Signal on space ~一人では歩いて来れない今~
10話、ならびに11話の続きとなります。
この物質世界にあるものであれば、光ですら吸収する……いや、その中へと【落ちていく】黒き穴ブラックホール。宇宙時代になり、そのエネルギーを利用する国もあるが基本的には未だ恐怖の対象である。
そんな場所から、指向性のある何かが真っ直ぐに宇宙のどこかへと向かっていった。
それは……ひとつながりの音。
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―― トトト ツーツーツー トトト ――
―― トトト ツーツーツー トトト ――
地球時代から続く共通の合図。モールス信号による【SOS】。付近を航行中の船は可能な限りその救援要請に応じなければならない。それは海洋では無く、この宇宙という海であっても同じく。
『随分と古いタイプの救難信号だが……。さて、どうするかねレディ』
先日回収された後、いつの間にやらドボルベルクの船のメインコンピュータと化しているヴォロー博士こと”お父様”が、ドボルベルクに尋ねる。
「だからレディじゃねぇって……。まぁいいや。こんな誰も通らない様な場所で救難信号か。だったら俺らが行くしかないんじゃねぇかな」
とある事情で十歳程の少女と化したドボルベルクは、肩甲骨辺りまである長い真紅の髪の毛をガリガリとかくと、口から吐息と共に薔薇の花弁を吐き出しながら答える。
『了解した。どこかの研究施設からの様だ。回頭すれば一時間もかからずに到着する距離である。支度をしたまえレディ。トラスト、お前も護衛を頼む』
縮んでしまった今の自分のサイズに合わせてお父様に改造された宇宙服をいそいそと着込むドボルベルク。その横で寝そべっていたトラスト――角が生えた馬であり、じつは人造の兵器でもある――が、やれやれといった感じで立ち上がる。
『念の為にあの海賊たちには連絡しておくかねレディ?』
久々の輸送の依頼で単独で動いていたドボルベルクの船。普段はうっとおしい程にその近くで航行し【姉御の護衛でさぁ】と言い張る元海賊たちは、今は珍しく別行動である。彼らは今やドボルベルク専属の便利屋へと自ら望んでなっており、”お父様”が求める電子部品と、敬愛する姉御の為に輸送任務の傍ら各地を飛び回っている。
元より大した悪事を行っていた訳でもない為、見咎められる事も無いのが彼ららしい。
「酸素残量グリーン。余圧グリーン。おやつのピーナッツバター、オールグリーン」
大真面目に音に出して確認しながらニコニコしている様は、完全に見た目と同じく遠足にでも出掛ける少女の様だ。横で身を下げたトラストにまたがると合図を送りエアロックをオープン。
『GoodLuck レディ。何かあれば直ぐ様撤退するのだよ』
「分かってますって、”お父様”。ドボルベルク出撃ぃ!」
トラストのいななきが跨っている足の震動で分かる。方向を確認すると宙を蹴るようにして目的地のステーションへと駆けていく。まるで大地をそのまま走るようにして船を離れてほんの少しの宇宙遊泳の後、目的地の外部ハッチに到着した。外部操作パネルに触れると一番外側の扉が開き、中へ入れば密閉の後に空気が充填され宇宙空間と隔絶される。設備は生きているようだ。だが廊下を見渡せば照明も点いておらず真の闇。宇宙空間よりも人がいるだろうはずの場所に明かりが無い事が恐く感じてしまう。照明のスイッチを押しても反応も無い。
「トラスト……行こう」
念の為ヘルメットは脱がず、ドボルベルクは恐れを払うようにトラストのたてがみを撫でる。それを合図に一人と一匹は内部へと侵入した。
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救難信号のシグナルを頼りに幾つもの廊下を過ぎ、散乱した荷物の群れを抜け、深淵の闇の中を馬と少女は奥へと向かう。何か緊急の事態でもあったのか、部屋はどれも開放されていて乱雑に荷物が散っている。コーヒーが飲まずにそのまま、食事の最中に途中でいなくなっただろう部屋まであった。
何やら不穏な気配に鳥肌が立ってくる。宇宙服のヘルメット内のチューブから甘味を少しとりごまかしていく。そうこうする内にそれなりの距離を歩き、シグナルの出所に近付いた頃、警告文が立ち並ぶ一角にたどり着いた。宇宙服の頭部のライトに照らされたそこは、慌ただしく封印がなされた場所。
「明らかにこの中なんだが……。回り込んだ方がいいかな」
腕組みをしてため息をつく。宇宙服の中でふわりと浮き上がる花弁が一瞬視界を覆う。その間に闇の中から確かな物音。
「え、お……ひらいた……?」
封印されていた区画が【中から】開く。それは本来あってはならない事。そして、開いた途端に急激な力が内向きにかかる。つまり吸い込みが始まる。
「なんだよっ! これはっ!」
すぐ真横の壁の取っ手を掴んでブレーキをかけようとしたドボルベルクだったが、壁だったはずの空間も無と化していた。そして一人と一頭は、為す術も無く吸い込まれた。闇に。
『位置情報消失……。レディ何があった!? レディ!? トラスト!?』
ドボルベルクとトラストが歩いた跡の信号情報から地図を作っていたのだが、突然スイッチが切られた様に二人の信号が途切れ、慌てる”お父様”。二人からの応答も一切無い。身体が無い彼は代わりに歯噛みしたかのようなエラー音を吐くしかなかった。
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「アンソニー、ボギー、クルード、ドボルベルク。……ドボルベルク返事をなさい」
ドボルベルクはふと懐かしい声に叱責されて意識が戻る。出来るなら聞きたくは無かったその声。顔を上げると【先生】が睨みをきかせて彼の机の前で仁王立ちしている。
「は……はい……」
声が真っ直ぐに飛ばない。萎縮した身体はいうことを聞かず、ただただ小さくなろうとする。
「声が小さい! 全く、図体ばかり大きくてそんな事では孤児院の外でやっていけませんよ!」
蚊が鳴くような声で謝罪する彼を無視して【先生】は次々に生徒を呼んでいく。
「……オーランド、パンドラ……」
その名前が聞こえ再びドボルベルクは顔を上げてそちらを見る。小柄で黄金色の短い髪、愛らしい顔。鈴が鳴る様に軽やかに可憐な声で答える彼女は誰からも愛される。パンドラ。その髪の毛の色からも愛称でパンジーとも呼ばれる彼女。そして視線を感じて振り返った彼女の顔は、直視しようとするとモヤがかかったように何も映してはいない。まるでそこに光が落ちていくようだった。
『極小ブラックホールの発生だと……! あんな小さな研究所で、なんと無茶苦茶な研究をしていたのだ……』
お父様はドボルベルクたちと連絡がつかない為、施設の外観等から情報を検索していた。それは廃棄された研究施設。能力を持った子供たちを集めて、サイキック――いわゆる超能力の研究をしていたという。なぜ廃棄された施設から救難信号が発せられていたのか。お父様の焦りは増すばかりだった。
何故か在りし日の孤児院での生活が再現されていく。ドボルベルクは自分がいかに過去を押し込めていたかを知らされる。特別な能力が無い彼はただ嘲りの対象だった。見込みありとして連れて来られたはずなのに、常人よりも少し力が強いだけ。それは能力として認められず、大人たちがそういう態度を取れば、子供たちも追従する。
今のドボルベルクなら軽くあしらえるだろう子供たちの態度も、まるで夢の中の様に自分ではままならぬままに翻弄される。ドボルベルクは以前のやけに大きな身体に封じ込められたまま耐えるしかなかった。
ただ、当時と違う事は、あの頃は誰も手を差し伸べてくれなかったと周りを見る事も無かったが、今なら手を差し伸べようとしているものが見える事。
「あ、ドボちゃ……」
「パンジー。あたし、ここ分からないんだけど!」
そう、皆が自分を蔑ろにする中、一人だけいたのだ。確実に。何故自分はほんの僅かも気付けなかったのか。ドボルベルクは、過去の自分を内側から蹴りたい気分だった。
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トラストは、そのたてがみに櫛が通るのが好きだった。自分より後に作られた兵器だというのに、その兵器らしからぬ心の有り様が好きだった。
だから、ある日他所から来たそれが、妹分の天使を魅了していくのが悔しく、だけれど成長させてくれるのが嬉しかった。
だからトラストは気付く。今のこの誰かが櫛を通して自らを縛り付けようとしている事に。行為に何の愛も無く、ただここに留めるものなのだと。
トラストは一声いななくと兵装を展開する。普段は隠れている羽が広がり、その中から現れた銃火器が辺りを一掃する。今の自分の守るべき妹分の、小生意気なのに自分を犠牲にしようとする一輪の薔薇を助ける為に。彼は走った。
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馬のいななきが教室に聞こえてくる。皆が教室から外を見て、本当は映像で地上が投影されているそこに、角が生えた馬が激しく嘶くのを聞く。軽やかに走るのを見る。ずっと内側で封じ込められていたドボルベルクはそれに応える。呼応して内側から叫ぶ。
「まやかしは……やめろぉぉお!」
世界は硝子細工が割れる様に、キラキラと弾けとんだ。
『あぁ。もう終わっちゃったか』
暗闇で浮かぶ少女の前で全兵装を展開したトラストにまたがり、ドボルベルクは佇む。それは在りし日のパンドラが少し成長した姿。だが酷く儚げで消えてしまいそうな。
「パンドラ。お前が呼んだのか俺を」
『うん。今の私はこんな力しか使えなくてごめんね』
パンドラは、少女となったドボルベルクの姿を通して、確実に過去の彼と同じものだと認識している。
『君が孤児院を、ここを追い出された後に気が付いたの。私は君になりたかった。憧れてた。どんなに叩かれても、泣いても、それでも丈夫な君に』
そう言って消えそうな笑みを浮かべる。数年して能力が肥大化した彼女は、力が固定化した。それは【闇】。ブラックホールの力。あまりにも危険なそれは速やかに封印がなされ、表向き孤児院として運営されていた研究施設から遠方のここで研究されていた。だが、やはり人類が扱うには無謀な力。パンドラが少し本気を出しただけで職員は逃げるしか無かった。彼女を捨て置いて。
『ずっと一人で闇の中で自問自答してた。どんどん自分が消えそうになるのが分かってた。最期に君に会いたかった。だから呼んだの……』
手を差し伸べるパンドラに、トラストが警戒して火器を向ける。だがそれをドボルベルクは止めさせる。
「どうにか出来ないのか?」
『ブラックホールは全てを飲み込む力。制御なんて出来やしない。ましてや私のは無理矢理発生してしまった力。私が望んでない力。私自身を飲み込むんだよ』
見るまに気配が薄くなる。実際体が薄まってきている。そっとパンドラは手を上げるとそれを左右に振る。
『ごめんね。悪い夢を見せて。ごめんね。最期に巻き込んで。さよならドボちゃん。私、ドボちゃんともっと仲良くしたかった……』
今まさに消えようとする彼女に、闇に完全に消えようとする彼女に、ドボルベルクは手を差し伸べ叫ぶ。
「願え! 祈れ! 今の俺なら、きっと奇跡だって起こせる! だからパンドラ! パンジー!」
急激な吸収が始まり、トラストが距離を取る。伸ばした手が離れていく。制止するドボルベルクの声を無視してトラストは、真横に砲撃するとステーションの壁を次々に破壊していき宇宙空間までの道を、退路を作る。
少しずつ吸い込む力に抗い外へと向かうトラスト。ドボルベルクは、伸びる限り腕を、手を伸ばすと叫ぶ。
「何度だって奇跡を起こしてみせる! お前が願って俺を呼んだんなら、生命だって救ってみせる!」
それから程なくして、かつて研究施設があった場所は、痕跡すら無く宇宙から消え去った。
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『では、目を開けてくれたまえ。きちんと視覚情報は確認出来るかね。うむ。問題無い様だ。不具合があった場合はすぐに伝えてくれたまえ』
ドボルベルクの船の中、余った部屋にいつの間にやら出来ていたラボ区画。そこで今日一つの生体アンドロイドが起動した。髪の毛は金髪。背丈は大人よりも小さめ。全体に華奢に見えるが、そこはロボットなので意外と丈夫である。
『外部音声出力も問題ないはずだ。喋ってごらん』
スピーカーから聞こえてきた”お父様”の声に、そのロボットは首の可動域を目一杯動かし、部屋の片隅で立っている”彼”を見やる。
「ドボちゃん……私……」
ドボルベルクは小さく頷くと、強引に力を使った影響か、長く赤だったのが短く黄色くなった髪を揺らしながら、花弁と共に一言だけ答えた。
「おかえり」
意識だけはどうにか連れて来れた事を薔薇に感謝しながら。
◇◇◇
パンドラの箱の底には、希望は必ずある。それを信じるから、箱を開けるのだろう人は。
ユニバーサルスペースジャーナル ある日のエッセイより抜粋。
黄色いパンジーの花言葉
「つつましい幸せ」
西洋の花言葉
「記憶」
パンジー全般の花言葉
「私を思って」




