もげた翼。新しい翼。
――俺は……英雄になりたかった訳じゃない……。
『各部損耗率60%をオーバー。生命の危機に関わります。至急脱出を……』
めまぐるしく警告音が鳴り響く中、機体に搭載されている人工知能であるアイーダが告げる。しかし脱出しろと告げられても逃げ場などありやしない。宇宙空間で星になるしかないだろう。
『機体ロックオンされました。回避困難。デコイ並びにチャフを射出。回避確率並びに生存確率3%から12%へ上昇。マスター、運を天に任せて下さい』
――簡単に言ってくれる。これまで運だけは良かったが、今回はさすがに……。
『着弾間もなく。対ショック姿勢をお取りください。対ショック姿勢をお取りください』
無情な機械音声が告げる中、無慈悲な激しい衝撃。ニコライの意識はそこで途絶えた。
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【ツェルフ共和国の大戦の英雄ニコライ・アガーボフ大尉、遂に堕つ。
彼の英雄には国家予算並みの懸賞金がかけられており、撃墜したあかつきには、莫大な報償金が入るとの事で、多数の宇宙の騎士たちが彼を狙うも、全て返り討ちにあっていたという。そのあまりにも凄まじい戦果に彼は「戦場の若獅子」と呼ばれていた】
ユニバーサルスペースジャーナル号外より抜粋。
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木漏れ日が彼を照らす。
――ニコライは、父が存命であり、母がまだ優しかった頃の事を思い出していた。
――ああ、母さん。まだ優しかったあの頃の母さん。
父が戦死した後、連れ合いを亡くした痛みから息子を責め立てる母。そこから逃れる様に軍に入り、いつしか父を超える様な戦果を上げてきた。それでも母は息子を許さない。いつしか父が死んだ事すら、全て息子のせいだと考え始めた母から目を背け自らをひたすら過酷な戦場へと追い込んでいった。気付けばニコライは死を恐れないかの様なその戦いぶりから、戦場の若獅子とまで呼ばれていった。
――死を恐れないんじゃない。……ただ生きているのが辛くて逃げていただけなんだ……。安らぎが欲しかった……。
大丈夫ですよ。そう柔らかい声が聞こえてニコライはまぶたをそっと開けた。在りし日に隣の家の住人が飼っていた動物……猫がいた。
「ね……こ……?」
それに対して、二足歩行している猫にしか見えない者――娘は、柔らかく笑うと声をかけてきた。
「お目覚めですか。良かったですご主人様」
「ご主人様……?」
ニコライは夢の続きを見ているかの様な想いであった。
「つまりこの星には君たちしかいないのかい?」
「はい、ご主人様」
片手・片足が骨折。頭もかなり強く打っていた様だったが命に別状は無いらしい。それを伝えてくれた彼女は、どれだけ言ってもご主人様と呼ぶのを止めてはくれず、仕方がないのでそのまま状況を伺う。彼女……ベディは色々と教えてくれた。ここは彼女ら猫人間(と呼べばいいのだろうか)たちしか住んでいない星であり、ニコライの様な人間は「ご主人様」と呼ばれていたらしい。
らしいというのは、道すがら出会う全ての住人(猫人間だ)に頭を下げられ、その様に呼ばれたからだ。
「ところで、僕たちはどこに向かっているんだい」
「はい、主様の所でございます」
そう言って車椅子で運ばれた先は、墜落したであろう自分の戦闘機ヤーク48型と、その横にある中型クラスの戦艦であった。
「これは……」
驚くニコライに、ベディは答える。
「主様がおられる御神体でございます。主様の言いつけにより、ご主人様の方舟は皆で運んでおきました」
戦艦内部に入れば直ぐ様の小型の端末から耳慣れた声が聞こえてきた。
『マスターご無事でしたか』
「アイーダか。君も無事だったのか」
御神体と呼ばれた戦艦の中、うやうやしく手渡されたのは人工知能のアイーダが入れられたものだった。アイーダによると、どうやらこの星は撃墜後にたまたま不時着出来た場所であり、位相の問題で上手くレーダーから隠れているらしい。そして、ここの住人が彼をマスターと呼ぶ理由も判明した。
「つまり……ここの住人は元々この戦艦に一緒に乗っていたペットたちだったのか」
『はい。ここの主と呼ばれている統括人工知能から情報を入手しましたが、あの戦艦もそこまで何世代も古いものではない様です』
アイーダの話をまとめると、この星に不時着した時点で乗組員はほぼ全滅。乗っていたペットを人間化する事で労力とし、残された人間たちは生きながらえていたそうだ。今は皆寿命等で死んでしまったが、その時の主従関係がいつの間にかこの戦艦のA.Iを中心とする特殊な国家形態を継続しているらしい。
『時間はかかる様ですが、修理可能な技師もおり、物資も多少はある様です。マスター、傷を治し修理が完了次第、戦線への復帰が可能です』
戦線へ戻る……。ここから脱出出来る事よりも、その事に恐怖を感じてしまうニコライ。そこへ柔らかい手で触れてくるベディ。
「ご主人様。まずは主様へ相談なさるとよいかもしれません」
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戦艦の中枢部でコンタクト出来た主様と呼ばれる人工知能は、ニコライが人間である事、そして軍属である事を理解した上で、行動は自由であると告げてくれた。あくまで人間の為の人工知能であり、ニコライが要求を伝えれば可能な範囲で応えてくれるという。とりあえず傷を治しながら考えると伝えその場を後にした。
小型の端末でアイーダを、横にベディを伴いながらニコライは迷っていた。このままここにいれば、戦わなくてもいいし、世間からも……母からも去る事が出来る。実はそれは自分自身の理想では無かったのか。だが、軍人として戻らないといけないという気持ちもある。
気が付けば森の中で泉のほとりにやってきていた。うなだれるニコライに、ベディがまた静かに、ニコライの無事な手を触りながら語りかけてくる。
「焦らないでよいと思いますご主人様。傷が治って、それから少しずつ考えればよいかと思います」
『そこな猫の言う通りです。マスター。まずは傷を治療。その後に事態の改善に努めるのです。軍人たるもの休息も仕事の内。しかる後に、機体の慣熟を……』
「ご主人様に無茶言わないで下さい! 怪我人ですよ!」
『黙りなさいそこな猫。これは高度なA.Iである私とマスターの問題です』
【そこな猫】と連呼されてカチンと来たベディが小型端末を掴んでポカポカと肉球で叩き、アイーダが高周波と理論で反撃する。その二人(?)を見ていて、ニコライは自身の悩みがなんとなく馬鹿らしく思えて笑うのであった。
怪我を治しつつ集落を見て回り、猫の手で足りない部分を補ったりしている内にニコライは少しずつ皆と仲良くなっていった。ずっと冷えて凍りついていた心が、優しい住人たちと過ごす中で温かなものに戻っていく様な想いであった。そしてアイーダとベディが言い争いするのも日常となり、住人からも笑いの種となっていた。いつの間にか、どちらがニコライにふわさしいのかという勝負になっていたのには驚いたが。
そうこうする内に、怪我は順調に治っていったがニコライは以前ゆったりとした時間を過ごしていた。未来を先延ばしにするように。
だが、ニコライはこのぬるま湯の様な温かさに酔いしれて忘れていた。ここが隠された場所であろうとも、戦地の中である事を。
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『マスター! 敵襲です! 数は一個小隊!』
ねぐらにさせてもらっているベディの家の窓から覗くと、敵国の爆撃機数機に、護衛の戦闘機まで飛んでいる。
「一個小隊クラスだと……。なんでこんな場所に……」
『我々が落下した際の熱源を探知したのかもしれません。申し訳ありませんマスター。機体がもっと早く修理出来ていれば隠せたかもしれません……』
アイーダが珍しく歯切れが悪い。最近ベディと会話している影響か、随分と人間臭さが増している気がする。今はそんな事よりも、どうにかしないといけない。
「アイーダ! 僕の機体は直っているのか!?」
『八割です。後部第三エンジンの調子が悪いですが、他でカバー出来ます。行けます』
「ご主人様!」
外に出ていたベディが泣きながら屋内へ走り込んで来て、ニコライに飛びつく。
「私たちはついに処分されてしまうのでしょうか!?」
どうやら、こういった事態も語り継がれていたらしい。だが、ニコライはそれを首を横に振って否定する。
「いや、そんな事はさせない。僕が……。僕が止める」
「でも、ご主人様も震えてます!」
そう、ニコライは未だに戦いが怖いままだった。今では以前の様に死んでもいいという戦いはしたくない。今はハッキリとに死ぬことが怖い。だけど。
「守れない事の方が、今は怖い。アイーダ! 行くぞ!」
『了解マスター』
泣いてすがって止めようとするベディを一度強く抱き締め、そしてニコライは走り出す。自分の愛機の元へ。
「こんな所に惑星があるとはな……」
眼下の森の中の集落を見ながら戦闘機の中でヴァルチュは独りごちていた。先日、大戦の英雄ニコライを撃墜したと思っていたのだが、機体を完全には大破させられなかった。そして、一ヶ月ほどかけて再度周囲の索敵を念入りに行った結果、なんとレーダーにも映っていない小さな惑星が発見出来たのだった。きっとここならばヤツがいる。手負いのヤツならば楽に打ち取る事が出来るだろう。ヤツを倒して、今度こそ莫大な報奨金を独り占めしてやる。名誉も金も全て俺のものだと。
わざわざ無人の爆撃機まで用意して彼はここにいる。ニコライをあぶり出す為だけに。
「こいつは……若干性能が上がってないか?」
『戦艦で用意されていたパーツと相性が良かった様です。修理は一部万全では無いものの、火力が向上。速度はエンジン不調ながらほぼ同じ速度が出ます。なお、大気圏内での空戦に特化したパーツが多くありました』
それは勝機に成り得るとニコライは呟くとこの惑星の海へと機体を向かわせた。
「アイーダ。ミサイル発射シークエンス、スタンバイ」
『火器管制システムスタンバイ、オールグリーン。いつでもいけます』
操縦桿を丁寧に扱いつつ、先行している爆撃機が、集落を離れた隙にロックオンマーカーで捉えトリガーを無駄なく引いていく。ニコライは、自身では気付いていなかったが、こういった無駄の無い武器の扱いも戦士として一級の腕前であった。
『FOX1……命中。続いて撃ち漏らした敵機もFOX3にて撃墜を確認』
「よし! しかし護衛のはずが、指示を出している隊長機がいないぞ……?」
ニコライはその瞬間に背中に感じた悪寒を信じて、機体を側転――バレルロールさせる。その開いた空間をビーム砲が貫いていく。焼けた空間の臭いがコクピットまで香って来るかの様だ。
「アイーダ! バリアシールド展開。残り時間カウントダウン開始。敵機はどこだ!」
『お待ちを……。上部、雲の中から撃ち下ろしています。バリア展開完了。終了時間まで残り……1分45秒です……。予想外にエネルギー効率が悪いです』
たったの1分と45秒で、相手を捕捉し撃墜せしめねばならない。今までの戦闘でも難易度の高い事は多々あったが、これは十分過ぎる高難度だ。
「だが、やってみせる! 相手の機種特定は出来たか!」
『照会……エラー。新型です。動きに特徴あり。恐らく前回我々を撃墜した者と推測されます。雪辱戦ですね……攻撃第一波、並びに第二波来ます!』
慌てて機首を上げ、そのまま垂直上昇。普段の倍以上のGがかかり、身体が押し付けられる。思わず漏れた息が悲鳴の様だ。
『大気圏内の為、G緩和シールドが発生不可。耐えて下さい。恐らく相手も同じのはずです』
避け切れなかった一部のビーム砲をバリアが中和させ、散らし、それでも機体を揺らして来る中を強引に上昇。そのまま宙返りの様になって、敵機予想位置の後ろへ。
「後ろを取れたか!」
『ニコライ! さらに後方!』
アイーダがいつもの口調すら捨てて叫ぶ声に、反射的に操縦桿を思い切り傾ける。真後ろからミサイルが次々にやってくる。相手もこちらの動きを読んだ上で、後ろにつく機動をしていた様だ。宇宙空間での機動だったら今ので撃破されていた。
チャフを投下、真横に来た動きの狂ったミサイルを強引な反転で回避。通過したものを機銃で破壊。――残り約1分10秒。背面カメラで自動ロックオン。同時にレーザー照準。敵機を捉えた瞬間にミサイルを連続発射。その弾幕・煙幕を使い、ジグザグの機動で敵機の後ろを狙う。――残り50秒。煙から離れた瞬間に自機も敵機も交互に前になり後ろになり、至近距離からの機銃の撃ち合い。――残り25秒。
「アイーダ! FOX2全弾発射用意!」
『イエッサー! ダミーのレーザー探知を照射2秒の後、本命を3秒短く流します。機体固定を!』
「おおおおぉぉぉ!」
――残り15秒。――残り10秒。機体正面のコクピット内右上に赤文字でカウントダウンが始まる。宇宙時代の戦闘機であろうと、バリアが切れてしまえば、遥か地球時代の空戦以下の装甲の様なものだ。攻撃を喰らえば一撃で消失する――残り5秒。
『ターゲットロック! 全弾発射許可願います!』
「いけっぇえええ!」
攻撃を最小限の動きで躱しつつ、見定めた瞬間にトリガーを引く。ミサイルを放って軽くなった機体を、そのまま宙返りの機動へ。地面に自分の頭が向く逆立ちの状態の中、コクピットから相手の顔が見える。それは驚愕と何故だという顔。
『バリア展開時間終了。機動力低下します』
アイーダの冷静に戻った音声の中で敵が爆炎の紅に沈むのが見えた。
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「ご主人様!」
走ってくるベディを両手で、勢いを二本の足でしっかりと受け止めつつ、ニコライは始めて自分の意思でもって戦った事を実感した。
「俺は、もう逃げない。逃げないよ」
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【ツェルフ共和国の、大戦の英雄、帰還セリ!】
撃墜されたと思われていたニコライ・アガーボフ少佐は辺境の惑星で生き延びていた!
無事に帰還した彼は、独自にカスタマイズした機体を操り、更なる戦果を上げ、全ての敵国から「戦場の獅子」どころか「止められぬ竜」とまで称され、戦争終結の為に多大なる戦果を上げた。なお、終戦後は、いずこへとも無く姿を消したと言われている
ユニバーサル・スペースジャーナル 振り返る戦火の記憶。第八次カンタベリ戦争を超えて、より抜粋
戦争終結後に惑星へと戻ってきたニコライを住民は歓待した。そして、待っていたのはベディだけでは無かった。
「マスター。アイーダ機動シークエンス正常です。よし、そこな猫にはマスターは渡しません」
「え、えぇぇ」
「アイーダさんが、生身? の身体に!?」
戦争終結時にちゃっかり義体を入手していたアイーダはそこへと自身をインストール。今度こそ生身でベディとの戦いを開始した。ニコライを巡っての新たなる戦線、ここに開幕してしまったのであった。




