第9話
「ははっ!」
ヤバい話だとは認識していた。
50万。
普通の人間が、お遊び感覚で捨てられる額じゃない。しかも、口止め料だけで1万だ。この依頼主がどれだけ本気で言ってるのかが伝わってくる。この情報自体が50万以上の価値があるかもしれないが、あいにく私にそれを売る伝手はないし、学生である私に逃げ場などない。
となれば私が考えるべきは、その廃墟に何があるかだ。
これが金持ちの道楽だと言うならそれでいい。
しかし、そうでないならヤクザの鉄砲玉のごとく使い捨てられるような場所である可能性が高い。どうせ死ぬなら報酬が高くても問題ないわけだ。だからといって何も見ずに行くふりして失敗するなど、できはしない。監視ぐらいはされているだろうし、それがないにしても行ったかどうか分かる程度の質問は用意しているだろう。
「ぶっ飛んでやがんな」
廃墟にそぐわない、綺麗なエレベーター。それを見たときは、金持ちの道楽だったと安心した。こんなお遊びのためだけに、この土地を買って、こんな廃墟にエレベーターを新設、改築したのだと。大方、私はモニターされていて、それを金持ちたちが眺めているのだろう。どこまでいけるか、目当てのものを持ってこれるか、賭けにしていてもおかしくない。
そんな考えは、エレベーターから出た瞬間消し飛んだ。
目的地である13階に向かうまでは良かった。13階のボタンを押さなければならないという多少の焦燥感は気になるほどではなかったし、ガラス窓の外に映るエキストラであろう人々は、むしろこれが仕掛けでしかないと安心感さえ抱いた。
しかし、エレベーターから出た瞬間、体中を走る悪寒と、奥にある祭壇から何かを持ち出さなければならないという謎の確信が私を支配した。
仕掛けなどではありえない。現代科学から遠く離れた何かが、私に降り掛かっているのだと、否応なしに理解させられる。
奥というのがどこなのか、考えるまでもなく私は感じていた。
「さて、と」
私は振り返って、既に閉じているエレベーターを見る。開閉ボタンを押して見るが、反応はない。エレベーターが上がってこないとか、そういうことでなく、なんの反応もない。
奥の祭壇とやらから何かを持ち出さない限り、私はここから帰れないのだろう。
「ふふっ」
ヤクザの鉄砲玉はこんな気分なのかと自嘲する。
退路は絶たれ、あからさまに怪しく、命の保証すらない場所に、大した知識もなく私は足を踏み入れた。
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「…………」
目的地らしい部屋まで、外の通路を慎重に進んでいったが、何一つ出てくることはなかった。てっきり扉を通り過ぎた瞬間、化け物の一体でもでてくるのではないかと思っていたのだが、そんなこともなく目的地らしい、1312号室に辿り着いた。
よくよく考えれば、こんな外から見える場所に化け物が現れれば、寂れた団地とはいえ目撃される可能性がある。本番は中にはいってからか。
そう考えて、私は手摺りや柵壁で遮られた外を見下ろすと、外で遊ぶ子どもたちが見えた。私の身長は女子の中では高い方で、170cmを超える。私のちょうど真下辺りにいる子どもたちの遊ぶ姿はよく見えた。
「待てー!」
「こっちだこっちー!」
鬼ごっこをしているのか、そんな声まで聞こえて――
「ッ!?」
――私はすぐに振り返って、周りを警戒する。
誰もいない。声も聞こえてこない。
当然だ。
ここは13階なのだから。
「はぁ」
音は上に吹き抜けるものとか、反射でちょうど聞こえてきたのだとか色々可能性はあるが、あまり深く考えないほうが良さそうだ。ただ、あのエレベーター以外から下に降りるのはやめたほうが良いかもしれない。上がってくる際に見た人たちも、エキストラなんかではなく…………。
やめやめ。
私はもう一度周囲を確認してから、1312号室の扉を開いた。
「…………」
取り敢えず、開けた瞬間何かが飛びかかってきたりはしないようだ。ここから見えるのは薄汚いコンクリート剥き出しの床と廊下、そして幾つかの扉。私の感覚は一番奥の扉の先に祭壇があると言っているが、私は一番近くの扉から中を見ていくことにした。藪を突くということになりかねないが、どうせ何かしらの障害はあるはずなのだ。危険度は大して変わりあるまい。
「…………」
ここは洗面所か。洗濯機、消化器、タオル掛け、奥は風呂。洗面所の下に収納スペースがあり、わずかに開いていたそれを開くと、中には洗剤と思わしきものが転がっていた。デカデカと超酸洗剤と書いてある。
へー酸性洗剤なんだな、なんて顔をひきつらせながら私は見なかったことにした。
果たして超酸でなにを洗い流すのやら。
「…………」
廊下に戻って、反対側の扉を開ける。
中はベッドと机、本棚……いや、元本棚というべきか。本を置くべき木の板は外れ、柱となるべき金属製の棒が散乱していた。
「武器になる、か?」
棒を振り回して戦ったことなどない。喧嘩やチャンバラ遊び程度ならともかく。しかし、ないよりマシと私は金属の棒を手にする。
そして、ついに最後の部屋だ。恐らくはリビング。そこに祭壇があるのだろう。
私は慎重に廊下を進み、片手に棒を構えつつ、ドアを開いた。
「…………」
確かにそこはリビングほどの広さがあったが、同時にリビングには似つかわしくないモノ、ベットが置いてあった。もちろん、目当ての祭壇も奥に設置されていて、その上に小物が乗っていることから、アレが目的の何かであることは間違いない。
が、その前に私はその部屋の探索を開始した。
小さいながらも台所があるし、なにやらベッドの下に収納スペースもありそうだ。
ひと通り見た結果、台所の方には何もなかった。本当に何もなかった。投げられそうな小物すらなかった。
そして、ベッドの収納スペースには――
「……またか」
――消火器が入っていた。
結構大きなスペースに消火器1つがゴロゴロしているのは大分シュールな絵面である。
「ん?」
何か、違和感を感じる。
消火器、消火器、消火器…………文字だ。さっき見かけた消火器は、こんな文字だったか? 私は消火器を取り出して祭壇の隣に置き、再びあの場所に戻ろうとすると――
ガコン
「――タイムリミットってか?」
コツン、コツンと足音が聞こえてきた。
何かが来る。
私は床においた棒を回収し、入口前で振りかぶった。
ドアは入るときに締めている。
開けられた瞬間先制攻撃だな
キィィっとドアがゆっくりとこちら側に開き、その先を見るまでもなく、私は躊躇なく踏み込んで思いっきり振りかぶった。
その金属製の棒は、私の身長より遥かに高いソレを、さしたる抵抗もなく切り裂く。
「ッ!?」
もちろん、その棒に刃はない。あったところで私の技量で人体を切り裂くなど、ましてや抵抗なく切り裂くなどありえない。
だが、そんな思考に関係なく、私の体は事前に決めておいた通り、振りかぶり終わると同時に後方へ飛び退いた。
そして、構え直した金属製の棒を見て、見れなくて、三度見した。
「は?」
持ち手から先がなかった。
持ち手に近い位置で、黒い液体が滴っているのを見て私は咄嗟にその棒を投げ捨てる。
ゆっくりとこちらに向かっている天井近い身長を持つソレから、その黒い液体は滴っていた。
「頭がないとか人間じゃあねぇな」
先程棒が通ったと思われる位置は縦に引き裂かれ、空洞になっている。どうやらあの体は黒い液体でできているようだ。
そこまで理解できたところで、私は発見したソレの意味を理解した。
「なるほどな」
私は後方の祭壇下に置いといた消火器の栓を引き抜く。
台所に投げるようなものがなかったのはそういうことか。
「死に晒せ」
消火器のホースを怪物に向け、レバーを握った。
「ァァァァァァ」
ホースから飛び出した真っ白な薬剤が、怪物の体を中央から崩していく。ゆっくりとしか歩けないほど脆い体それがあの怪物の弱点だったわけだ。ついでにあの黒い液体は薬剤を溶かして消滅していく。触れた金属を一瞬で溶かし崩す凶悪な不思議物質も、消火器一つでお掃除できると。探索したかいがあったというものだ。
「切れたか」
消火器が切れるが、その頃にはしっかり黒い液体は殆ど消滅していた。
「ふー」
私はさっさと祭壇に振り返り、二段目にある小物を確認していく。
水鉄砲、スーパーボール、くるみ割り人形、ライター、洗濯バサミ。
一瞬逡巡し、水鉄砲を手に取る。
「ッ!?」
『二週間以内に死亡する』
そんな確信が、私の中に生まれた。
歯を食いしばり、混乱と恐怖をなんとか押さえつける。とにかくここから脱出するのが先決だ。私は小さな手提げバックに水鉄砲を閉まって、最後にベランダを確認した。
「ははっ!」
そこにあったのは消火器、ならぬ放火器。なるほど、消火器の偽物が至るところに置いてあるわけだ。使うとどうなるのか、試そうとは思わない。黒い液体に火を向けるなど、良い想像はできん。
わたしは踵を返して、出口に走った。