ミルキーウェイのその先で。
優しい声で呼ばれ顔を上げる。そこにはとても温かな笑顔で手を伸ばしている女の人がいる。
「いきましょう、ローザ。私の可愛いローザ」
その差し出された手の懐かしさに、ドボルベルクは我知らず涙が流れて止まらなかった。
ここはどこなのだろう。前後の記憶が上手く繋がらない。辺りはかすかに楽しげな音楽が流れていて、きぐるみだろうか人型の大きさのウサギがのしのしと歩きながら風船を配ってそれを何人もの子どもたちが嬉しそうに受け取っている。その周囲にはそれを優しく見守る大人たち。その中にパンドラの姿を見た気がしたが、すぐに大勢の中に飲み込まれて見えなくなった。
「あの……ここは……」
「遊園地は初めてだったわね。そうだまずはあれに乗りましょうかローザ」
そう言って抱きかかえられゆっくりと動く馬を模したおもちゃに乗せらる。なんだかドボルベルクは何もかもどうでも良くなってくる。背中に当たる女性の柔らかさと温かさに、眠気と安心を感じながら回転木馬と一緒にドボルベルクはまぶたがゆっくりと閉じていく。どうしてこんなにも安心できるんだろうか。
「お父様! ほら! はやくー!」
幼い娘が弾かれるようにかけていくのを走ったら転ぶぞと声をかけながら、自らの口から発せられるその振動――音声に驚きを覚える。左右を見れば妻がいて、トラストの後ろには在りし日の作ったロボットたちが笑顔でついてきている。
「”お父様”どうぞ楽しんで下さい」
「”お父様”ここでは何も心配しなくてよいのです」
あの頃のように、妻がそっと肘に触れてくる。
「あなた、今日はのんびりしていいの。今日は……」
何故、とは浮かばなかった。また会えたことの嬉しさに、視界が滲むことに、心も思考も埋め尽くされていたから。
パンドラは小さな子どもたちと一緒に走りながら、自分の周りには大人がいないことに気がついた。大人がいないのではない。いないのは、親だ。そういえば孤児院と名乗っていた研究所に入る前の記憶、それはまるで思い出せない。よく見ればソフトクリームを持っていた自分の手は”お父様”が作ってくれた人間に限りなく近い手ではなく、人間の手だ。近くの手洗いに駆け込んで鏡を覗くと、かつての人間の体だった時の自分が見つめ返している、
「でもこれは、今の私じゃない」
静かに手のひらに力を意識する。極小かつ安定して出現した黒い球体――かつての様に暴走はしないブラックホールは、静かにパンドラの偽の姿を剥がして、今現在のパンドラを現していく。
「ここはどこなの……」
不可思議な状況、だが恐怖は無い。パンドラはみんなを探しに向かった。自分の家族を。ドボルベルクたちを。
「ねぇ……俺は、何かを忘れてないかな」
ベンチで膝枕されながら、ドボルベルクはゆっくりと目を覚ます。優しく髪を撫でてくれた手は、先の女性。
「いいのよ、今は気にしないでローザ。今は……」
声の音色のあまりの哀しみの深さに、自分の名前と違うということも否定出来ずドボルベルクはなすがままにされる。ローザという名前は聞き覚えがある。一体どこだっただろう。その名前は……。
「いっぱい遊んだね、お父様!」
「あらあら随分とはしゃいだわね。よっぽど久しぶりにあなたに会えて嬉しかったのね。まぁそれは私もなんだけど」
在りし日のように、長く伸ばした髪の毛を軽く風に泳がせながら、妻はヴォロー博士を静かに見つめる。振り返れば、トラストと一緒に歩いてきたロボットたちは、みんなもう、寿命を迎えたはずのものたちだった。
「君たちは……」
人差し指で、夫の――自分とは随分と年が離れてしまったかつての夫を静止する妻。
「それ以上は口にしないで。今だけだから。……ね」
パンドラはこの遊園地の外側に向かう。だが、いつまで経っても入り口も出口も無い。――おそらく存在すらしない。そう気付いて中へ。中心部にそびえる観覧車へと向かう。きぐるみをかき分け、こどもたちをかき分け。
そうして辿り着いた観覧車は、驚く程静かに回っていた。ちょうど真下付近で、ピエロが一人ずつ中へと案内していく。あっという間にパンドラの番になった。降りてきた者はいないようだ。それに気付きたじろぐパンドラに、ピエロは泣き笑いのメイクで、切なそうに伝えてくる。
「ごめんねお嬢さん。君には会わせてあげられる人はいなかった。君がここで次回以降に会うのは、これから会う人たちだ。だから簡単に気付いてしまったんだね」
「ここは……」
彼女にピエロは天を指差す。見上げた空は星が散りばめられて、星の河の中にいるようだ。
「天の川の先は、生きている人間は通れない場所があるんだ。でも、この時期だけはそれがゆるくなるからね。僕は望む人と人をつなげてあげるんだ。大丈夫。君もきっとこの先の人生でそんな人たちと出会い、別れ、そしてまた再開出来るよ」
そう言ってそっと背中を押してゴンドラへと誘う。
「じゃあ! ここって!」
ドアが閉まり、その先の言葉はお互いに聞こえないけれど、ピエロは口の動きだけで何かを告げた。
ゆっくりと辺りが夕陽に包まれ、世界が淡い色に変わっていく。
「お母さん。そろそろ時間だね。お父様、また遊んでね」
ヴォロー博士の肘を離すと娘の手を握る。
「行くのか」
「ええ」
後ろで見守っていロボットたちはトラストに一言挨拶したり、たてがみを撫でたりしながら二人に並んでいく。
「みんなあなたの子どもたちです。今は、あなたの新たな子どもたちを大事にしてあげて」
ゆっくりとヴォロー博士の前に並んだ面々は笑顔を手を振ると、一人また一人と、いつの間にか用意されていた舟に乗って川を下り、そしてそれはそのまま空へと上がると星の川へと消えていく。ヴォロー博士は、全員が去るまで静かにそれを見届けると、彼もまたゆっくりと影に包まれた。
「ローザ、そろそろ時間だわ」
あれから、幾つものアトラクションで遊び、色々なお菓子やおもちゃを買い与えてくれ、離れるのが心苦しくなってきた頃、女性はつぶやくようにそれを告げた。ドボルベルクは名前を言い直させはしなかった。もう理由は分かっていたから。だから最大限甘え、そして女性のしたいようにさせていた。二人が乗っていた大きなコーヒーカップの遊具は、音も無く滑らかに回り続けている。
「ずっとね、夢だったのよ。こうしてあなたと思い出を作るのを」
「ああ……いや、うん」
目を伏せる女性に、ドボルベルクはゆっくりと頷く。
「あの人と三人で笑っていたかったわ。でも、これもまた、もうどうしようも無いことなのよ」
「うん……」
少しずつ回転していたコーヒーカップはその動きを遅らせていく。そして完全に止まった。そっと差し伸べられた手を強く握ってドボルベルクは、この時間を噛みしめる。
「あなたの好きに生きなさい。何も引きずらなくて、あなたはあなたのままでいいのよ」
ゆっくりと抱きしめられ、少しずつ視界が暗くなっていく中、ドボルベルクは一言「母さん」とつぶやく。抱きしめる力が強くなり、そっと消えていった。
☆☆☆
ずっと亜空間にいて、燃料もだましだましだった戦艦アルファの慣らし運転を行う為に、一行は中々無茶な速度を出してしまった。気が付けば天の川の星々に突入しかけ、急制動をかけた影響で、皆の意識はブラックアウトしていたらしい。
「脈拍正常。呼吸もある。外傷も無いのに、みんな起きてこない……」
アルファ以外、何故か”お父様”までもが意識を失っていた。しばらくわたわたとしていたアルファだったが、それぞれがゆっくりと目を覚ます。
「み、みなさん大丈夫ですか?」
それぞれが黙っているのを見て、やはり異常があったのかと、数十回目のメディカルチェックをかけ始めたアルファ。皆は、広いブリッジの椅子で先の記憶を噛み締めていた。
『死者は川の先にいると、どの神話でも語られることが多いそうだ』
「だから……かな」
星はただ静かにきらめいていた。
こんな夢を見たのでした。伝えなくてはいけないなと、筆をとって、一気でした。