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ゴムの香り。木のような香り。黒褐色の抽出液。

「到達地点、第……第……えっと幾つ目だっけ」

『第1245地点目です。マスタ』


 そう、もうそんなにもなるのだった。月姫は手のひらで額をこすりながら、ぼんやりとする頭でそう思い出していた。


 月で母――なよたけの痕跡を見つけ、スメラギと別れを告げてから一体どれほどの月日が経ったのか。長い後続距離はほぼ寝て過ごし、指定された座標へと向かえばもぬけの殻。あったとしても次の場所へのヒントがあるのみ。それがついに1245回目。いっそ全てはイタズラで、既に母はこの世には存在しないというなら諦めもつくだろうに、ときにルーン文字、ときにカタカナム文字と、ほぼ暗号の様なものでメッセージが書かれている時点で明らかに母のメッセージなのだ。


 月姫は、その年月を感じさせない体に、精神の疲労の色を滲ませながら小惑星に書かれた文字に背を向けて、銀の竹――地球からずっと旅してきたロケットに、足取りも重く戻っていった。




 あ、と思った時には遅かった。

 数世紀分の疲れが出ていたのか、自動操縦から慌てて手動の操縦に切り替えたが、ロケットは一つの星にめり込むように衝突してしまった。普通の人間ならショック死するレベルの大怪我だが、月姫は無事であった。ロケットに搭載してある合成麻酔で無理に体を眠らせ、そして目覚めた時にはすっかり元の綺麗に体になっていた。船外活動服を着込み、地表へと降りてみると昔自分が住んでいた出身の国ほどの大きさの小惑星で重力もそれなりにある事が判明した。そしてロケットへと戻ってみるともう一つ重大な事が判明した。


「離脱が不可能……?」

『想定以上に深く突き刺さっている為、何らかの外的な力が必要かと思われます。また想定以上に重力が邪魔をしていると推測されます』


 助けを呼ぼうにも、ちょうど人類の生存範囲を遮断するかのようにブラックホールを迂回してきて到着したのがこの星である。なよたけは、まるで何かから逃れる為にこの道を選んで来たのかと思った程だった。


「それにしても、どうしよう……。スメラギ氏がここに来るという保証も何も無いし」


 そもそもが自分がここにいるという事、さらに言えば存在している事すら知っている者は基本いない。その事実に思い当たった時、月姫はあまりにも広い孤独を感じて今更ながら恐怖に襲われた。ずっと母に会う為にとここまで来たが、それすら全部無駄だったのではないか、このまま永劫ここで誰にも気付かれずに過ごすのかと。しかしパニックを起こしかけた月姫を、ロケットに搭載されている人工知能は冷静にチェックすると麻酔をかけ冷凍睡眠装置へと運ぶ。パイロットの身体を守る事こそがこの人工知能の命題なのだ。薄れ行く視界の中、安心させる様に子守唄が聞こえ月姫は静かに睡魔に身を委ねた。




   **********




 数年分の沢山の穏やかな夢を見て、ぼんやりと月姫は目覚めた。まだ夢の残滓がまとわりつく中、ロケットに促され船外へ。船外活動服を着ていない事に気付いたのは何歩か歩いた後であったが、まるで問題は無かった。


「あれ……空気がある……?」

『当面の間ここに滞留する事となる為、居住可能な方向に改造を進めました。またマスタの素材を参考に人足(にんそく)を用意しました』

「はぃぃ!?」


 今まで人工知能に任せておけば間違いは無かったのだが、衝突落下の影響でどこか破損しているのだろうかと、思わずロケットを振り仰いでみると視界の中に何やら小さな物が動いているのが見える。それは月姫に気が付くと、わらわらと近寄ってきた。


「ままー」

「めざめたー。ままー」

「ままー。おはよおはよ」

「え、え!?」


 幼い子供たちが嬉しそうに月姫の周りに集う。どこか月姫の面影を残しながらも、何故か頭の上部の左右にエラの様な物が揺れている。


「これはどういう事で、こうなったの!?」

『マスタの生態情報を精査した結果、メキシコサラマンダーのゲノム解析したDNAが広く使われている事が分かりました。それを参考にしたため、先祖返りの様な状況になったと推測します』

「え、私そんな何か凄いの使われてたの……?」


 今更ながら、母であるなよたけの発想に度肝を抜かれる。


『ちなみに俗称はウーパールーパーです。幼い姿のまま形態が変化しないという生物の特徴が不老にも繋がったと推測します。なお、再生能力の高さもウーパールーパーは非常に高いです。腕が切れても再生します』


 群がる子供たちと、衝撃の事実に月姫はまた静かに意識を失った。




 月姫が目を覚ました時、再び数年が経過していた。また勝手に休息が必要だと判断されたらしい。なんとなく不機嫌なまま船外へ出ると、辺りの光景は一変していた。


 小さいながらも建物が並び、離れた所には畑まである。空を見ると人口の太陽が静かに照らし、穏やかな空気まで流れている。そして月姫の姿を見た者たちがまた一斉に作業を止めて群がってくる。


「かかさまー。いろいろできたー」

「がんばたー。ほめてー」

「かかさま、こーひーのむ?」


 少しだけ知性が上がっているらしく、以前よりも具体的に色々と告げてくる中、月姫は一つの単語に気が付く。


「え、コーヒー!?」

「こっちー」


 袖を引かれ連れて行かれた先は、背の低い灌木に赤い実が連なり、それを丁寧に収穫した後に天日で乾かされている見覚えのある果実。珈琲の木と豆であった。


「なんで、農業成功してるのー!?」

『疲れた時には、合成ではなくきちんとした珈琲がよろしいかと。地球圏ではよく飲まれていたので、残っていた豆から再生培養した純粋な豆です。どうぞご賞味を』


 もう絶対この人工知能壊れてると確信しながらも、すすめられるままに目の前で丁寧に焙煎された豆に湯が通されるのを待つ。辺りの子供たちは相変わらずエラを左右に振りながら嬉しそうで月姫も段々と悩んでいるのが馬鹿らしくなってくる。お湯を注ぐのに四苦八苦しているのを見かねて代わってやり、ゆっくりと少しずつ香りを、味を出しながら珈琲を入れていく。必死に覚えようと手元を見ているのを、自分も昔そうやって母の動きを見て真似していたと思い出しながら月姫はこの時間を楽しんだ。




   **********




 あれから一緒に珈琲農園を手伝いつつ、指向性の強力なアンテナの設置にも時間をかけて成功。人類の生存域への通信も可能となり、ようやく救援を呼ぶことが出来たのは何世紀か経ってからの事だった。


「月姫君、こりゃ一体どういう事なんだい? 珈琲農園の経営者を銀河でやっているのは流石に驚きだ」


 立派な都市レベルにまで発展した小惑星に救援要請に応えて初めにやってきたのは案の定スメラギ氏であった。最新鋭の亜空間航行装置を乗せた船は、地球圏からここまで数日もかけていないという。今までの自分の苦労はなんだったのかと少しだけ月姫は苦く思いながらも、この時間も無駄では無かったと今では感じている。


「何かを得た様だね。思い詰めた顔では無くなっている」

「ええ。こうして誰かを育てるという事を通して、母の気持ちが少し分かった気がしするんです。少なくとも、私は望まれて生み出されたのだと」


 その月姫の言葉に、遠い様な、あまりにも優しい顔をしながらスメラギ氏は頷く。


「僕も母というものを”経験”して色々分かった事もある。全ては無駄ではないのさ」


 聞き間違いかと目を見開いた月姫に、スメラギ氏はウインクすると自分の船へと乗船を促す。


「君が宇宙のあちこちでなよたけの情報を分かる範囲で流してくれたおかげで、動きのパターンは絞り込めた。そしてこの亜空間航行が可能な船、ジョージ三世ならば、しらみつぶしにしても年内には見つかるだろう。行こう。孤独の母を見つけに」


 さらに目を見開いた月姫は、言葉も無くスメラギ氏に飛びつくと、船に乗り込み再び宇宙へと飛び出していった。彼女の子供たちは、それに大いに手を振って出発を祝ったという。




【深宇宙の外縁部へと到達した人類。だが、先へ行けば行くほどに、亜空間航法があっても深淵への探索は困難を極めたという。幾多の旅人が宇宙の奥を目指す中、月姫珈琲の名前で有名な小惑星ウパルパは、旅人たちの癒やしの空間としてそこに在ったという。時に宇宙暦3316年。人類は暗黒領域の先へと歩みを進めた

ユニバーサルスペースジャーナル 人類の足跡。その第四十九巻より】

メキシコサラマンダーこと、ウーパールーパーのゲノム解析が、つい先日完了したというニュースを見ました。

実際に再生能力が非常に高く、腕がもげても生えてくるレベルで、医療に活かせないかと今研究中だそうです。現実がどんどんSFを追い越している気がします。

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