Biotope
「創造主よ。我らを見放したのですか……」
祈る一人の少女。狩人たちの日々の成果も芳しくない。祈りを捧げても神の賜り物は少ない。いや、日によっては全く無い事もある。時たま思い出したかの様に届く事もある。少しずつ民は数を減らしている。巫女である少女には祈る事しか出来ず、今日もまた四角い窓を見上げる。民が苦しくない様にと祈りを捧げ、願いを口にする。祈りは今までは通じていたのだ。きっとまた届くと、彼女は両の手を合わせていた。
◆
「お父さん、これなーに?」
「おぉジョージ。これはな……」
ジョージは書斎で、父グラントの膝の上から四角く光る箱を見つめていた。赤と緑の光は、まるで呼吸するかの様に瞬いている。時々光同士が接触すると、激しく光った後にどちらかが消えていく。背景が黒だけに、その明滅は星のきらめきの様でジョージはいつまでも見惚れていた。グラントもまた、ジョージのその金髪に映える光に、希望を抱いていた。
◆
「今日の収穫はこれだけだ」
そう言って狩人が投げてよこしたのは数名分の獲物だけだ。二家族が食べればすぐに消えてしまう程の量。だいぶ少なくなった民からも失望の溜め息が漏れる。
「巫女よ……。神はなんと……?」
かぶりを振る巫女に、見守る村人も静かに肩を落とす。誰もが無言のまま、一人ずつ聖堂を出て行き巫女は一人四角い窓を見上げる。神はただ、チカチカと光るだけ。何も成してはくれなかった。
◆
「何故私の仕事が理解されないのだ!」
怒りに任せたグラントが手当たり次第にリビングの中の物を投げ付ける。妻のマーサが必死になだめるが、怒り狂ったグラントには届かない。ジョージは怖がって父の書斎へと隠れる。そこにはかつて父が使っていた四角い箱が光を失って佇んでいた。いつも静かな音を立てていたのに今は何の気配も無い。だがジョージにはそれが寝ているだけの様に感じられた。
書斎の中でプラグを探して繋ぐと箱は目を覚ます。何かに呼ばれたかの様に画面に触れ、ジョージは中でピカピカと明滅している部分を触った。真っ赤に染まっていた画面は緩やかに緑に変化していく。ジョージはどこからか感謝の声が聞こえた様な気がして耳を済ませたが、父と母の言い争いの気配以外に何も感じられるものは無かった。
あれから成人して家を出たジョージは、気付けば父と同じ事を生業にしていた。コンピューターに指示を出す――プログラマーだ。
生家にあった様な一部屋に広がる様な機器は年々小型化し、気付けば卓上に置かれた物でも過去の物よりも遥かに演算機能は向上していった。それに合わせてプログラムも複雑化し、また便利になっていった。
「なあスメラギ。この子たちはどこまで進化するんだろうな」
生粋のアメリカ育ちのはずなのに、ジャパニーズめいた名前を名乗る同僚と共に休憩していたジョージ。立ったまま珈琲を飲んでいたジョージに、優雅にソファに腰掛けたスメラギは、綺麗な金髪の眉毛を片方だけ上げながら答える。
「どこまでも、どこまでも行くんだろうな。いつか我々を越えて独自に文明すら築くかもしれない」
「おいおい。そりゃ最近流行りのペーパーバックかい? ロボットが意志を持つだの、三原則がどうのだの、ありゃフィクションだろ」
先日本屋の店頭で見掛けたそれらは、確かに夢も希望も満ちていたが、あくまで【お話し】だ。
「機械はあくまでも道具だよスメラギ」
「”ツクモガミ”って知っているかいジョージ」
聞いた事も無い単語にジョージは、目を瞬かせる。
「東洋のフェアリーテイル……お伽噺みたいなもんだ。長く使った道具は意志を持つってね」
「へぇ……。そりゃ代わりに仕事をお願いしたいもんだねっと」
飲み終えた珈琲が入っていた紙コップを投げた先にはゴミ箱。放物線を描いた紙のコップは、壁に一度ぶつかって綺麗にそこへと入った。
「ブルズアイ!」
「おっ初めて入ったぜ。なぁスメラギ。きっと今日の俺はついてるぜ」
スメラギに何の気なしに言ったが、確かにジョージはその日ついていた。
「俺がミサイル誘導プログラムの責任者にですか!?」
暮れなずむ夕陽を背に、上司は淡々と辞令を伝える。呼ばれた部屋の真ん中に置かれた机。そこに投げ出された【極秘資料】を読んだジョージは歓喜する。大抜擢だ。
「近々戦争になるだろう。その前に開発を成功しなけりゃならん。ジョージ……君なら出来るな」
「任せて下さい!」
こちらを立てればあちらが立たず……。単純に思えたプログラムも、論理破綻に、論理崩壊。期限が迫る中、完成が見えない。そうこうする内に国内はどんどんキナ臭くなっていく。そんな目の回る忙しさの中での父親の危篤の知らせ。ジョージは溜めこんでいた有給を使うと生家へと飛んだ。
葬儀屋に任せ、疲れきった母を助けている内に、父は土の中で眠りについた。晩年も自らの仕事が理解されない事に荒れた日々だったらしく、母は疲弊しきっていた。だがそれでも肩の荷は下りたのか、憑き物が取れた様な顔でベッドに入っていった。
手を握って眠るまで待っていたジョージは母の寝室を出ると、ふと父の書斎を覗いてみた。そこはまるでジョージが家を出た時のまま時が止まっていた様だった。部屋の隅に古びたコンピューターがそのまま置かれていた。埃を払ってプラグを差して電源を入れる。やはり古いが機構が単純なだけに少しして無事に起動する。
「懐かしいな……。いつも横から見てたが、親父がゲームしているみたいだったな」
ジョージは郷愁に襲われながらも、あちこちプログラムをプロの視点で見つめ、そして驚愕する。父親が開発していたものの凄まじさに。
「事実は小説よりも奇なりってか……。時代を先取りし過ぎだったんだよ……親父よ」
それは自立思考型プログラムのひな型であった。
◆
「神が……戻られた……」
僅かな民を休眠させ定期的に目覚めていた巫女は、窓が光を放つのを感じた。確かな気配がある。食料が注がれ世界に光が満ちていく。
「あぁ……。あれは……創造主の御子息様……」
巫女は民を目覚めさせ、創造主よりかつて指示された最上位命令を遂行する為に動き始めた。産めよ育てよ地に満ちよ。
◆
「ジョージ……これが君の願いか」
「違う……スメラギ……俺は……」
父の遺したものを活かし、ジョージはミサイル制御のプログラムを完成させた。そして予定よりも早く始まってしまった戦争に先駆け……プロトタイプのミサイルは放たれた。
「抑止力だと聞いていた……。まさかいきなり使うだなんて……」
「道具は使い手次第だよ、ジョージ。僕は何とかして抑止力になる様に働きかける……。僕に何が起きても君は気に病むなよ。今までありがとう」
「スメラギ……?」
翌週にスメラギは死体で発見された。軍に睨まれたのだろうという噂だったが、真相は分からない。ただ新聞社にかなり際どい情報までタレコミが成功していた様で、ジョージの勤務していた会社は連日マスコミに悪し様に取り上げられ、旗印は急速に悪くなり……年が明ける前に潰れる事になった。
戦争は違う武器を使って続く……と思いきや、月面着陸を果たした宇宙飛行士たちが、とんでもない物を発見してそれどころではなくなった。【宇宙素子】と名付けられたそれは、今までのマイクロチップが馬鹿馬鹿しくなる程の可能性を秘めた物質だったのだ。
『時代は宇宙へ! 新たなるフロンティアスピリッツを!』
あっという間に宇宙競争時代へと突入し、大量破壊兵器の技術は飛ぶ為の推進の知識に、ミサイル制御は推進機制御の技術へと転用され、各国が大慌てで宇宙《そら》を目指した。それは別の意味の戦争であり、ある意味では人の死なない明るい競争であった。
『従来の集積回路は過去の物に! 宇宙素子は更なる進化を!』
あれから随分と時が経った。月に基地を作る計画が持ち上がり、成層圏を飛び出した宇宙船は資材を持ち帰る。その資材で更なる技術が作られる。そんなブレイクスルーが次々と目まぐるしく起こる中、一人の才女が飛び抜けた効率化を完成させたという。発刊したばかりのユニバーサルスペースジャーナルというニュースペーパーの一面には美貌の才女が笑顔でこちらを見ていた。まだかなり若いという……。俺も老けたなと白髪が混じり始めた頭をかきながら記事を追っていたジョージだったが、才女の名前を見て思わず目が止まる。
『ナスターシャ・スメラギ』
あのスメラギの娘だろうか。確かに顔は似ていないが笑い方に面影がある気がする。駄目元でジョージはユニバーサルスペースジャーナルに連絡を取った。
指定されたホテルのロビーも宇宙一色だった。テレビモニターの中ではロケットが飛び、格調高い老舗ホテルも、まるで子供部屋の様にロケットの玩具や月の模型等が飾り付けられている。今は時代がそうなのだ。前へ前へ。希望に満ちた明るい時代。
そんな中、ロビーで見つけたナスターシャは、緊張する事も無く静かに珈琲を飲んで待っていた。絵になる様な落ち着いた風格すら見える姿勢。黒髪に色素の薄い蒼い目は絵画から抜け出して来たかの様に触れがたい魅力を放っている。だが、それよりもジョージが気になったのは、珈琲の薫りだった。
「マンデリンの深煎り……。あいつも好きだった。初めましてお嬢さん、私は……」
「ジョージ。続きは部屋で」
振り返りもせずに、珈琲をゆっくりと飲み終えたナスターシャ嬢は、ジョージがついてくるのが当然とばかりにエレベーターへと向かって行った。
「初対面の男をいきなりホテルの自分の部屋に招き入れるだなんて、ロシアの才女は随分と飛ばしているんだな」
「そうね、飛ばしているのはロケットと発想が主流だけど」
そう言って振り返り笑顔になったナスターシャの笑い方は驚く程に元同僚のスメラギに似ていた。
「君は俺の同僚だったスメラギの……娘さんなのかい……?」
ジョージの反応をしばらく楽しそうに見ていたナスターシャは、クスクスと笑っていたが、しまいには大声で笑い始めた。
「おいおいジョージ。君は女の子相手にもそんな感じなのかい? そりゃその歳になっても独り身だな。まあ嫌いじゃないさ。僕はね」
鈴を鳴らす様な可愛らしい声でドギツイ言葉を投げられて呆気に取られながらもジョージは思わず指を差しながら呟く。
「は、いや、まさか……。同期入社のプログラム第二部の……スメラギ!?」
「ブルズアイ!」
そう言ってその指をパチンと鳴らして答えるナスターシャ。その話し方、その仕草、どうみてもよく知っていたスメラギそのものだった。
「つまり、記憶を保持して甦る……というのか。まさに東洋の禅……だっけか」
若い娘には似合わない仕草で指を鳴らして頷くのは当時のまま。スメラギが語ったのは、輪廻転生というものらしい。よく分からないが、他にも幾つか質問してみたが、明らかに昔の友人しか分からない事ばかりであった。
「あんなに技術を嫌がっていたのに、更に技術を進歩させるのか?」
半信半疑ながらも問い掛けるジョージに、ナスターシャことスメラギはマンデリンの珈琲を堂に入った手付きで淹れながら答える。
「前にも言っただろう? 道具は使い方次第だ。僕は何としても宇宙に行かなくちゃいけないんだ。だから進歩を求める」
「死んでもか」
「何度死んでもだ」
その言葉に込められた強さにジョージは圧倒される。もしかして今までもずっとこいつはこうして生きて来たのだろうか。独りで抱えながらも。それはそれこそHell――東洋思想の地獄というやつではないのか。だったら、そこに支えがあってもいいのではないだろうか……罪滅ぼしの意味も込めて。
「スメラギ。俺にも手伝わせてくれ。先のお前の為にも」
「じゃあその前に一つだけ供養しようじゃないか」
「供養?」
「memorial service。つまり物に対する感謝と労いだよ」
スメラギと共に向かった先はかつての会社の跡地の一つである砂漠の中の生産工場だった。
「射爆場も兼ねていたから、やはりここだな」
「スメラギ、ここは何の工場なんだ?」
「君の娘たちの居場所だよ」
厳重にセキリティでロックされた場所をパスコードを打ち込み解錠していくスメラギ。その先にあったのは……。
「俺が携わったミサイル……。まだこんなに残っていたのか……」
「制御のプログラムは微妙に生きてるようだ。可愛いそうだろう? 弾頭とは既に切り離されてはいるみたいだな。さぁジョージ、きちんと眠らせてやってくれ」
静かに眠る弾頭の林に思わず十字を切りながら、ジョージは祈った。もう戦うことの無いようにと。
◆
創造主グラントの、初めであり最上位命令は簡単なものだった。
――狩人は標的を捕捉。後に、標的を追尾し体当りを敢行せよ。
でも、御子息に引き継がれた私たちの出番が来る前に、私たちの必要な意味が無くなってしまった。戦争が終わったから。
「もうこのまま使用されぬ様に……。ゆっくりと休んでくれ……」
神よ。もう休んでもよろしいのですか。もう争わなくてもよいのですか。
私たちは皆、静かに安らかに眠りについた。数世紀は後に掘り出される事を知らずに。
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【ナスターシャ・スメラギ氏と、ジョージ氏の共同開発は更なる技術を世界に発信し続けた。晩年二人は夫婦なのかと問い掛けた記者もいたが「戦友だ」との返答があるのみだった。実際はどうだったのだろうか、詳しくは分からないが、二人が特別な絆で結ばれていたのは、誰もが見て分かる事であった】
ユニバーサルスペースジャーナル 【西暦2000年台への序曲。プログラムの進化の軌跡】より引用。
『AI、アイ、愛。』へと続く話でもあります。