惑いし時空の地層
「一体どこなんだここは……」
気が付けば私は鍾乳洞のような場所を下っていた。螺旋の様にぐるぐると中心部を取り囲む道を、ただひたすら下がっていく。
私一人だと思っていたが、子供たちの姿もチラホラと見え、遠足か校外学習といった風情なのも見てとれる。何故、私も彼らもこんな所にいるのかは分からない。さっきまで私がしていたのは何だったのかも思い出せない。
「時空の岩盤、やっぱりすごいよな」
「固まった時間って厚みあるし見応え抜群だわ」
この子供たちは何と言った……? 時空の岩盤に、時が固まっている……? 私は何かを思い出しかけ始めていた。
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「イゾルデ博士。つまりあなたは殺意は無かったと。そう証言するのですね」
取調室で私は徹底して追求される。ライトは私を照らし続け、鏡に私の疲れ果てた顔が見える。元から大して塗っていなかった化粧は剥げ、目の下には黒々としたクマ。白衣を着ているからまだマシだが、浮浪者か変質者に間違われてもおかしくはない。だが、私は必死に弁明している。私は少しも可笑しさなど感じていない。殺人の容疑がかけられているのだ。
「親友であるトリスタン氏に研究を奪われたと、あなたは逆上し宇宙空港の展望台において、毒物入りのドリンクを飲ませて殺害した」
見せられた画像のデータには、私がトリスタンに強い口調で詰め寄った物が表示されている。――違う。私は学会で議論が激した事はあったが、彼を殺したいなんて思った事は無い。
「あなた逹二人は、時空研究の第一線で戦うライバルだった。だから彼を……」
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そうだ、トリスタン。あの日はあいつと二人、宇宙の空港で酒を飲み、熱く語り合ったんだ。だが、あいつが死んだ……? しかも私が殺しただなんて。嘘だろう……。
私は酒を飲んで……。そうだ、その後にbarのカウンターで私は突っ伏して……。
何故、私はこんな場所にいるんだ。
思わず触れてしまった壁は、黒く固まっていて冷たい。触った箇所から映像が、記憶が私にだけ再生された様なのだ。つまり、あれは私の記憶なのか。
「もっと下の方は未来だってさー」
「じゃあ上が過去か〜」
「未来の方が柔らかいし、白いんだねー。ずっとずっと行くと透明らしいよー」
子供たちは私を見ても、見学者として扱っているのか一瞥して去っていく。時空の断層、時の化石なのかここは……。私は壁面に触れながら坂道を登ってみることにした。
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「だからなイゾルデ聞いてくれ。タイムマシンなんて要らないんだ。時間とは空間を埋める何かであって、積み重なってるんだよ」
「つまりトリスタン。君が言うそれは、こう……地層の様に積み重なってると。こう言いたいのか。じゃあ過去は積み重なってるが、未来はどうやって形成されていくんだ」
私たちはユニバーシティの同期で、ぶつかり合いながらも日々議論を進めていた。そんな中でbarで語らったのは、トリスタンが温めていた新たな時間論だった。私たちは時間という物そのもの理解する為の研究をしていたのだ。
「未来は柔らかく砂のように隙間もある。流動的だ。過去は固めた地盤で動きようが無いよ。そうだろ? 出なければ僕らはタイムトラベラーに今頃何度も改編されてしまっているさ」
「じゃあその地層を変えてやれば未来だって誰かの好きなように結局変更出来てしまうじゃないか。そりゃ随分と無茶じゃないか?」
カクテルをかき混ぜながら私は必死に反論する。反論しながら分かっていた。トリスタンの理論はいつも突飛ながら正しい方向に向いているのを。私はただ嫉妬して反論しているだけなのだ。
「確定していない未来は何度だって変更出来るはずさ」
琥珀色の液体を飲み干しながらトリスタンは遠くを見る。いつもそうだ。遥か先を見ているのはトリスタンだ。私はいつも自分の足元をぐじぐじと掘り起こす蟻の様な者だ。なんてつまらない人間なんだ。
「イゾルデ、君とならこの研究先にいけると思うんだ」
――止めてくれ。私をこれ以上苛まないでくれ。君のように天才じゃない。凡人なんだ。博士課程まで登り詰めたというのに、結局嫉妬にまみれたただの凡人でしか無かったんだ。
――だから……私は彼をころ……
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「駄目だ! 酒の迷いで彼を殺めるな!」
私は慌てて手を壁から放す。見学者の子供たちが近くにいなくて良かった。しかし、これはまだ確定しきっていない部分か。まだ上に行く事は出来そうだ。ならば……彼を【私】が殺してしまうのは止められるかもしれない。いや止められる。
「トリスタン。やっぱりお前は天才だよ。時空の地層に私がいるのは間違いなさそうだ」
切り立った山道を山頂へと向かうかの様に、昇り坂は酷く狭くて険しい。下りはあんなにも緩やかでのびのびとしているのに。子供たちも楽しげに向かっていた。私は、圧迫してくる過去を見上げなから慎重に歩みを進めた。
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「なぁイゾルデ。凄い理論を思い付いた。時間は地層なんじゃないかと」
食事も取らずに研究室にこもっていたトリスタンが、興奮したままやってきた。私は自分のビーフシチューをあいつの興奮した唾から守る為に壁を作らねばならなかった。
しかし、突飛ながらまた恐ろしい理論を考えてきたものだ。昨日も宇宙の隙間を埋めているのは時空だと話したばかりだ。いや、暗黒物質だろうとまとまったはずが、また飛躍している。私にはまるで思い付かない考え方だ。
「とりあえずだなトリスタン。珈琲を消耗して思索を得るのはいいが。腹に何か入れろ。話は今夜にでもbarで聞いてやる」
言った端からあいつの腹が鳴り、照れながら注文をしに行った。全く研究しか頭が無いからすぐに食事も忘れる。
「今夜だな。食べたらまた考えをまとめておく。聞いてくれよ」
「分かった。分かったから飯を食え」
慌ててトレイに料理を山盛りにしながら戻ってきて、またツバを飛ばしながら喜び勇んで話しかけてくる。全く無邪気なのだこいつは。そこが憎めないし、正直憎からず思っている自分もいる。いつまでも子供なのだあいつは。
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そうだ、そうやって夜に……。だが待てよ。私はまだこの時点で彼に殺意など抱いていなかった。だからこの時点で私に伝えれば……。
だが【私】が【私】に伝えるなんて出来るのか。そもそもどうやってここに来たのかも分からないのに、どうやって戻るというのだ。
そんな考えに耽っていると、ふと音無き音に体が小刻みに震える。見上げると岩盤が揺れ始めている。そして突如私の頭上から激しい圧迫感が迫る。――まさか時が浸食しているのか!?
頭の上に手をやれば、目には見えない壁が私の手を押しやる。――これが【今】なのか。それ押される様にして、私はまた坂道を下るしかなくなる。【未来】の方へと。
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「被告人は自らの愚かなる嫉妬の為、同僚であるトリスタン博士を殺害せしめ……」
「誠に身勝手で暴力的であり……」
「ここに死刑を求刑し……」
私は、まだ起きていない殺人で罪に問われ、そして時代錯誤なギロチン台へと向かっている。絶望し、何も考えていない顔。そしてただただ歩いて、そこへ……。
――駄目だ! 考えろ! 突飛な発想なくとも、一歩ずつ進むのが私では無かったのか!
そうこうする内に、私は私自身の最期を見る。なんということだ……。慌てて手を離せば、そこはまだ白く柔らかい地層。大丈夫だ。まだ【今】は遠くにいる。
どうすればいい。どうしたらいい? 私は自分に問い掛ける。考えろ! 考えるんだイゾルデ博士! お前こそ思索に耽りて「解」を出すのだ。
その時かなり下層から声が聞こえてくる。引率の教師だろうか。
「自分の影に言葉を投げないように! ライトを消しなさい! 声が届いてしまいますよ!」
思えば何故か灯りも無く見通せたが、ここは暗闇の中だ。私は懐を探ると、いつも持ち歩いている電子端末を取り出す。暗黒物質について、時空についての雑多なメモが書き連ねてある。そして何よりも、これは使用する際に手元が見える程には画面が光る。
私はこれを自分の頭の上に掲げると、足元に向かって叫ぶ。
「イゾルデよ! くだらない嫉妬は捨てよ! お前が思う物はなんだ! お前が想う者は誰だ! 酒で汚れた頭に負けるでない。自らの嫉妬の竜に食われるのではない!」
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イゾルデは、食事を終えて研究室で一人思索に耽っていた。時空・地層・暗黒物質。そしてトリスタンの突飛ながらも素晴らしい思考の発露にイライラとしている自分を発見しながらもそれを止められないでいた。そんな時、誰もいない研究室で声を聞いた気がした。それは心の深淵に響いて、そっと、すっとイゾルデそのものを揺さぶった。その激しさは時間も空間も忘れる程に、彼女を揺り動かした。
「私は……なんて事を考えていたんだ……。違うだろう。切磋琢磨する相手であって、憎むは私の嫉妬ではないか」
さめざめと涙を流したイゾルテの部屋に、いつものようにノックもしないで入ってきたトリスタンは狼狽した。
「イゾルデ、さっきの話なんだけど! ……どうしたんだい!? そんなに涙を流して、僕に話してくれ。気付けなかった僕が悪かった。酒なんていい。今夜は君の話をちゃんと聞きたい」
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イゾルデは、時空の揺れが落ち着いて辺りが全て透明になるのを感じた。未来はまたしっかりと【未確定】になったのだろう。先の最期の映像を見せてきた壁も、今はもう何も見えない。
遠くで、子供らの笑い合う声が聞こえてくる。
――嗚呼。今、ここにある私自身が、きっと未来の一つだったのだろう……。
ゆっくりと、ここのイゾルテは光に溶け、あのイゾルテに混ざっていった。
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『時は一時も休まず進み続け、未来は遥か先を行き、過去はただ黙って沈黙する。そう書いた時計のキャッチコピーがかつてあったという。我々は自分たちの過去を遺跡の様に見に行く事が出来る。今では学生の校外学習で向かえる程だ。だが、その理念を考えたのが、かのトリスタン博士とイゾルデ博士であり、とくにイゾルデ博士は、理論と装置が確率する前にこの時空の地層を見たと手記に残している。やはり天才とは、いつの時代も未来を見据えながらこの手で掴むのだろう』
ユニバーサルスペースジャーナル 時空研究からXX年。記念コラムより。
宇宙暦XXXX年。詳細不明。