なくしたモノと得たモノ
俺はうなされていた。
ハッと目を覚ますと、汗で濡れた額に前髪が張り付く。
(気持ち悪いな)
目の前のシーツを掴み、それで汗を拭う。
さらっとした上品な手触りと、羽の様に軽いそれはとても気持ちがよかった。
だが、俺は一瞬にして目の前が暗くなった。
これがシーツであること。今自分はベットで横になっていたこと。それは分かる。理解出来る。
それじゃあ、俺は誰なのか。
それがわからなかった。
恐怖に震え、吹いた汗は止まらない。声を出して叫びたい気持ちが、ここがどこなのか知らない恐怖で音にならない。喉が乾く。動こうと手を伸ばしたが、空を切りベットから派手に落ちてしまった。
その音に反応してか、足音が聞こえる。
「ルイ、どうしたの 大丈夫?」
「あ」
見覚えのない顔がランプだろうか灯りを片手に、倒れている俺の側へ駆け寄り覗き込む。綺麗な青色の髪が頬をくすぐる。
「ベットから落ちるなんて、あなたもう15歳なんだからしっかりしないと……。来年には寮生活なのに、母は心配です」
そう言って、俺の頬を撫でてくる母いう人。
「……誰…」
意を決して尋ねると、目の前の母という人は叫んで倒れてしまった。
「え、ちょっ。大丈夫ですか?!」
突然倒れたもんだから、揺すって声をかける。いくら呼びかけても返事がない。え、俺の一言で気を失ってしまったのか。
「母様、何かあったのですか!!」
動揺する俺と、倒れている人。
それを見て、現れた女性が俺の肩を掴み。
「親不孝とは……私の弟として許すまじき行為」
鬼の形相で何をしでかしたのかハケと脅された。掴まれた肩はピキッと鳴り、ベットからの転落よりも遥かにダメージを負っている。
「いや、ただ。誰って聞いただけだから。痛いから」
「はっ?! アンタ寝ぼけんのも大概にしなさいよ。よりによって、火の月のこの時にそんな冗談言うなんてお姉さん許さないからね」
えー、火の月ってなんだよ。わけわかめだよ。誰だかわかんないから聞いたのにこの仕打ちはないだろう。
興奮している姉と言う暴力女に、自分の事を伝えた。
「……という訳で、目が覚めてから何もわからないんだ。幸い、ベットとか物の名前や使い方。言葉だって、分かるよ。所々理解できない単語があるけど」
「まさか…そんな。ありえない。【殻人】がこの家から2人も出るなんて」
俺の話を聞き、膝から崩れる姉。
【殻人】と聞いた事がない単語に首を傾げる。
「突然、前触れもなく記憶をなくす病よ。この病にかかった者は皆、今まで生きてきた記憶を全て失うの」
「失うって、また思いださないのか。ほら、何かのショックや影響で、こう…思い出すとかさ」
フルフルと左右に顔を降り、俯く。
「そんな話、一度も耳にした事はないわ。【殻人】は言葉の通り、記憶が抜けて殻っぽになってしまった人のことなの。生活に支障は無いけど、今まで関わってきた友達や家族、自分含めて全てを忘れてしまうの」
「この人が突然倒れたのは」
「あなたが誰と言ったからよ。もう1人いるのよ。今と同じ暑い日の夜にね。【殻人】になった人が…」
暑い日の夜か…。通りで汗で前が見えづらいのか。
「あら、あなた覚えてるの? その人の事を」
「え、なんで?」
「だってあなた、泣いてるもの。ふふ、普段はこんな泣き虫じゃないのに。変な弟ね」
そう言って綺麗なハンカチの様な物で俺の顔を拭く。
涙だって? 違う。これはただの汗だ。
そう思っていても、俺の視界は一向に良くならない。
「ルイ。あなたには双子の兄、カイって子がいるのよ。あなたより大人びていて、ちっとも似ていなくて。すぐに見分けがつく双子だったわ」
記憶にない兄だというカイの話をしだす姉。それを聞きながら、母をこのままにしてもいいものかと悩んだ。
「母様は大丈夫よ。気を失っているだけだから、すぐ目を覚ますわ。それにほら」
俺のベットにあった枕を母の頭の下に滑り込ます。いきなり頭動かして大丈夫なのだろうか。
「これで、体勢も楽になったはずよ。完璧完璧」
あっけらかんとしている俺は、いつの間にか見えやすくなった視界に目が眩んだ。
「大丈夫。【殻人】になっても誰もルイを1人にしないわよ」
「じゃあ、カイは今どこにいるんだ?」
母と姉が騒ぎに駆けつけ、他にも数人ドアの向こうに見えたが、その中にカイという人がいたのだろうか。
俺のふとした問いに、抱きつく腕に力が入るのを感じる。痛い。苦しい。
「いい、ルイ。私の前だから許すけど、母様の前では絶対にその名を口にしてはダメよ」
「なんで?」
「また明日、教えてあげる」
そういい、今度は頭を撫でてくる。完全に子供扱いにむすっとする俺。15でこの扱いはないと思う。
「母様、起きて。そのまま寝てしまっては、髪はグジャグジャになってしまうわ。ほら、頬には絨毯の紋様跡が……「あらやだ。とてつもなく怖い夢を見てしまったわ」……おはようございます。寝起きの所ですが、自室にいきましょう。ね?母様」
何か呪文の様な早口で母の耳元で口を開くやいなや、母が飛び起きた。そのまま流れる様に姉の誘導で部屋から出て行ってしまった。
俺だけでなく、母の扱いにも慣れているのかその手際の良さに圧倒された。
なんだか記憶喪失とかどうでも良くなった気がしてきた俺は、枕を拾い寝直した。
俺はルイという名の15歳児。
記憶は無くしたが、心強い姉の存在が不安と恐怖を消してくれた。