないわよ。私には魔力がまだ有り余っているんだから」

 そうして、すぐに出かけていくアヤメ。そんな後姿を見送りながら、本当に働き者だとサナは思っていた。


 雨の降りつける中、アヤメは工場区の捜索に出た。この間の猛獣の事件があったばかりで、心配して辺りの警護と捜索を兼ねていた。


 ――この辺りには異常は見られないわね……。


 付近の捜索を続けていくアヤメ。また同じようなとが起こっては大変だ。一刻も早く何か手掛かりを見つけなくては……。


 リョクの事も気になるし……。あの住民達も……。


 あそこで辛い暮らしを強いられているのは知っている。今、それがさらに厳しい状況になっていることも……。


 ――私も力にならないと……。

 アヤメはそうして捜索を続けた。指令長には無理を言って許可を貰ってもいる。

 あまり大掛かりなことは出来ないが、この少ない時間の間に少しでも手助けになることをしなければ……。


 しかし、突如無線に音声が入る。


『緊急指令、緊急指令。只今、外周区のF24ポイントにて、魔力の衝突を確認。大至急、現場に急行せよ』

 近くの警報が鳴り響いた。アヤメは急いで無線のスイッチを入れる。


「サキノジ・アヤメ。付近です! 私が向かいます!」


 アヤメはそう無線に返す。その位置はクシビの出現ポイントと似ている。最近目撃の多発していたポイントだ。出現頻度からしても、この警報は一致する。


 この警報は――クシビの可能性が高い。


 もしかしたら、また大きな事件が発生したのかもしれない。

「……!」

 そうとわかると、アヤメは急いで走り出した。出現エリアを確認し、そこへ向かう。


 これはチャンスかもしれない。


 これがクシビなら、今度こそ私が止めなければならない。全てが手遅れになる前に――。

 アヤメは、息を切らせながら目的地へと走り続けた。雨が降り注ぐ中、都市部を移動し、魔力の痕跡が確認されたと思わしき場所へ到着するアヤメ。


「はあ、はあ……」

 工事区の外れに来て、急いで周辺に目を配る。初めは建物が古びて崩壊しているものだと思ったのだが――よく見ると、それは確かに戦闘の痕跡だった。


「…………!」

 辺りはバラバラになっており、多人数での戦闘があったと思われた。


 しかも、この戦闘の規模は穏やかな状況ではない。


 バラバラになった建造物の破片や、それに混じってはっきりと――血の跡が付いている。

 不安だけが胸によぎる。もし、これがクシビなら……ただ事で済んではいないはずだ。


「………!」

 アヤメは急いで辺りを探し回る。何も危険な事が起きていないことを願いつつ、辺りを探し続け、一つの曲がり角を進んだ時――少し開けた広場へと出た。


 そして、その先で人影を見つける。


 辺りには――術士達が倒れ伏していた。動いている者は一人もおらず、ほとんどが負傷していた。

 その中心に、クシビがいた。

「く、クシビ……?」

「――!?」

 アヤメはそっと声を掛けた。クシビが驚いて振り返る。


「馬鹿、来るな!!」

 アヤメが歩き出そうとした瞬間、クシビが叫ぶ。

 その途端、アヤメの目の前は爆炎で覆われた。


「ううっ……!」

「くそっ! 英装術士だ! こいつもやっちまえ!」

 不意打ちを受け、前に倒れそうになるアヤメ。その背後から二人の術士が襲い掛かった。


 アヤメは、背後に敵が迫っているというのに――何もする事ができなかった。いきなりの出来事に、対応する暇も無かった。


 しかし、その倒れそうになるアヤメの体をクシビが支える。


「……え?」

 アヤメは思わず声が漏れる。生々しい音が耳に聞こえた。

 痛みの中、何が起こったのかを確認するアヤメ。 


 そして目に映ったのは――背後に迫っていた術士に、クシビが剣を突き立てている光景だった。


「がはっ……!!」

 深々と体を貫かれた男が吐血する。


 雨のように飛び散った血が――クシビにも降りかかった。


「っ……」

 その光景をアヤメは信じる事ができなかった。わかろうとしても、頭が理解できなかった。

 剣は深々と体を貫いている。赤い血は雨のように流れていた。生きている事ができないとすら思えるほどに……。


 クシビが、人を――。


「ち、ちくしょう!!」

 仲間の術士が倒れるのを見て、後に残った違法術士がクシビに襲い掛かろうとする。しかし、その表情は恐怖に怯えており、もはや足取りも覚束ない状態だった。


「………」

 残った男に目を向けるクシビ。


「ひっ」

 クシビが剣を構えて魔力を研ぎ澄ませると、男はその威圧に震え上がった。

 圧倒されるほどの魔力の強さだ。

 剣から滴り落ちる血液。生々しく、赤い鮮血の色が濃く浮き出る。これだけの術士と戦ったというのに、まだ魔力が残っている――。


 こんな化け物に、自分が適うはずもない。


「う、うわあああっ!」

 武器を捨て、怯えて逃げていく術士。クシビは息を吐くのも忘れてしまう。


 これで向かってくる者は――誰もいなくなった


 後は、固まったままこちらを見ているアヤメが残っているだけだった。今しがた起こった事を信じられないような――放心した状態のまま動かなかった。


「………。」

 クシビは何も言わずに振り返り、その場を後にしようとする。


「ま、待って……!」

 震えた声が背後から響く。だがクシビは、そのまま足を止めなかった。


「待ってったら!」

 アヤメの悲痛な声だけが響き渡る。だが、クシビは何も答えず、そのまま離れていくだけだ。


 ――私の所為で……。

 急いで追いかけようとするが、足が震えているアヤメ。辺りの惨状が目に焼き付いて離れない。


「どうしてこんな事になったの!? 答えてクシビ!」

 アヤメは必死にそう尋ねるが、クシビは何も答えなかった。


 だが、ここで何もしなけければ、また同じような事になるだけだ――。


「っ!」

 すると今度は、ガチャリという音が響く。そこで、ようやくクシビの足が止まる。


「お願い。もう、それ以上、動かないで……!」

 側に落ちていた銃を拾い――アヤメはその銃口をクシビに向けていた。

 振り返ったクシビの横姿を目にするアヤメ。戦闘の後で、血痕が付いている。


 雨に打たれても、鮮明に浮き出る程に。


「逃げないで……! お願い! 私と一緒に来て! 悪いようにはしないから……!」

 アヤメの銃を持つ手が震えた

 クシビは向き直ったまま、その銃口に目を向ける。昔の光景が脳裏に蘇っている。


「……お前、魔術は上手だったのに、銃の扱いは苦手だったよな。そう言えば」

 アヤメの震える手を見て、少し懐かしむように言うクシビ。


「今はどうなんだ? そんなんじゃ、他の奴に先に撃たれるぞ」表情を変えず、静かにクシビが言う。

「ば、バカにしないで! 私だって、英装術士の一員なんだから……!」

 覚悟を決めたように、アヤメがトリガーを握りしめる。確かに普段は銃を使わない。扱いにも馴れていない。しかし、ここで弱みを見せれば、また同じことになってしまう――。


「あなただって、絶対に止めてみせる……!」

 そう強気に言い放つアヤメ。クシビは表情一つ変えないままだった。


「……俺はお前と争うつもりはないんだ」

「っ! だったら、私の言うとおりにして!」銃を構えたまま叫ぶアヤメ。

「言ったろう。俺にはやる事がある。こんな所で時間を費やしてる暇はない」

「じゃあ、無理にでも連れて行くから!」


 その瞬間――クシビが勢いよく動いた。


「きゃ……!」

 バンと言う発砲音が、悲鳴と一緒に響き渡る。

 次の瞬間には、アヤメは腕ごと壁に押し付けられていた。


「ご、ごめん……! 血が……!」

 クシビの頬に血筋が流れる。大したことのない傷だが、それでもアヤメは心配をしていた。


「………」

 魔力の弾がほんの少し掠めただけだ。この程度の傷、すぐにでも塞がると言うのに――。


「い、痛……っ!」

 腕を強引に握り、そのまま壁に押し付けるクシビ。

 アヤメの手に持った銃を落として、額が近づいた。昔から見慣れた顔立ちが目の前にあった。


「どうして……。どうしてなの……? 昔はあんなに優しかったのに……」

 悲しげな声を上げたまま、アヤメの瞳に涙が流れた。

 見たこともないその表情。

 クシビは黙り込んだまま、その表情を見つめ返す事しかできなかった。


 これは――あまりにも目の毒だ。


「っ!」

 腕を振りほどき、そのままアヤメを突き放す。


「……今は昔とは違うんだ。人の心配よりも、今は自分の心配だけをしろ」

 クシビがそう言い放つと、アヤメはその場に力が抜けたように座り込んだ。


「ううっ……。」

 蹲ったまま動けないアヤメ。

 クシビは、そのまま背を向けて歩き出した。力の抜けたアヤメは、もはや追っては来なかった。

 クシビは魔力を込めると、その姿を消した。


 あとに残された路地裏では、アヤメがじっとその場に蹲ったままだった――。









 魔力が底を尽きると、魔法が解け、路地の途中でクシビは実体を現した。そして、そのまま急いで店まで向かうのだが――。


「うっ……。ごほっ……!」

 負っていた傷が痛み、足に力が入らなくなるクシビ。治癒薬を飲んだが、傷は思ったより深刻な物だった。


 ――どうしてなの? 昔はあんなにやさしかったのに……。


「っ……」

 頭がぼーっとしている。先ほど何が起こったのかもうまく思い出せない。

 壁に寄りかかり、這っていくようにして前を進むが……道のりは遠いように思えた。

 クシビは覚束ない足取りのまま、通り慣れた裏路地を進んで行った。










 その後、英装術士団施設内で緊急を要する事件があったとの報告が届いていた。ヤタノハ・クシビの目撃情報があったのだ。

 辺りが騒がしくなる中、サナも何が起こったのかを把握しようとしていた時、施設内に戻っていたアヤメの姿を目撃する。


「アヤメ……?! どうしたの?! 血だらけじゃない!」

「だ、大丈夫……。少し……」

 アヤメは服が血まみれの状態だった。


「少しじゃないわよ……! いったい何があったの?」

 サナが心配をして尋ねるが、アヤメは放心状態で、ぼーっとしたままショックを受けているだけだ。


「アヤメ……泣いてるの?」 

「………。」

 よく見ると、アヤメの頬からは確かに涙が流れていた。

 最初は雨に濡れただけだと思っていたが、大粒の涙がはっきりとその目に浮かんでいる。

 そして、血だらけの服装を見て――サナは何かを察する。


 この血の量は、普通ではない。


「大丈夫、きっと大丈夫だから……!」

 アヤメを抱きしめるサナ。追っている彼との間で何かがあったのだ。何か酷い事が――。


「私のせいなの……」

「え?」

 僅かに発せられたその言葉に、サナが聞き返す。


「私のせいで、クシビに人殺しなんて……」


 絶句するサナ。

 アヤメが静かに呟いたその言葉は、とても信じられないものだった。







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