第八章
喫茶店に入り、その中のテーブルに座り込んで悩むユヒカ。
「ううーん、どうやったらクシビさんを笑わせられるのかしら……。」
そんな事を口走る。あのクシビさん石のように固い表情をどうにかして柔らかくしたい。
あの写真の時のように――。
「ねえ、OSさん。あなたなら何か知っているんじゃないかしら?」
「笑わせる、ですか? 主はさっきも笑っていたように見えましたが」
そう答えるOS。主はユヒカ譲に連れられている時も笑みを見せていた。
「違うわ。あれは愛想笑いって言って、本音で笑っているのではないの」
「そうですか? 主はいつもあんな感じですよ?」
滅多に笑う機会がなかったから、見当違いかもしれないが……。OSは自分の意見をそのまま述べる。
「いいえ、クシビさんにも、きっと本音はあるはずよ。もっと、こう……心から笑えるような出来事は……」
「あるじは自己表現が下手ですからね。」
考えるユヒカに、OSがそう答える。またこんな事を言うと主に怒られそうだ。
「そうよねえ。端から見てもヒシヒシとそう感じるもの。だからこそ、本当に笑う姿が見たいの」
「えっと……。それは、おそらく難題になると思いますよ……」
もう一度OSが自身の見解を述べる。あの主はそう簡単には本音を見せない。それを引き出そうとなると……。
自分の計算でも、かなりの難題になるのではないかと思えた。
その後、英装術士本部へと帰ってきたユヒカを、サナとアヤメが見ていた。
「ユヒカ様……ご機嫌な様子ね。何か良いことでもあったのかしら……」
「そうね。何だか嬉しそう」
端からみても、ユヒカの表情は明るい。初めの頃に見せていた暗い表情とは少し違う。
「何かと話しているのかしら……?」
そして、時折誰かと話しているような素振りを見せる。独り言だろうか……?
あれは、何だろう……?
「でもよかったわ。何か良いことがあったのなら、それに越したことは無いし」
アヤメが言う。辛いときに零す独り言や愚痴のような類ではない。
そうして、端から見ていると、突如ユヒカが振り返った。
「あなた達、何をしているの?」
「!?」
まさか、気付かれた!? 慌てて顔を隠す二人。ユヒカ様がこちらに目を向けている素振りは見せなかったはず……。気配も消していたはずなのに、どうして分かったのだろう……。
「どどど、どうしよう!? アヤメ……!」
「落ち着いて。まずは事情を話さないと」
慌てるサナに、アヤメが落ち着くように促す。
「うう、短い英装術士歴だったわ……。でも、僅かでもこの国の為に働けたのなら、私はそれで悔いは……」
「馬鹿なこと言わないで」
泣き崩れるように諦めているサナに、アヤメが叱咤した。
このまま隠れている事は出来ないと思い、アヤメは表にでる。
「貴方達……どうしてこんな所に隠れているのですか?」
まずユヒカが尋ねた。
「すみません、ユヒカ様。少々ユヒカ様にお尋ねしたいことがありまして」
「尋ねたいこと……? 私に?」
「はい……」
しかし、どうやって聞き出せばいいのか分からないアヤメ。個人の事情もあるだろうし、何より相手が相手だ……。
「しかし、あなた達は、どうやら、ずっと私の事を見ていたみたいですね」
OSが指摘していた事を思い返すユヒカ。
「そんな隠れるような真似をして。失礼じゃないかしら?」
「も、申し訳有りません。ユヒカ様」
「申し訳ありませんっ!! 」
サナが泣いて謝っている。確かに失礼な事をしてしまった。だが、ここで諦める訳には――。
「まあ、いいわ。この事は黙っていてあげる。
「え?」
その言葉に驚く二人。思いもしない言葉だった。
「代わりに、私の言う事を聞いて頂戴」
「言う事、ですか……?」
アヤメとサナが目を丸くする。
そして、ユヒカから事情を聞く二人。
「わかりました。話を通してみます……」
二人は顔を見合わせると上官に掛け合う為に司令室へと向かう。今の状況では、おそらく他に選択肢は無いだろう。
ユヒカ様の頼みを聞き届けなくてはならない。
「あなたも、随分と機転が利くようですね」OSが言う。
「ううん、これもクシビさんのお陰かもしれないわ。ふふ、きっとクシビさんならこうするだろうって思ったから」ユヒカは笑みを返して答えた。
「あまり主の悪い部分は真似しない方がいいと思いますよ?」心配にOSが助言する。
「ううん、これでいいのよ。これで私も少しは自由になれるんだから」
笑みを浮かべているユヒカに、OSは黙り込む。こんな事を学んで、主のように捻くれた性格にならなければいいが……。
「ユヒカ様を規定時間外に外へ出すことは出来ない。これはスハシム筆頭補佐にも言われている」
「そうですか……。」
それが上官の通告だった。やはり、ユヒカ様を外へ出す事は出来ない……。
廊下でその事をユヒカに通達すると、ユヒカは不満げな表情を見せるのだった。
「どうして?! 護衛だっているのに……!」
「申し訳ありません……。」
アヤメとサナが頭を下げる。しかし、その決定は自分たちだけでは覆せない。
サナとアヤメを連れて外へ出られるように願ったのだが、それも叶わなかったようだ。
「あら、ユヒカ。ここにいたの? ちょうどリハーサルの時間だから、はやくいらっしゃい」
そこへ、スハシム筆頭補佐と英装術士上官が現れる。
「………。」
残念そうに俯いたままリハーサルへと向かうユヒカの背中を見送る。
どうしてか――その姿を見るのが耐えられず、アヤメは思わず声を上げた。
「あの、失礼ですが、ユヒカ様……。」
アヤメが名乗り出ると、上官とスハシム筆頭補佐も振り返る。
「何かお困りのことでしたら、我々に何でもご相談ください。出来る限りで力になりますから!」
「………。」その言葉に、ユヒカは何も言えなくなる。
「どんな事でもいいので、話してもらえませんか? 何か事情があるのはわかりましたから、私達に――」
「ちょ、ちょっとアヤメ! 目上の人に対して失礼よ……!」
強引に迫るアヤメをサナが止めるが、すでに上官の顔付きは険しい物になっていた。
「アヤメ隊員、立場をわきまえろ。ユヒカ様にも色々な事情がある。我々が無理に聞き出すような事ではない」
「で、ですが……!」
それでもアヤメが食い下がらないので、上官の表情がさらに険しくなる。
「他の人に打ち明けられないような悩みでも、私達になら聞けることも……!」
「アヤメ隊員! 君はユヒカ様を友人か何かと履き違えているつもりか!」
「………!」
上官の言葉に押し黙るアヤメ。しかし、それでは、解決するものも出来なくなる……。
「さあ、ユヒカ様。こちらへ」
「………。」
ユヒカは黙ったままその場を後にする。今しがた言われた言葉が脳裏から離れない。
背を向けるユヒカ達に、アヤメが身を乗り出す。
「あの! 待ってください! ユヒカ様には、何か事情があると思うんです!」
「アヤメ隊員! 姫君に対して、これ以上の馴れ馴れしい言葉を使うことは許されぬぞ!」
「いいえ! 止めません!」
アヤメが声を上げて拒否する。その言葉に、周りが気圧される。止めようとしていたサナはその場で凍り付いた。
「ここで辞めたら、本当にユヒカ様が悲しい思いをするだけです。事情を話してくれれば、私は……!」
上官がさらに声を上げようとするが、アヤメはその場を動かない。
「私は諦めません。何を言われても、絶対に……!」
アヤメが覚悟を決めた表情で上官と対峙する。サナは冷や汗が吹き出し、顔が真っ青になった。
場の空気は硬直していた。
「もう良いわ。彼女達には何の罪も有りません」
緊迫を遮ったのはユヒカだった。その言葉に上官や護衛達が振り返る。
「よろしいのですか? ユヒカ様……度重なる失礼な言動を……」
「構いません。私は何も無礼な事とは思っていませんから。彼女達二人は何も悪いことはしていません」
その言葉に、上官とスハシム補佐が顔を見合わせる。
「もう行きます。この事で彼女達を咎めないようにしてください」
そう言って、ユヒカは歩き出した。
「……今回だけはユヒカ様のお言葉に免じて見過ごそう、アヤメ隊員。」
「そんな……まだ何も……」
弱々しく引き止めるが、ユヒカはその場を後にしていた。去っていくユヒカを、アヤメは止められなかった。
「申し訳有りません、ユヒカ様。うちの術士が数々の無礼を……」上官が謝罪を述べる。
「……彼女達は何も悪くありません」
ユヒカが言う。静かに廊下を歩いて、その場を後にした。
立ち去っていくユヒカを後ろ目に、アヤメが立ち竦む。
「アヤメ……。」
「………。」
アヤメが悔しそうに唇を噛んでいる。こんな表情を見るのは久しぶりだ……。
サナは、あまり見たことのないアヤメの表情を見て、これからどうすればいいのか分からなくなる。
ユヒカ様のため……それとも自分達のため……?
どちらを選ぶのが正のか……。そして、アヤメに何て声を掛ければいいのか……。
「………。」
サナも同じように黙り込む。こんな時、アヤメをよく知る人物に問いかけたくなる。
あの人は、こんな時にどう励ましていたのだろう。アヤメを――。
「………。」
ふと空を見るクシビ。最近、動向が落ち着いているように感じる。英装術士兵団も……。いろいろと準備があるのだろう。流石に、都市を含めた催しなのだ。
ユヒカは今頃どうなっている……。
やはり、こんな違法術士が護衛するよりも、よっぽど向いているように思える。
こんな薄暗い所にいても、何かが変わることは無い……。
あちら側にも、解決の糸口はあるはずだ。
こちらに逃げ続けるよりも、きっとその方が良い……。
違法術士の自分達には、本当の意味で助けることはできない。
「何じゃクシビ。何か考え事か?」
「いや、何でもない……」
そうヒマリに返すクシビ。作業を押し進める。色々と後の準備に必要なものを揃える。
「………。」
クシビは、アヤメの事を思い出していた。
白く澄み渡った空を見るクシビ。
太陽から照らされる風景は、今日も穏やかに流れていた。雲はゆっくりと流れ、晴れ間の中に緩やかな風が吹き込んでいる。
「………。」
あいつと、いつだったかこんな空を見た気がする――。
「OSさん……あの二人の記録は消去しておいて」
「よろしいのですか?」
「ええ……。彼女達を言い付けるのは止めておくことにするわ……」
改めて気付かされた。あのような存在は自分には居なかったのだ。
誰もが私を敬い、頭を下げていた。きっと、それは身近に接するというのとは少し違う。
しかし、彼女は同じ目線に立ち、話してくる。彼女の堂々とした振る舞いと、あの勇敢さはまるで……。
彼女のような接し方をしてくる人間は、今まで居なかった……。
「………。」
これでは、クシビさんの事を言えない……。
ユヒカは、そうして一人苦笑するのだった。