シーズン02 第004話 「キャンディスティッカー」
「なんで飴に棒を刺そうと思ったのかしら」
「持ち手」
「飴なんて持たなくても食べられるじゃない」
「所有しているという実感を得たかったんじゃない?」
「わざわざ飴に対して所有の意思を大きく主張したがってる人なんて見たことないわよ」
「それは今の社会で棒付きの飴が広く普及した結果としてのことだよ」
「棒なしの飴もあるじゃない」
「良く外食店とかでくれるやつ?」
「間違ってはないけど袋入りの飴は普通にお店でも売ってるわよ」
「ということは、棒なしの飴は所有の主張を大々的に行わないという特徴から施しのメタファーとして扱われるようになり、結果として様々な場所で配られるようになったという歴史が」
「棒付きの飴もたまに路上とかで配ってるじゃない」
「そういうのはもらっちゃうと後で見返りを要求されるから気を付けてね」
「そんなことはありません」
「棒付き飴、最近みないよね」
「最近も何も昔からあんまりみないけれど。そもそも私たちまだ最近がどうこう言える年齢でもないわよね」
「昔はよかったっ的な?」
「昔っていつなのかしらね」
「三か月前とか?」
「テレビドラマ一シーズン分ね」
「季節一ステップ分ともいう」
「季節の助数詞ってステップでいいのかしら」
「良いんです。日本語は自由だから」
「助数詞に関してはあんまり自由じゃないわよね」
「一本二本三本の濁音と半濁音を間違えると舌を噛み千切って死ぬことになる」
「前から気になってたのだけれど舌を噛んで死ぬのって」
「世の中には知らないほうがいいこともあるんだよ」
「じゃあやめておくわ」
「えー」
「なんなのよ」
「結局何が言いたいかというと、実体験としてじゃなくて伝聞としてだけれど、昔は世界にもっと棒キャンディがあふれていたらしい」
「表現が大げさな気はするけれども言いたいことはわかったわ」
「昔は駄菓子屋という存在が各地にあり、そこでは棒キャンディが単体として安価に販売されていたと村の伝説には残っている」
「伝説として後世に語り継ぐほどの内容じゃないわよね。っていうか駄菓子屋なら今でもあるでしょう。商業施設にも入ってるわよ」
「そういうのじゃなくて。ああいう駄菓子屋と伝説の駄菓子屋は茶色い喫茶店と銀色の喫茶店具ぐらい違うから」
「茶色と銀色?」
「木造か鉄筋コンクリートか」
「そこそんなに重要じゃないわよね」
「実際のところそうだね」
「大方のところ個人店かチェーン店かってことでしょ?」
「それが正しい。あっでもチェーンは鎖で銀色だし人間は人体が茶色だから」
「いいえ」
「はい」
「まあ、確かに、チェーンの駄菓子屋には売ってないわよね。棒キャンディ」
「でも代わりに棒に刺さったチョコが売ってたりするから油断できない」
「これに関しては完全に無意味ね。世の中には板チョコとして頑張ってるチョコレートだってあるのよ」
「高級チョコレートだって棒には刺さってないんだぞ!」
「生チョコレートは棒にさして食べるけれどもね」
「ん? フォークを棒と呼ぶ派の方かな?」
「フォークじゃなくて、先端が二股に分かれてる小さいやつがあるじゃない。チョコレート用の」
「和菓子における竹串みたいな?」
「竹串っていうと焼き鳥のイメージが強いけれど言いたいこととしてはそういうことね」
「西洋物だからあれもフォークなのかと思った」
「竹串と箸は別物なのと同じようにあれとフォークも別物なんじゃないかしら」
「竹串は一本だけじゃん」
「フォークも普通は四俣だけれどもチョコレート用のあれは二俣よ」
「まいりました」
「いろいろ考えてきたけれど、やっぱり棒に飴を刺す意味が分からないわね」
「思うんだけど、飴の歴史を考えると誕生のきっかけとしては砂糖を加工して固めた感じだと思うんだよね」
「そうね」
「で、その原初の姿がもっとも残ってる現代の飴は水あめだと思わない?」
「水あめは飴っていうか、なんか柔らかいわよね。食べたことはないのだけれど」
「あれ、普通は現代人はスプーンですくって食べるんだけど、正しい食べ方は粘性を利用して棒にくるくる巻き付けて食べるスタイルなんだよね」
「なるほど。つまり順序が逆で、飴に棒を刺したんじゃなくてもともと棒に刺さっているのが当然だった飴から棒を引っこ抜いた、ということね」
「なんじゃないかと」
「じゃあ施しのメタファーの話は?」
「え?」
「え、じゃないわよ」
「ああ、それはほら、棒を引っこ抜くことによって自力で空中に浮けるようになって、だれにも頼らずに生きられるようになったことでむしろ誰かに頼られるような存在に」
「飴が空中に浮いてるのは見たことないわよ」
「それは……今後の課題ということで」
「そういえば、綿あめも棒あるわよね」
「あれは飴とは認められない」