宇宙で一番苦味ばしったやつ
提供されたたっぷりのチーズを挟んだトースト、いわゆるクロックムッシュを美味しそうに頬張る少女。
「そうそう、やっぱりさ。クロックムッシュはこのチーズとパンの相性が最高なわけでさ……」
「ドボちゃん、口の端からチーズ出てるよ、チーズ」
十才程の見た目の男勝りなしゃべり方をする女の子の世話を甲斐甲斐しくする女性。姉妹にしては似ていないが、なんだか微笑ましい空気だ。たまに女性から何やら駆動音がするような気がするが、きっと気のせいである。
だが、最近働き始めたアルバイトのアニーは、そんな事よりも気になって仕方がない事がある。
「てんちょ、馬、あれ馬ですよね。馬が……」
アニーが綺麗に磨かれた丸型のお盆で指し示す先には、テーブルの上に置かれた皿からドレッシング抜きのサラダをもっしゃもっしゃと優雅に食べている馬がいる。サラダの横に置かれた端末からは、誰かが宇宙通話でもしているのか話し声も聞こえてくる。馬が時々相槌の様にいなないたり首を振ったりしている。そして馬に角が生えている。
「まぁ。馬くらい宇宙にもいるだろう」
動じる事も無く、てんちょと呼ばれた男性は整えられた髭を一撫ですると、グラスを磨き始める。
ここは宇宙で一番美味いと言われる回遊式喫茶店ホエール。確かに外から見ると魚のような見た目だけれど、そのクジラというのがなんなのかアニーにはよく分かっていない。それにしても本当に色々なお客がやって来る。
先日は有名な宇宙探検家の夫婦が仲睦まじく静かに珈琲を飲んでいったし、今日もカウンターの一番端では、ファッションなのかもこもこの尻尾を腰から隣の席に置いている老婦人が優雅にハーブティーを楽しんでいる。先ほど、大豆をこして固めた物を油で揚げた中にライスを詰め、ビネガーで味付けした物を持っていったが、尻尾が激しく動いていたので、老婦人の感情に連動している尻尾アクセサリーの様であった。
壁には著名人のサインが飾られており、天体観測家のソフィー女史の物や、女優のスカーレット・サライ氏が着用したドレス。ナリィタ・スィケロック氏の 煙管まで飾ってある。
「あ、お姉さん珈琲お代わり」
いかにも記者然とした男の人がだるそうに珈琲を注文する。確か、スペースブルックマウンテンのアメリカンだったはず。てんちょにそれを伝えて出てきた珈琲を運んでいく。しかし、四人掛けのテーブルが書類の山。どこに珈琲を置けばいいのかアニーは困惑する。
「あ、ゴメンゴメン。ここらに置いといて。こんなに散らかしちゃジェシカの研究室の有り様を怒れんなぁ」
ちらっと置いてあった名刺にはミズコシの名前。結構イケメンだけど、見覚えあるなぁ。どこでだろう。
と、そんなアニーの足元から薔薇の花弁が巻き上がって来る。床は結構しっかり掃除しているはずなのに、なんでこんなにも花びらが。と思っていると先ほどの馬がいるテーブルの端末から声がする。
『む、いかんな。レディパンジー。右手の袖の下にあるボタンを押下。しかるべきのちに、意識をそちらへ』
「え、はい。わわわっ! 何か吸い込み始めましたよ!」
『君の能力を弱く使用しているのだ。全てを吸い込む力を用い吸引力が落ちる事は無い。これを三番目の力”ダイサン”と名付けようと思う』
みるみる内にまとわりついた花弁が吸い込まれていく。音もしないし随分と便利なクリーナーだ。閉店後に貸して欲しい位だとアニーは礼を述べながら考える。てんちょに、備品購入の際に掛け合ってみよう。何せ掃除する箇所はいくらでもある。
先日も、これから買い付けだというどこかの農夫らしき人物が随分と土を床に散らしていき、かなり苦労したのだった。航行中で無重力になったら事は大変だったと、てんちょがぼやいていたのであった。
「いらっしゃい」
「こんばんは」
知的な美人が足音も無く、カウンターにやって来る。馴染みのお客さんなのか、てんちょは当然といった風情でグラスを置くとカウンターの裏にある金庫から何やら取り出す。
「出来てるよ。収穫には時間がかかるから、また次回は半年位待ってもらうがいいかい?」
「ええ、構いません。主人のウイルも、その待つ時間すら楽しいと喜んでおりますから」
優雅に一礼すると、お代をレジで払って嬉しそうに帰っていく。
「てんちょ。今のってそんなに凄いものなんですか?」
アニーの問いに、てんちょは重々しく頷く。
「ああ。店の裏手の奥に洞窟があるだろう? あの先の先で取れる宇宙で一つしか無い珈琲の木から取れる豆だからね」
ちなみにおいくらですかと金額を聞いて、アニーは悲鳴をあげかける。星によって物価は違うとはいえ【センチュリオン同盟】である程度の範囲には抑えられている。だとしても、その金額はアニーが一年は何もしないで暮らせる程のものだった。
「とてつもないお金持ちさんなんですね……」
「ああ。あの【病原体X】の特効薬を作った方らしいからな。相当なものだろう」
致死率が九割を超えると言われていた【病原体X】の特効薬が出回ったのは数年前。あれが無ければアニーの家も危なかったかもしれないと、母に聞いた事があった。
「本当に、色々な人が来ますね……」
「ありがたい事だよ」
二人がそう話している内に、数名が席を立ち帰っていく。その中で、先ほどの馬の御一行がお会計時に声をかけてきた。
『すまない。ここは”|Caffè Sospeso”の風習は行っているかね?』
どこから声がしているのか分からないが、渋い男性の声がそう尋ねてくる中、てんちょはそれに疑問を挟む事も無く、やっておりますと答える。
『では、次回のお客の為にそれを行っておこう。レディ、その分のお代も頼む』
「おー分かったぜー。中々粋なのを知ってるのなお父様。俺も昔それで助かったぜ」
『そうか。レディも世話になった事があったのか。では、折角だ。一組分位のお代も出しておくとしようではないか』
一行はワイワイと楽しそうに帰っていった。
「てんちょ、さっきのお客さんの言ってたのってなんですか?」
「ああ、それはね……」
てんちょがアニーに話してくれたことによると、元々は地球のとある地域であった風習で、次に飲みに来るお客で珈琲を頼むお金が無い人の為に、他のお客が前もってお代を払っておくというシステムで【保留コーヒー】とも言われているそうなのだ。
「へぇーそんなのがあったんですね」
「俺も随分と久しぶりに受けたよ。珍しい風習ではあるしね。と、いらっしゃい」
「あ、いらっしゃいませー」
随分と疲れた感じの若い男女が入ってきた。二人がお互いを支えるかの様に、よろよろと歩いて席につく。アニーが水を持っていきながら様子を伺うと、二人は持ち合わせがあまり無いという。てんちょを振り返ると、早速さっきのを使うといいと目配せが。
「お客様、凄くラッキーですね! さきほど見えたお客様が【保留コーヒー】をしていかれたので、お代は無しで結構ですよ」
疲れ切っていた二人に生気が宿る。お腹に優しい温かなスープなどを持っていきながら、アニーは偶然は凄いなと噛み締めながら思う。食事の前に二人は敬虔な祈りを捧げる。
「ラリー……。私たち、本当に素晴らしい巡り合いに出会っているのね……」
「ああ、グリエルマ。生きていればいい事もあるよ」
その静かな、確かな祈りに圧倒されながらもアニーは普段通りの仕事を行う。そして二人が食べ終え、食後の珈琲を終えた後、てんちょがやってきて話し掛ける。
「真摯な祈り。素晴らしかったです」
「いえ、本当に助かりました。数日食べ物にありつけなくて……。もしよろしかったら、その保留コーヒーをして下さった方の事をお教え願えませんか? その方の為にも祈りを捧げたいのです」
通常ならば、教えないのですが……と、てんちょは前置きして簡単に先のお客――馬の御一行について説明をする。それを聞いた二人は天を仰ぎ、叫びと共に、歓びの涙を流すのだった。
「あぁ……お父様! トラスト! 生きて、生きていらした!」
そのまま泣き崩れる彼女を優しく抱きしめる男性。ああ、こういうのすごくいいなとアニーは思いながら、ちょっともらい泣きしてしまうのだった。
全て、世はこともなし。




