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マイナス89.2℃のエレジー。

――学びなさい……(すべ)てを……。


 あれは、どれ程昔のことだったのだろうか。崖から落下する時に分かれてしまった私の身体は、それを知ることは出来ないまま、遥かに落ちて離れていった。

 あの暖かな世界から隔絶され、私は暗い中へと閉ざされた。




「今日も気温は……おいアダム! 記録更新、今年の最低気温だぞ!」


 やかましい相棒の声で目が覚める。ウォッカの飲み過ぎじゃないのか。朝から耳によく響くどら声だ。


「ボリス……うるせぇぞ。南極は寒い。それだけだ」


 まだ当直まで時間はあると、ベッドに体を預けようとして耳元で叫ばれる。


「コップのお湯が瞬時に凍ったぞ! ペンギンまで凍りかけてら」

「いつものことじゃねーか。いいから後三十分位寝かせろよ。タイムイズマネーだろ」


 それを聞いて、昨夜見た映画の台詞かよと、またバカ笑い。暗くならないのはいいが、こう毎日毎日これだと休まりやしない。今度、離れの基地にローテーション組ませてもらおう。アダモーヴィチこと、アダムはため息と共に、朝から元気な相棒に珈琲を所望した。




――南極、ボストーク基地。海からかなり内陸に位置するここは、宇宙世紀で各国が撤退した中で残っている有人の観測基地の一つだ。隣近所は沿岸のミヌールイ基地の名残が補給用に残されている。――およそ千キロ先の隣人である。


 あちこちの国がいない中、アダムたちの祖国は気象データの観測や、人類が地球を飛び出した後の気温の変化などを調査している。地球に住んでいる人間は随分と減り、ほとんどの隊員らのマイホームがあるのも月であった。


「おいアダム、なんか今日の朝礼はもう始めるみたいだぞ。なんか隊長から発表があるんだとか」


 そう言ってボリスはアルコール入りの珈琲を持ってくる。個人的には朝はミルク入りの優しい風味の方が好みだが礼を述べて受け取り、それをすすりつつボリスの言葉に返すアダム。


「……発表って、あれか。今回のシーズンは予定を早く切り上げるとか。もしくは変異した巨大なペンギンでも誰か見つけたのかな」

「いっそ異星人でも見つかったらいいな! この間見た、ほら! 南極の基地が異星人に次々殺されるやつみたいによ!」

「縁起でもねぇなぁ。しかし、なんだってお前の好きな映画は、どれもこれもヒロインの為にヒーローが死にかけたりするんだよ」

「愛の為だろ。いやーお互いにそういうお相手に出会いたいもんだね。その前に未知との遭遇かな」


 お互いに異星の前に異性と未知との遭遇じゃないかと小突きながら、アダムとボリスの二人は部屋をのんびり出発した。




「という訳で、昨夜遅くに採掘した氷から未知の生物らしき物質を採取した。よって、通常の業務は機械殿たちに任せて、我々はそちらの調査を重点的に行うこととする」


 十名程が集まった談話室はザワザワと騒がしくなった。隣でボリスが「マジかよ。物体なんちゃらだろ」と喜んでいる。B級映画の見過ぎである。サメが空を飛んだり、宇宙人が人間に憑依したり、そんなものは現実にある訳が無い。

 未知の生物だなどと言ってはいるが、詳しく調べたら変容した化石などだろう。学術的には価値はありそうではある。通常業務に飽きてきた頃合いであり、たまにはそういうのもいいだろうとアダムは吹雪く外の景色を見ながら息を吐いた。




「おい、こりゃあ……本当に《《本物》》らしいぞ」


 光学顕微鏡のデータが大型スクリーンに映し出されると、そこにはまるで機械のように均等に揃った細胞列が並んでいた。


「生き物……なのか? こんな均等な配列」

「そもそもこれは恐竜時代の頃だろう。一体なんの生物なのだ?」


 昔、まだ大地に恐竜どもがのさばっていた時代、大陸は全て繫がっていたらしい。パンゲアと名付けられたその大陸は永い時の中で、大地の下のプレートに動かされて今の地球の大陸の形になっていたという。


「つまりこれがいた頃は、ここいらは過ごし易い気候だったわけか」

「シダとかの種も近くで見つかっているそうだし、そういうことだな」

「しかし、機械のようにしか見えないな。人工物じゃないのか? 誰か間違って何か落としたってことじゃないだろうな」


 拡大しなければ、石油の固まった物にしか見えないそれは、改めて見ても演算装置のように規則正しく並んだ細胞を持っている。


「おいアダム。機械はお前の担当だろ。何か似たような回路が無いか探してみろ。俺たちはこの掘り出した辺りをもう少し探ってみる」

「ラジャーです。あ、現物お借りしますよ。研究室の方が強力な顕微鏡もありますし」

「おぉ、頼んだぞ」




――見れば見るほど、現代の宇宙素子の回路すら超えて高密度に組み合わさった配列。いっそ芸術品のようでもある。基地の研究室で改めて調査をしていたアダムはその組成に感心した。


「試しにちょっとだけ通電させたら動いたりしてな……こそっとやってみるか」


 一部を切り取って、ごく僅かに電気を流してやる。それを電子顕微鏡で覗いた時だった。


「えっ、動いて……いや、ちょっと待て。勝手に集合して……る?」


 アダムは、覗いていた顕微鏡の突然の突き上げで意識を失った。




「……ふむ。鳴き声によって相互理解度を上げる……理に叶っているな。我らの創造主とはまるで違う方向だが、よく進化したものだ。……ここは……今では星の最南端か。とんでもない期間眠ってしまったようだが、意義はあったな。マザーベース応答願います。マザーベース? 反応自体が無い……。本部も消失したか……」


 アダムは何やら低く呟いている女性の声にゆっくりと意識を戻された。今回のシーズンでは女性隊員は機械の者(アンドロイド)しかいなかったはずなのに……。またボリスがB級の映画でも見ているのだろうかと目を開ければ、そこには肌色が広がっていた。


「えっ、おんな……全裸!? はぁぁ?」

「起きたか現生種族。目覚めさせてくれたことに感謝の意を述べよう」


 そう言って笑う女性(?)に、夢かと目を閉じかけ、それをこじ開けられる。


「この端末から情報を得て、一般的な貴殿らの雌体になったのだ。生の情報が欲しい。意識を保って頂きたい」

「ま、まず! 服を着てくれ!」


 アダムは白衣を脱ぐと、彼女に慌てて放るのであった。




「……つまり、貴殿らの単位にして一億と三千年程、私は意識を失っていたということか」

「そうらしいが、そもそもお前さんは何者なんだ? 言葉も通じてるし、人間にしか見えないが」


 降ってわいた女性に混乱するも、落ち着いたトーンで話されるといつまでも慌てふためいているこちらの方がおかしく感じ、アダムもようやく落ち着いてきた。黒髪で小柄で普通に会話していると、ただの人間にしか見えない。と、思った矢先に彼女の指の先が黒い液体のように変化すると、端末の端子にぬるりと滑り込む。


「毛皮が退化し、それを外部から補っているのだな。興味深い。しかし、私にはまだエネルギーが不足しているし、それを作るには分体が足りぬな……。どうした? 種族人間?」

「あ、あっ、アダムだ。アダモーブィチ、個体名アダムでいい」

「個体の識別番号だな。私は……識別番号0217だ」


 スラスラと会話しているのがおかしいと思いつつも、人と同じ形をしている者を識別番号で呼のは抵抗がある。


「えっと0217さん……いや、ニーナでいいか」


 その呼び方が気に入ったのか、眉がスッと上がる。口角も上がる。――なんだ笑うと中々美人じゃないかとアダムも少し笑顔になる。


「ほう、個体名を付けてくれるのか。では、ニーナでよいだろう。ところで……私だけか? 見つかったのは?」

「まさか……仲間がいるのか?」

「ああ、あまり……よろしくない部分がだ」


 その時、突然の轟音が建物を揺らす。思わず倒れそうになるアダムを、ニーナが天井の梁に黒い液体を伸ばして支えてくれる。


「なんだ? 爆発?」

「まさか……あっちが目覚めたか?」


 見下ろすと、ニーナが険しい顔で見つめ返してくる。


「急いで向かおう。あちらの部分が目覚めたとしたら、種族人間たちには非常に厄介だ」




 採掘現場から爆発が起きたと、基地内は大騒ぎになっていた。掘り出しを進めていたところ、例の黒い塊の更に大きな物を見つけたらしく、それを掘り出すのに邪魔な岩盤を破壊しようとする前にケーブルが切れたらしい。現在発掘部隊が閉じ込められ、救援の無線が基地に届いたらしい。


「つまり……通電した……」

「そういうことだな。マズイぞ。あれはあの当時の生き物の記録をほとんど持った私の分体と思われる。そして、その情報の統括部分は私だ」

「つまり……?」

「種族人間たちは、太古の生物の群れに襲われるということだ。当時の哺乳類、ラットのようにな」



 基地から一キロ程離れた採掘所から煙が上がっている。スノーモービルを動かしながら、ニーナに耐寒服を着させる。


「お前の体も寒さに弱いんだろ。これを着ろ……ってバカヤロウ」

「何故顔を赤らめる? 非常事態なんだろう?」


 まさか、全裸の女性に服を着させるなんてことを南極でする羽目になるとは。いや、これは人間ではないと自分に言い聞かせながら、どうにか着替えを完了させてスノーモービルの後ろに乗せる。


「行くぞ! って、寒さに弱いならもしかして放っておいてもいいのか?」

「この付近一帯全ての電気量を使い果たして生存が可能ならば、放置もよいだろうが……この基地の機能は死ぬぞ?」

「それは全滅するってヤツじゃねーか」


 こんな時代でも、基本は電気で動いている機械だ。暖房も、水をろ過する装置も、半日と保たずに隊は全滅するだろう。そもそも暖房が無ければ室内でも氷点下だ。


「お前に弱点は無いのか?」


 吹雪に負けないように叫ぶそばから息が凍って顔に貼り付く。背中に張り付いたニーナが、器用に顔を寄せて答える。


「マグマに突っ込んだら、分体は流石に減ったことはあったが、巨大な生物……あーつまり、恐竜に体当たりされても平気であるぞ」


 そんな無茶な、という言葉を放つ前に、また爆発が起き、氷が割れて隙間から黒い液体がほとばしる。


「吸収して、お前の制御下におけないのか!?」

「今しがた早速伸ばした触手が拒絶された。分かれて時間が経ちすぎのだ……。一億年で変異して、私とは別の存在になってしまっているようだ。そして私を異物……敵対存在として認識している模様だ」


 どうするんだそれと思いながら、どうにかハンドルを切って液体の群れを躱し採掘場に辿り着いた。



 辺りは煙で覆われ、見える範囲だけでも被害が相当なことは分かった。あちこちで断続的に爆発が発生し、その度に黒い液体が湧き出しては一部で固まっていく。


「どれだけの量いるんだ……これは」

「私も最後に見たのは、山よりは小さかったが……これは……」


 また爆発が発生した途端、生物の鳴き声。それがすぐに停止する。見ると、小型の恐竜の形になったままそれは凍り付いていた。見回せば、大小様々な生物、主に恐竜が走りだそうとして氷の彫像になっている。


「こういうのが沢山いたんだな、でも時代を間違え過ぎだ」

「動きを操る部分が有るはずだ、そこさえどうにか出来れば……うぉ!」


 足元から忍び寄っていた液体の触手にニーナが空中に一気に持ち上げられ、そのまま連れていかれる。慌ててアダムがニーナを掴んだが、あまりの力の強さに一緒に空へ巻き上げられる。


「アダム……逃げ……」

「ニーナ、いたぞ! あそこだ!」


 触手状の元には、巨大な球体が地表に出てきており、端から凍りつき、その部分を捨て去りながらゆっくりと基地へと向かおうとしている。


「電気を追っているのか……。あれが基地に到達したら、もはや止めようが無いぞ」

「どうやってあんなもん止めるんだ!」


 地面に叩きつけられる直前にニーナが触手を引きちぎって、アダムを抱えて着地する。


「電気を放電すれば……そうだ、海に落としてやれば、保持電力は塩水に拡散されるだろう」

「まだ、発破用の爆薬があるはずだ。水のろ過装置用に海水に掘り下げている箇所なら充分脆いはずだ」

「分かった。私が誘導する。爆薬とやらを頼んだ」


 拳を一度合わせると、二人はそれぞれに走った。



「こちらに来い! どうした分体。電気よりも私を狙いたいのだろう」


 同族嫌悪なのか、わずかな電気量が欲しいのか。ニーナに狙いを変えつつ、ところ構わず氷の彫像をまき散らしながら進み、そして崩壊しつつも基地も視野に入れている黒い球体。

 ニーナはもう変異する程の電力は無く、必死に走りながら海水の方へと向かう。だが、再び捕らえられ、宙吊りにされる。


「くっ……。いいだろう。永い年月せっかく目覚めたばかりだが、共に眠ろう。もう帰る場所もなく、我らの時代でもないのだ……。このまま崩壊するのもいいだろう……」

「バッキャロー、そこで諦めてるんじゃねー!」


 そこへスノーモービルに乗せた爆薬ごと突っ込むアダム。衝撃で緩む触手。そして爆発。一気に氷が崩壊し、アダムと球体を巻き込んで、それはあっという間に沈み込んでいった。


――嗚呼……、ボリスの見てた映画の通り、咄嗟に体は動いてしまうものなんだな。一億年以上独りか……。俺も死んだら独りだな。そう思考する脳もマイナス80℃の水は容赦なくアダムの身体機能を破壊していった。




【南極大陸で、未曾有の地殻変動があったと、ボストーク基地からの救援要請で発覚した。調査の為にポーリング作業を行っていたところ、大量の生きた化石を発見したという。地球軌道上の保安部隊が八時間後に到着した際には、採掘現場に閉じ込められる形になっていた隊員たちが無事に救出された。なお、この際に隊員が一名行方不明となっており、付近の広がった大きな穴からはアダモーブィチ隊員と思しきバックパックが見つかっており、地殻変動の際に落下したものと見られている……】




「アダム! アダム! 何故私をかばって無茶を!」


 頬に濡れる温かさに、アダムは目覚めた。寝そべった姿勢から見上げればニーナが大粒の涙を幾つも流しながら、必死に声をかけていた。凍らないところを見ると、ここはどこか屋内なのだろうか。


「すまない……君は肉体的には完全に凍り付いて機能を停止してしまった。基地の電力を拝借して、私を拡張して君を再現した……。つまり、もう……君は人間ではなくなってしまった……すまない……でも、こうするしか……」


 両手を握りこんで意識すれば、確かに少し黒い液体になる部分もあるが、ほぼ元の体といって差し支えは無いだろう。


「何故、こんな私を命を賭けてまで助けたんだ」

「今、お前が俺を蘇らせたようなもんだよ」


 涙で濡れた顔を抱きしめながら、アダムは言葉をつむぐ。目の前で助けられる命を見捨てられなかった。いや、出会った時にはきっと電撃に打たれていたのだろう。


「温かいな」

「一億年分の熱量だからな。沢山噛み締めてくれ」


 二人は固く抱きしめ合った。

ロシアのボストーク基地は、標高が富士山並みで、地球上で一番寒いところだそうです。

現在も稼働中の南極の観測基地で、通年稼働しております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 毎度ながら上手い結末です!! [一言] キチッと起承転結で大団円!! と、言ったら誉めすぎ……いやいや、これでよいのです。 お久し振りと思っても、たったの何ヵ月でした。いやはや、それに…
[良い点] 物体Xとのロマンス(*´ω`*) 何で出来ているかなんて、きっと些細なこと。 王道アクション映画のようなドキハラキュンを味わわせていただきました!(≧◇≦)
[一言] それってショg ハッピーエンドでよかった! ハッピーエンドにして始まりなのですね。
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