Buds of roses(薔薇のつぼみ)
「がんばれっ……。ミラクルマンがんばれ……」
真夜中にふと目が覚めてお手洗いに行こうとした幼い日のパンドラは、共用のリビングルームで音を絞って映像作品を見ているドボルベルクに気付いた。普段から一人でいて寂しそうな彼と仲良くなりたかったパンドラは、声をかけようとしてそれに気が付いた。ドボルベルクが、泣き声が広がらない様にハンカチを口にくわえてそれを見ていた事に。
さみしげで、何かに必死にすがる様な、その様子。声をかけたら壊れてしまいそうなそんな空気を、パンドラはただ黙って見つめる事しか出来なかった。
――それは、幼い日の記憶。
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「うっわ〜! 本物だよ本物!」
輸送の仕事で寄航したとある星。たまにはと足をのばしたところ、ある俳優のトークショウが行われていた。ドボルベルクが幼い頃から見ていたヒーロー物の作品で、体験型映像が主流となった今でも映像のみの作りに拘り、今もなお続編が作り続けられている人気作である。
元海賊たちが合流する度に喜んで買い与える可愛らしい服を着て肩甲骨辺りだったのが肩位に短くなってしまった金髪ではしゃいでいる姿は、完全に幼い女の子そのものであり、パンドラと胸にかけた小型端末に入って視界をパンドラと共有しているお父様も苦笑いである。
「なんか狂暴な動物を運ぶとか、物騒な依頼だったけど、頑張って良かったよなー」
「寝ててくれたし、積み降ろしの時以外は静かだったよね」
どこかの星の原産の狂暴な動物――サイズ的にもはや怪獣という大きさだったが――を輸送して欲しいとの依頼で随分と辺鄙な原生惑星から、この月面に程近い惑星までおっかなびっくりと運んだのだった。
『親子だった様で、一緒にしておいたのが良かったのかもしれぬな』
それ頷くパンドラと、急に静かになるドボルベルク。
「俺、親の記憶って無いけどさ……。ああやって優しいもんなんだろうな」
あの運んでいた動物も、今目の前のトークショウを楽しんでいる沢山の親子連れもとても優しげである。それを見てボソリと呟くドボルベルク。折しも目の前で転んだ娘を抱き上げてあやしている父親の姿があった。
『……なりはこんなだが、私も一応”お父様”だ。甘えてくれてもいいぞ』
「私も小さい頃に両親が亡くなって孤児院に出されたからあんまり分からないけど……」
と言いながらドボルベルクを抱き締めるパンドラ。
「何だかんだあっても今は私たちがいるよ? ドボちゃん」
いきなり抱き締められ照れながらも、それを振り払う事はしないドボルベルクであった。
【さぁ! この後は皆さまお待ちかねの! ミラクルマンショウが行われますよー!】
ワクワクと待っている会場の人々。そんな中、突然の爆発音。音の方向を見ると、郊外から巨大な動物がゆっくりと進んで来ている。方向は明らかにこの会場だ。
「パパーすごいねー。かいじゅ。かいじゅ~」
「本当だね。凄い迫力だ」
「でも、あれこっちに向かって来てるけど大丈夫かしら」
会場が見渡せる後方の席で見ていたドボルベルク一向は気付く。恐らくこれはショウでは無いことに。遠目でも自分たちが無事に運んだはずの怪獣だという事と、怪獣から感じられる本気と殺気に。
「お父様……」
いてもたってもいられないと振り返ったドボルベルクに、二人は当然の様に反応する。
『既にトラストを船から呼んだ。止めても無駄だろうが……気を付けるのだぞレディ。この星の治安維持の部隊も察知している様だ。レディーパンドラ、念の為に我らはここで待機がよかろう』
「ドボちゃん気をつけて」
俳優は打ち合わせと違う内容に戸惑っていた。会場は強引に場を繋ぎつつ、避難させるか悩んでいる様だ。会場にいる運営側から自分への指示も【時間を稼げ】だ。
「アドリブは苦手なんだけどな」
本来は近くのビルから小型の飛行機で会場の真上に乗り付け、そこからホログラムをまとって、まるで巨大化したヒーローの様に降り立ち、ショウをするという展開だった。何が目的か不明だが会場へと迫り来る怪獣。それを止めないと、怪我人程度では済まないだろう。
「まさか本当にヒーローをやるとはな。行くか」
男性時のドボルベルクの事を知っている人がいたら、息を飲むほど驚いただろう。それはあまりにもよく似た表情だった。彼は飛行機に乗り込むと怪獣へと向かった。
大きな通りをあれだけ歩いていた住民も、走っていた電動車《エレキカー》も今は無く、少しずつ向かってくる怪獣まで見通しは良い。角が生えた馬にしか見えないトラストに跨がり怪獣へと走るドボルベルク。お父様から預かった強力な火器もあるにはあるが、いくら惑星上とはいえ完全に地球環境化された場所では無い為においそれと使用する事が出来ない。普段は存在を忘れている天を覆い尽くす程巨大なドームも一枚隔てれば真空。小さな穴ならともかく巨大なものならば、内部の物は吸い出されてしまう。この惑星の治安維持部隊は最低限の人員しかいないらしく、衛星軌道上から応援を要請しているがかなりの時間がかかると、お父様が傍受した情報を教えてくれている。――何が出来るか分からないけれど、何かしないといけない。
そんな焦燥感に苛まれていた馬上のドボルベルクの先、怪獣の足元に飛行可能な小型の飛行機が突っ込んで行く。光線めいた物を放ってすぐに距離を取っているが、光線に殺傷能力は無く本当に光っているだけの様だ。だが、目眩ましに苛立ったのか何度目かの接近時に、勢いよく振られた尻尾が機体に激突。フラフラと近くのビルに衝突すると動きを止めた。
「トラスト! あそこへ」
背中にドボルベルクを乗せたまま、トラストは分かっていると言いたげに、速度を上げた。
随分前に亡くなった愛しい妻、幼くして誘拐されたまま行方が知れない娘を想いながら、俳優は息と共に血を吐き出した。独りになってしまった時間は長かった。それでもいつか娘に会う事が出来るかもしれないと、必死に捜索しながら、調査をしながら、各星を巡りながら俳優業は続けて来た。いつか、娘に届くかもしれないと。父はこうしてお前に勇姿を見せているのだと。だが、ついに迎えが来た様だ。在りし日の娘とそっくりの姿が目の前にいて声をかけてきている。これは、きっと天国からの使者に違いない。
「おい、起きろ! 大丈夫か!?」
「……現実か……。君は一体?」
こういう時は、意識を失うとまずいと知っているドボルベルクが必死に声をかけた成果か彼は目を覚ました。やけにドボルベルクを見て驚いている様であったが。
「俺はドボルベルク。こんなナリをしてるが、まぁ色々やってる。あんた動けるか?」
何故か花びらを漂わせながら話しかける随分と活発な女の子に驚きつつも、かぶりを振る俳優。それに無理に動かない様に指示を出しつつドボルベルクは外を見やる。怪獣はビルと同じ位の高さの目線のまま、会場を必死に目指している。時々鳴いている声は、何かを呼んでいるかの様だ。
「お父様、もしかして俺たちが運んだ怪獣の子供……そこにいないか?」
『……探知中だ。待ち給え……。何! いたぞ。とある家族の子供が抱えている。何故引き離したのだ……。すぐにレディパンドラに話をつけに行かせる。もう少し時間を稼いでくれたまえ』
あの怪獣も家族と引き剥がされその為に強引に脱出して来た様だ。親子一緒にしていれば比較的穏やかでじっとしていたはずだというのに。原因よりも、まずはこの時の対処を。トラストが急げと嘶く。
「君は……私が探していた娘によく似ている……。私たちの愛したBuds of roses|《薔薇のつぼみ》に」
「俺は、幼い日の記憶は無いんだ……」
背中越しに、静かに答えるドボルベルク。息を飲む俳優にそのまま続ける。
「だけど、いつもミラクルマンを見ていた。ずっと俺の支えだった。だから、あんたはここで死んで欲しくない。あんたは今まで俺が生きてきた事を支えてくれたヒーローだから」
そう言って離れようとするドボルベルクの足元に何かが投げられる。拾ってみれば、それは俳優が使っているヒーローの変身道具であるペンダント。映像作品では、これを使って彼は光る巨人となって悪と戦うのだ。
「お守りだ。初代からずっと俺が使っている」
「ありがと……。ミラクルマン」
「生きろ。俺も死なない。死んでたまるか」
ドボルベルクは振り向くと、とびきりの笑顔で応えた。それは本当に在りし日の妻の若い頃の姿に、育っていた姿を見たらこうだったであろう娘にそっくりだ。思わず呼び止めようとした叫んだ声が届く前に、ドボルベルクは宙に身を躍らせるとトラストに乗って走っていった。
【未確認の巨大生物が接近中です。ただちにシェルターに退避して下さい。繰り返します……】
隕石落下等の際に使う為のシェルターへ住民の避難が進む中、とある金持ちの家族は気にせずに先の会場にいた。彼らはこの星始まって以来の大富豪であり、思い通りにならない事など無かった。
「パパ、なんでショウ始まらないのかしら」
「ふむ。さっさと始めて欲しいものだな。私達のためにも」
「あなた、何だか若い娘が来たわよ」
既に怪獣が迫りつつあり、辺りは立っているのが辛くなりそうに揺れている。その中を、ものともせずにパンドラは歩いて行く。
「今、あなたの娘さんが抱えている生物を、納品させて頂いた業者です」
「ああ、確かそうだったな。それで?」
横柄に返す父親から目線をずらすと、その横にいる娘が抱えている生物を見る。それは明らかに弱っている。パンドラたちが運んだ時はあんなに元気に鳴いていたのに。
「あの怪獣はその幼獣をめがけてやってきています。親元に離してはもらえませんか?」
「やだー! ピーピちゃんは私のなのー!」
いやいやと左右に振れば、弱々しくうめく幼い獣。
『貴殿らはこの状況を理解していないのかね。目標はそちらだ。諸共に瓦礫になりたいというのなら止めはせぬが』
どこからか急に男性の声が聞こえてきて驚く夫婦だが、子供は気にせず嫌々と駄々をこねる。そこへパンドラは目線を合わせると、静かに語った。
「お父さんとお母さんは好き?」
「うんー」
そう良かったと、笑顔になるパンドラに、子供も動きを止めて笑顔になる。
「あそこにね、大きな怪獣がいるでしょ? あなたのピーピちゃんには、それがお父さんかお母さんなの。急にお父さん、お母さんがいなくなったらどう?」
少しうつむいて考えた後、涙を一気に流しながら娘は叫ぶ。
「やだー! 絶対やだー!」
「だからね、返してあげたいの。いい?」
娘は、しばし自分のペットと、親と、怪獣を見つめると静かに手に持っていた妖獣が入った籠をパンドラへと手渡したのだった。
「くそっ! 止まれ! 止まってくれ!」
トラストの速度で追いつくも、足を攻撃しようが、叫ぼうが、何をしても怪獣は止まらない。むしろ速度が上がった様な気すらする。そんな中、急にトラストが嘶《いなな》く。ドボルベルクが見ると幼い子供が怪獣の進行方向上で瓦礫に足を挟まれて動けないでいる。どうやら避難する時の車が事故を起こしたらしい。既に辺りには誰もいない。
「嘘だろっ! 間に合え!」
トラストが加速。さらにそこから飛び出すドボルベルク。瓦礫は動かない。迫る怪獣の足。慌てて兵装を展開して怪獣へ攻撃をしかけるトラスト。子供を抱きしめながら、ドボルベルクは先ほど貰ったお守りを抱きしめながら、必死に願った。――今、自分があのミラクルマンだったら。どんなにいいだろうかと!
「ドボちゃん、妖獣確保した! ドボちゃ‥…」
怪獣は足を止めなかった。トラストですらビクリと足を止めた。パンドラが必死に妖獣をつれてやってきた時、怪獣の足は地面へと到達した。そしてそこが光を放った。
怪獣は怒り狂っていた。幼子《おさなご》と共に捕らえられ見知らぬ場所へと運ばれ、そして引き裂かれた事。その後ドームの端で強力な火炎放射で焼かれそうになった時、本来の力を発揮してそこを脱出しつつ自らの幼子を探し求めたのだった。
幼子《おさなご》は必死に鳴いていた。親が恋しと、腹が減ったと鳴いていた。まだ一人で生きられる程成長していない。怪獣は必死に向かった。幼い獣が弱っている気配がどんどん伝わってくる中、何かに邪魔されながらも、ただ向かった。そんな中、自らの足元が光ったのだった。
【これは後に、機動上にいた治安維持部隊の船から惑星上に見えた物の証言を合わせたものである。あまりにも荒唐無稽な物の為、誰もが大掛かりな映像作品ではないかと疑った程だった。
――巨大な人型の光が、幼獣を抱えた怪獣を連れて、ドームから宇宙へと飛んでいったと。
惑星上は、ドームの端の地点から中心にほど近い会場まで一直線に建物が崩壊し、しかしある一点でまるで嘘の様に止まっていた。まるで巨大な何かが膨れ上がったかの様に、そこは丸く大きくくぼんでいたという。
「足跡……じゃなくて、なんというか、そこから何かが飛び立ったみたいでしたね」
取材に答えてくれた現地の修復班はしきりに首をひねっていた。しかも、都市を覆って真空と隔てている巨大なドームはどこにも破れは無かったという。
「あ、でも気になるのが、何だか薔薇の香りがして、すごく優しい気分になったんですよね。なんでだか」
謎は深まるばかりであった。
ユニバーサルスペースジャーナル、ドーム都市の怪異の謎を追え! より抜粋】
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ドボルベルクは三日間ほど寝込んだ。惑星にある治療施設で見てもらった結果、衰弱しているだけだという事だった。ただ髪の毛が耳元位にまで減ってしまっており、お父様は何か関係しているのか調査を進めているという。途中で見舞いに来た俳優にパンドラは驚いた。それはドボルベルクが好きでいつも見ていた作品の主役だったからだ。
「勇敢なレディが目覚めたら、そのお守りは持っていてくれと伝えてくれ」
意識が無い間も、ずっと手に握ったままだったペンダントに軽く触れると呟いた。
「もしかしたら、君は私の娘なのかもしれない。だとしても君はBuds of roses|《薔薇のつぼみ》ではない」
【マッゼット ディ ローザ】小さいが気高く咲き誇った、薔薇の花束だと。
「え、マジで!? お見舞い来てくれてたのかよー! 色々話してみたかったのになぁ……」
元海賊たちが大量に送りつけた見舞い品の中のハート型のクッションを抱きしめながら、ぶうぶうと文句を言うドボルベルク。すっかり元気な様子で目を覚ました彼にパンドラもお父様もほっと胸を撫で下ろした。
「薔薇の花束かー。通り名的に名乗ってもいいなぁ。ヒーロー公認です! ってさー」
今度もし会えたなら沢山話をして、もしかしたらを記憶の隙間や他の何かを埋めたいとドボルベルクは思った。お父様だけは断片的な情報を集めて齟齬がある部分に何か思い当たる節がある様だったが、今はただ黙ってレディの幸せな様子に満足げであった。




