第五章
「アヤメ隊員、君に昇進の話が出ている。そろそろ功績も十分な頃だ。」
「昇進……ですか?」
上官の言葉に、アヤメが聞き返す。
「ああ、違法術士の捕縛もされているからな。上にも認められた頃なのだろう」
そのまま話を一通り聞き終えると、アヤメは一礼をした。
「やったじゃない、アヤメ」
隣にいたサナが喜んで声をかけるが、アヤメの表情は複雑だった。
「うん……でも、私が昇進していいのかな……」
「何言ってるのよ、これまでも十分に功績を上げてるんだから」
サナが言うが、アヤメの表情は晴れなかった。脳裏に浮かんでくるのはクシビの事だ。
自分はクシビを捕まえる事すらできていないのに……。
友達一人……大切な人間ひとり救う事ができていないのだ。
「また彼の事が気になってるの?」
サナのその言葉に、アヤメは表情を俯かせたままだった。
「私は何もできていないわ……。」
アヤメがそう答えると、サナはやっぱりと言った表情に変わった。
「そんな事ないわよ。アヤメは十分によくやっていると思うわ。例え今は進展がなくてもね」
サナがそう言って否定する。
「彼もきっと喜ぶんじゃない? アヤメが昇進したら」
「まさか……。もう……昔のように喜んでくれるとは思えないわ……」
あれだけの事があったのだ……。クシビはまるで人が変わってしまった。
もし、そうだったら、どれだけ良かっただろうか……。
何があったのかを知りたいと思っても聞き出す事はできない。
自分には、クシビの事を理解してやれなかった。
もはや、あの頃のように喜んでくれるとは……。
「ふふ、それにしても、よっぽど気になっているのね。彼の事が」
そんなアヤメの様子を見ては、サナは笑みを浮かべた。アヤメはいつも変わっていない。
「な、何か勘違いしてそうな言い方はやめてよ。私は身近にいた人間として純粋に心配をしているの」
「そう? 私には何だか似た者同士って感じがするけどね」
サナがそんなことを言うので、アヤメもすぐに否定する。自分は側にいた人間として純粋に心配をしているだけなのだ。英装術士として、人として当然の事をしているだけだ。
「私は……英装術士として、側にいた人間として、また元の真っ当な人間に戻す責任があるの」
「そう……。でも、あんまり気を貼り過ぎないようにね」
サナが言うが、アヤメは手に持った英装術士の腕章を眺める。
「………。」
自分は、この英装術士となる為、必死に訓練兵時代を過ごしてきたのだ。
いつもいつも訓練を重ねて、同じように隣にいたはずの存在が……。
お互いに支え合い、目指している場所は同じだと思っていた。
いつから変わったのだろう……。私達は……。
どうして、クシビは違法術士になってしまったのだろうか……。
「クシビ様、そろそろお出かけですか?」
「ああ」
シズネが申し出ると、クシビは玄関先の扉を開けようとしている所だった。
「用心せい、クシビよ。街の気配に少し変化が見られた」
「英装術士の事か?」
「いや、違う。もちろん、それもそうじゃがのう。警護術士隊や英装術士に対しては、警戒するに越した事はない。だが、僮の使いがそんな簡単に捕まるような失態を犯すとは思えない」
「………。」
誰が使いだ、誰が。なぜ得意げなんだ。
「しかし、わらわが言いたいのは別の事じゃ。どうにも嫌な気を感じるぞ」
「と、すると、俺達の追っている標的か?」クシビが聞く。
「よくはわからん。うまく言葉にはできん。だが、嫌な気配じゃ。なにやら不穏な事が控えている気がするぞ。用心せい」
「……そうか。わかったよ」
ヒマリがそう言うからには、何か嫌な事が待ち受けているのだろう。ヒマリの感覚は通常の人間とは並外れている。
しかし、それでも調査の為に急いで街へと潜り込んでいくクシビ。
まずは、情報屋と待ち合わせをした場所に向かい、そこで時間が来るのを待った。
「おはよう。今日も随分と陰気な場所で待ち合わせね。もっと明かるい場所がよかったんだけど」
姿を見せたと思いきや、いきなり嫌味を言ってくる。
「同業者のお前がそれを言うのか」
「私はこれでも一般人のつもりよ。少なくとも、あなたよりはね」
「………」
その言葉に、クシビは何も返す事が出来ない。
「呪いなんて貰う物じゃないわよ。あなたを見てると、つくづくそう思うわ。まるで何かに取りつかれてるようになるんだもの」
情報屋の女は、クシビの様子を確認している。
「それに、いつまでたっても尻尾は掴めない。魔術契約も終わるとは思えないし……」
「今日の調査場所はどこなんだ」
バッサリと話を止めるクシビ。
「もう、そう急かさないでよ。ほんとにムードがないわね……。今日は調査報告書があるわ」
そう言って、調査報告書を手渡す情報屋。
「まったく、少しくらい余裕を持ったらどうなの……。あなたの強情さ、あまり良いとは思えないわよ。女性との待ち合わせ場所くらい少しは余裕を持って――」
嫌味のように言い放つ情報屋だが、クシビはまるで無視だった。情報屋はムキになって他にも言いたい事を言おうとしていたが、クシビは頑なにそれに応じなかった。
調査指定場所さえわかれば、あとはすぐにその場へと向かって行った。
魔術で建物を飛び越え、人気のない所を移動するクシビ。
――あなた、何かに取りつかれているようなんだもの。
「………」
クシビは黙ったまま、建物の上を移動する。
――遠い道のりになるやもしれんが……それでもよいな?
過去のヒマリの言葉が脳裏に浮かんでくる。薄暗い雨の日に、自分の前に現れたヒマリがそう告げた。
あの日から、この生活が始まったのだ。
「………。」
自分には、これ以上できる事があるのだろうか。何としても捕まえなくてはならないはずなのに……。リョクの為にも、自分の為にも――。
――お前、最近無理をしてるんじゃないか?
そんなリョクの言葉を思い出す。昔は、いつも三人でよく仲良くしていた。訓練学校では、いつも同じ時間を過ごしていた。
リョクも、アヤメも――三人とも、立派な術士兵を目指して頑張っていた。助け合い、苦労し合い、目標を同じように目指しながら日々を過ごしていた。そして、ようやくの思いで正規の術士兵になったんだ。
それなのに……俺は……。
移動をしつつ、辺りを探っていくクシビ。途中で、情報屋から渡された資料を見ていた時だった。
「……ん?」
そこで気になる情報が目に入ってくる。
精霊院でも異変を察知している……? これはどういう事だろうか。
資料を見ていくと、他にも僅かな部分で精霊が異常を示していた。
――確か、ヒマリも何かの異変を察知していたと……。
そして、クシビが移動を続けている最中だった。何かがおかしいと思い、立ち止まる。
すると――突如、エリア内に警報音が響き渡る。
「なんだ……!?」
何かしらの魔力反応があったと思われた。すぐに、警報音が出された区域を確認し、クシビもそこへ向かう。
すぐ間をおいて、通信端末に連絡が入った。
「何があった、リョク!」
「すまん、クシビ! 急に変異種の魍魎が大量に現れたんだ!」
それを聞くと、クシビは移動速度を速めた。案の定、ヒマリの嫌な予感が的中した。
幸い、工場区のリョクの場所まではそう遠くはない。加速の魔法を使い、工場の上を一気に飛んで移動するクシビ。
工場区の一角まで来ると、そこではすでに戦闘が始まっていた。
「グルルルル……!!」
変異した中型の魍魎が雄叫びを上げて暴れている。それに対して、リョクの仲間が必死に応戦していた。
人一人分の大きさはあろうかと言う魍魎が、あちこちに沸いていた。
「加勢する!」
「く、クシビさん……!」
クシビも加勢に入る。魍魎が雄叫びを上げてそこにいる。
「っ!」
クシビが剣を取り出し、魍魎の一体を切り付ける。変異種は凶暴な雄叫びを上げて倒れたが、他に暴れまわっているのがまだ多い。
「ううっ!」
他の術士達も魔術を使って対抗するが、変異魍魎を止めることができない。
クシビは、数匹の変異種が真っ直ぐになるよう位置を取る。
「チャージ……!」
そして、手に持った剣に魔力を込めると、強く光り輝いていく。
剣が魔力で満たされると、強いエネルギーを帯びたまま光り輝いていた。
「――!」
チャージが完了する瞬間、クシビは足にも魔力を込めた。脚部の補助魔法を行使し、速度をさらに高めるる。
「っ!!」
そのまま魔力を解放すると、クシビは目で追う事ができない速さで異変種を貫いていた。
『グガアアッッ!?!』
さらに背後に控えていた数体の異変種を同時に貫き、水路の向こうへと一気に押し戻していく。
剣の魔力が消えると、貫かれた異変種は倒れ伏す。
しかし、背後ではまだ生きている変異体が動き始めている。
「援護するぞ! あと少しだ! ここで食い止めるぞ!」
リョクの指示の元、駆け付けた術士達と一緒に、クシビも攻撃に加わった。
「ううっ、うっ……!」
「大丈夫だ……! 我慢しろよ、すぐ治してやるから……」
まだ幼い子供が被害にあっていた。それを必死に手当てしようとしている術士達。
治癒の魔術を施すが、少し深い傷を負っているようだった。
「ありがとう、本当に助かった……クシビ。お前がいなかったら、ここは危なかった」
隣にいたリョクがそう声を掛けた。
「……おれは、何もしちゃいない……」
他の大勢の怪我人を見ながら、クシビはそう返事をする。
自分には、もっと他にやらなければならない事があったはずだ――。
「いや、お前はよくやってくれたよ……。負傷者はでたが、これだけで済んだのは、お前がいてくれたからさ……」
「だが、それだけじゃ……。それだけでは、異変種の発生は止まらない」
このまま、成す術は無いままなのか……。
「……ここは、どうなるかわからんさ……。一応、術士警護の依頼をしておく。これだけの被害が出れば、流石に警護術士隊も何らかの手を打ってくれるだろうが……」
悲しそうに言うリョク。確かに何らかの手は打ってくれるだろうが、果たしてそれが有効かどうかはわからない。
それに、本当は被害が出る前に何とかしたかったのだ。
ここは無法地帯なのだ……。
最初は、州が警護の術士を雇って配置している程度だったのだ。しかし志願者は少なく、それを見かねたリョクのグループが代わりに活動に当たる事になったのが始まりだ。
「だが、それでも……あまり状況は変わらないかもしれんが……」
リョクもそう薄々は気付いていた。
「おれも対応を急ぐ……」クシビがその場を後にしようとする。
「もう行くのか? あまり無理をしないでくれよ。お前のことだから、また何か無茶をしてやり過ぎるんじゃないかと心配になってくるぞ。昔はそれでよく失敗してたろう」
「なんだよ、それ。そんな心配しなくても、必ず無事に手掛かりを見つけ出してみせる」
「そうか」
半場笑いながらリョクが言うが、クシビの背後を見るや、実は本当にそうなるのではないかと不安になっていた。
冗談を交えて、少しでもクシビの力を抜こうと考えたのだが……。
クシビは、その言葉を言い残すと、そのままその場を後にするのだった。
「何じゃと? 魍魎が強い瘴気に塗れておった?」
「ああ、そうだ……。今までの様子とは違っていた」
「それはあまりよい報告ではないな……。まさかそのような事態になっていようとは……」
ヒマリは顎に手を当てて考える。この状況は今までとは違っている。少し面倒なことになるかもしれない。
「ヒマリ様、情報屋の方にも報告をしてまいりました。さっそく調査をして来るとの事ですが、あまりよい成果は期待できない、との事です」
「そうか……」
ヒマリが頷く。これも、やはりと言うべきか――。
「ヒマリ、他に何かわからないのか?」クシビが落ち着かないまま尋ねる。
「何を焦っておる。このような事態は予め想定していたじゃろう。確信に近い手がかりを掴むには、それなりの大きな事件が必要なのじゃ」
「だが……このままでは……向こうのいいようにされるだけだ……!」
クシビが語気を強める。このような事態が続けば、いずれ立ち行か無くなる事態が起こるかもしれない。
手遅れになってからでは遅いのだ。
おそらく、この魍魎は解決されないだろう。英装術士は、この事件を探りを入れるのは後回しになる。根本的な解決には至らないはずなのだ――。
「クシビよ。敵から尻尾を見せなければ、こちらからは何も足取りは追えん。今回の事件でもある程度の痕跡は辿れるやもしれぬが、それ以上はお主もわかっているはずじゃ」
「………」
クシビが唇を噛んだまま俯く。この事態を引き起こしているのは――。
「因子の印を持つ者は、そう簡単には姿を見せぬ」
ヒマリが言った。因子の印を持つ者は、かなり異能の存在とされている。
その因子の印を手に入れる事が――違法術士となった今の自分の使命だ。
「工場区に変異した魍魎が出現した?!」
その報告にアヤメが驚く。聞かされた話は信じ難いものだった。
「はい。中型の凶暴性の高い魍魎のようで、居住民の複数と術士が被害に合った模様です。子供も怪我に合ったようですが、幸いにも重傷者はいない模様です。怪我をした住民も、今は回復に向かっているとのことです」
その報告を聞いて、アヤメは戸惑う。あの場所には、リョクが一緒にいたはずなのだ。
今はフリーのギルドとして、あそこを警護している。
あの場所は、私も偵察に行っていたはずなのに……。
「上官達はなんと?」
「はい、今回の件に伴い、調査と警護の強化を始めるとの事です。そのような要望が護衛をしているギルドからもされていたようで」
「そう……。」
その言葉を聞いて、アヤメが表情を俯かせた。
あの場所は、リョクからも要請が出されていたのだ。
しかし、住民には被害が及ばないと見ていて、警護術士隊や英装術士兵団も警備強化の必要はないと考えていた。
それが、こうして被害が出てしまった……。
「………。」
あの場所は一般市民でない移民を住まわせている場所だ――。
外の世界からの移民が、安全な場所を求めてこの都市部へ来た。
しかし、都市部はそれを受け入れる事ができず、今もこうしてバリゲードの周辺――都市部の外に居を構えている。
ろくな設備もなく、都市部とは比べられないほどの苦しい生活を強いられている……。
「………。」
それでも今は後回しになるのだろうか……。本格的な調査をするには、地下水路は複雑すぎる。
しかし、それでもリョク達のギルドは、その住民達を守ろうと警護のために頑張ってくれていたのに……。
「これから、正確な調査を行う予定です」
「わかりました。私も行きます」
調査員の言葉にアヤメが頷くと、自分も急いでその場所へと向かった。