パラダイムシフト
「船団民、幸福は義務です」
作業中に疲労で倒れ地に伏したまま震えている船団民に、銃を突きつけながら無表情に告げるヴィクター博士。
「再度告げる。船団民、幸福は義務です」
必死に祈りを、命乞いを嘆願する民に無慈悲に向けられた銃を、横合いから角が生えた馬が弾き飛ばす。
「立てるかね、船団民よ」
「なんのつもりですかなヴォロー博士。反逆ですか」
角の生えた馬――トラストが威嚇するのをものともせず、後ろに控え微動だにしなかった教化部隊が無言で武器の安全装置を外す音が聞こえる。宇宙時代でも、それが表すのは一つ。戦いの意思。
「ヴィクター博士。私も敬虔なる船団民だ。我らが目標である聖なる星に辿り着くまで、無駄に命を散らすのは本意では無い。だから止めたのだ。教義にも相違あるまい」
しばし無表情ながらも睨んでいた気配のヴィクター博士は舌打ちすると、後ろの部隊員に手で合図をして戦闘態勢を解除させる。
「ヴォロー博士。誤解を招きかねない行動は死を呼びますよ。そして私はあなたが好きではない」
「幸福は義務なのだろう。私の死は、多数の不幸を生みかねんよ。そしてヴィクター博士。奇遇だな。私も君が好ましくない。お互いに有意義な時間を過ごす為に、さっさと立ち去ろうではないか」
その後もしばしにらみ合いの後、ヴィクター博士は覚えておれよと捨て台詞を残し、教化部隊と共に去っていき、角が生えた馬トラストも威嚇状態を解除する。
「あ……ありがとうございます……」
倒れていた船団民に幾ばくかの食料を渡してやりながら、この乾いた船内の空気に、そして最近台頭してきたヴィクター博士の暴走気味な行動に、ヴォロー博士は溜め息をついていた。
かつて母なる地球から飛び出した幾つもの開拓者たち。その内の一体幾つの希望が居住可能惑星に至ったのか、把握しきった者はいない。だが、長い旅路の中で閉鎖された船は一つの国として機能し……そして、このアドミラル号は静かに狂気に充たされていた。
いつ辿り着くか分からない旅路に相次ぐ内乱、無駄に減り続けていく船団民。ついには強引に宗教の名を使って統率された船内は、一つの宗教国家の様になっていた。そして教義を守る為に穏やかな手段で警備を提唱するヴォロー博士と、ヴィクター博士の手段を選ばないやり方の対立も激しくなっていた。
行き過ぎた統治も思想の押し付けも、歪みをもたらす。先の一幕の様に……。ヴォロー博士は胸の中に燻っている不安に重くなる足を一歩ずつ前に出すしか無かった。
「戻ったぞ」
「お帰りなさいませ。造物主、トラスト」
一人の少女が博士とトラストを迎える。有機体で作り上げた博士の最新作の兵器である。ヴォロー博士は自ら作り出した兵器には、全て自我をもたせている。その方が咄嗟の事態に対処が出来ると踏んでいるからだ。だが、この少女は失敗作であった。通常、成人状態で完成するはずが、どうしても幼い状態でないと組織が定着しなかったのだ。仕方なく人と同じ様に育てている内に、博士には彼女が本当の娘の様に感じていた。
「家族など、地球で死別したというのにな……」
「私たちは、今、家族ではないのですか造物主?」
少女は切なげに博士を見上げ、トラストは少女を泣かすなとばかりにこづいてくる。博士は笑顔でしゃがみこみ少女に視線を合わせると、頭を撫でてやりながら答えたのだった。
「ああ。そうだなグリエルマ」
**********
『ついに居住可能惑星発見さるる!』
『地球によく似た大気。だが、現住生物が!?』
『法帝庁。原住生物の排除を命令』
『船団民。幸福は義務である。幸福は義務である』
あれから数年。小競り合いを繰り返しつつも、どうにかバランスが保たれていた船内。治安維持の為の有機兵器を今日もまた作り続けていたヴォロー博士のもとに、ついに惑星発見の報が届く。だが船内ニュースの内容はどこまでも物騒であり、すぐに法帝庁より指令書が届く。【治安維持の為の兵器の更なる強化を。殲滅兵器の開発も求む。船団民幸福は義務である】
「造物主私もついに出撃ですか?」
既に成人へと成長したグリエルマが、不安げに博士に問いかける。横で丁寧にブラッシングされていたトラストも、どうするのだと視線で問いかけてくる。
ここ数年、生体兵器も殺傷能力では無く、あくまで鎮圧を目的として、対象を気絶や眠らせる等して安全に対処してきた。だが、殲滅となるとそれでは厳しくなる。そして、家族を全て事故で失った哀しみで捨て鉢になって地球からこの船に乗り込んだ時の博士であったら直ぐ様開発をしただろう。だが今は兵器といえども家族である。博士は、いつしか背丈が並んだ愛娘を優しく抱き締めると、全兵器の招集と、法帝庁への回答をしたためた。
「皆、よく今まで働いてくれた。私が作り出したものとはいえ、私の予想以上に君たちはよい働きをしてくれていた。改めて感謝したい。ありがとう」
ヴォロー博士の研究所の中で、三十以上の生体兵器が集結して話を聞いている。トラストの様に動物の形状の者もいれば、グリエルマの様に人にしか見えない者もいる。それらがじっと話を聞いている。
「私は今日、君らをさらなる殺傷兵器へと強化する事を命令された。そして、私はそれを受け入れた。発見された惑星の原住生物を抹殺する為だ」
ざわつく兵器たち。だが、博士が手を上げてそれを止め、話を続ける。
「原住生物は人に近しきものだ。いつか彼らにも私たちと同じ様に文明が発達する事もあるだろう。私はその命を無下にしたくない。君らを強化するのは、この船の者たちから彼らを守る為だ。分かってくれるだろうか」
静まる一同の中、博士は続ける。
「幸福は義務だと、諸君らも常々聞かされているだろう。君らにも思う所はあるだろう」
だが、私の答えはこれだ。幸福は権利であると。博士が言い終えた後、兵器たちはみな、静かに頷いた。
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三十名からなる兵器たちを乗せる為の揚陸艇を法帝庁より譲り受け、それを密かに航宙可能なレベルまでに改造する。研究所内の全ての機能をそこに移し、兵器たちの治安用の武装を大幅に強化。一騎当千と呼んで差し支えないレベルにまで強化された。
『親愛なる船団民の諸君。永きに渡る旅路の中、我々はついに居住可能惑星を発見するに至った。これもひとえに諸君らの信仰の賜物である。諸君、幸福は義務である。その幸福の為、発見さるる惑星の生物は我らの為に消えて頂く。その為の先遣隊となるのが彼らだ』
ヴォロー博士の人間大の生体兵器たちが。そして対するはヴィクター博士が作り上げた見上げる程の大きさの巨大な人型のロボット兵器。
「あんなものを作っていただと……」
「ヴォロー博士。殲滅とは巨大なる暴力ですよ」
同じ台上でにこやかに握手をしながら、二人は小さく言葉を交わす。次に会う時は恐らく敵であろうと、ヴォロー博士は心中で決意していた。
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「原住生物の退避を! トラスト! 動物タイプで教化部隊を撹乱してきてくれ!」
嘶きが、唸りが、遠吠えがそれに答える。グリエルマや人型の兵器たちで、降下次第現住生物を追い立てる様に、惑星降下ポイントから逃していく。そこへ少し遅れてやってきたヴィクター博士のロボット兵器たちが長大なブレードで、熱線で辺りを薙ぎ払う。
『いけませんなぁヴォロー博士。現住生物は害虫です。我らが幸福の為に、全て消し去るのですよ』
機体に乗り込んでいるらしく、ヴィクター博士の声が頭上から聞こえてくる。それに叫ぶ様に答えるヴォロー博士。
「何故、その信仰でもって、愛でもって、彼らと接しないのだ! 彼らの幸福はどうなる」
ヴォロー博士の兵器たちが、家族たちが、現住生物たちが焼き払われていく。それを狂った様に笑いながら、ヴィクター博士が叫ぶ。
『幸福は義務だ! 我らの幸福を邪魔するやつは、【俺】の幸福を邪魔するやつは、全て敵だ! 焼け! 火は清らかだ! 滅びよ!』
「やめろぉお!」
火の手は広がり、現住生物たちも巻き込まれていく。何もかも無駄だったのかと思い、膝を折りそうになったヴォロー博士の前に、両手を広げてグリエルマが立つ。
「立って下さい”お父様”!」
「お父様……だと……?」
一瞬淡い笑顔で振り返ったグリエルマは、また前を見ながら続ける。
「お父様が寝ている時に、みんなで話していたんです。もう造物主と呼ぶのは止めよう。私たちは家族。あなたはみんなのお父様だと」
そう言って、一気に服をはだけると、ずっと成長不全であった羽が展開。宙へと浮かび、息を大きく吸って、グリエルマは歌った。
――それは、大地への祈りの歌であった。
――それは、生きる歓びの歌であった。
――それは、大地を愛する事への歌であった。
――人の子ら、生に感謝せよと。
軌道上の開拓船にまで到達した歌は、音は、物理的な力となって船を星から遠ざけた。至近距離でそれを浴びていたヴィクター博士は、衝撃で各部を損傷しながら、宇宙へと弾き飛ばされていった。開拓船の中、音を聞いたものは、これこそ神の福音であると、涙を流し、この星への移住を辞める様に激しい運動が後に起こったという。教義でもって民を縛り付けていた国家は、教義によってそれを受け入れるしか無かった。
**********
自分たちもここにいてはいけないと、ヴォロー博士は生き残った兵器たちと、宇宙へと旅立った。いつしか打ち捨てられた資源衛星を発見し、それを改造して生き残った皆でただ静かに暮らしていった。兵器として、生物として寿命を迎えた者たちも「こここそが、理想郷だったのだ」と皆笑顔で活動を停止したという。
「グリエルマ、おるか……」
「お父様ここに……」
いつしか、トラストとグリエルマだけが残った。プロトタイプでもあり、護衛特化に作られたトラストは、他よりも遥かに寿命も長かった。グリエルマはどうやら人と同じ様に年齢を重ねていくようだった。だが、ヴォロー博士の身体はもう限界だった。
「トラスト、この身体ではお別れだ。グリエルマを頼む。もうお前たちを抱き締める事は出来ぬでな……」
「お父様!」
心得たとばかりに、トラストはいななく。身体にすがるグリエルマを下がらせると、ヴォロー博士は宇宙服のまま椅子に座り、ゆっくりと目を閉じた。
その直後に部屋が明滅し、博士の意識はその部屋、惑星そのものへと変化していった。
『うむ。成功であるな。グリエルマ、トラスト。引き続き頼むぞ』
グリエルマは笑っていいのか、泣いていいのか分からないまま、頷き、トラストは不敵にいなないたのであった。
**********
久方ぶりに自らの身体である宇宙素子のクリーンアップ中、お父様は夢を見ていた様だった。それはかつてあった自らの肉体。そして出奔した母星とも言える船の記憶であった。船内カメラで辺りを見回せば、ドボルベルクが、腕まくりして宇宙素子のカバーを丁寧に掃除していた。その嬉しそうな様子は、幼き日のグリエルマの様であった。思わずスピーカーから問いが漏れてしまう。
『レデイ。幸福は……』
「幸福は権利だろ。生きるための」
楽しそうなまま作業を止めず、当たり前の様に答えるドボルベルクに、しばし無言になったお父様ことヴォロー博士は、ただ静かに、ただ静かに、そうであるなと答えたのであった。
『ヴォロー博士ニグイ! ガァア!』
法帝庁の一角。いずこかへと飛ばされていたヴィクター博士の成れの果ては回収され……損傷した肉体は廃棄され、有用であると判断された頭脳は、コンピューターへと移されていた。
「思考にかなりのノイズはありますが、攻撃的兵器の開発方向へはどうにか使えそうです!」
部下の返答に、法帝庁のトップである教皇は、静かに笑うと、ただ一言「幸福こそが、義務である」とだけ告げ、部屋を出ていった。




