ボク、私、俺の悩み事 その5
メイドが控え室に表れ、会議が再開されることを伝えに来ました。 一果お嬢様は了解の旨を言い、メイドを下がらせます。
「気分はどうです?」
「緊張で吐きそう」
にへっと笑って答えました。 声より表情が柔らかく、リラックスしているように見えます。
今日、この時に貴船家の方針が決まってしまいます。 お嬢様もそれは重々に承知しているに違いありません。 それでも、家の為ではなく、貴船の人間としてではなく、一人の女の子として立ち向かいます。
「行くよ、歩」
「はい、お嬢様」
先程の応接間には、すでに両家の当主が座って待っていました。 豊国一敬様は、腕を組んで机の一角をじっと見つめていました。 旦那様は身体を揺すって落ち着きがありませんでした。
「お待たせし、申し訳ありません」お嬢様は、一言詫びてから旦那様の隣に座りました。 ボクはお嬢様の斜め後ろに控えました。
「残りは……」
一敬様がぽつりと呟くと、「それには及びません」とお嬢様が答えました。ムッと険しい顔で睨まれましたが、怯むことなく涼しい顔をしています。
「誠に勝手ながら、この話はお受けません」
この言葉を聞いて、旦那様は目を見開いてお嬢様の肩を揺すりました。 お嬢様は何か言おうとした旦那様の手にご自身の手を重ねて、じっと旦那様の顔を見つめました。 旦那様はご自身の中から何か抜けたように力なく、生気の失せた顔で背もたれにもたれ掛かりました。 相手がいるのにも関わらずに、手で目を隠し、深い息を長く吐きました。
これについて、一敬様は何も言いませんでした。 そもそも視界には入っておらず、お嬢様をじっと見ています。 本質を探ろうと険しい顔つきでした。
「これは貴船家の総意か?」
「いえ、私の独断であります。 私はこの席にも、出席もせぬ男と生涯を添い遂げるつもりは毛頭ありません」
「この話を破談にして、どうする? 生きていけるのか?」
「このようでは、生き残ることは天地がひっくり返ろうと無理でしょう。 ですが、私が変えますので豊国が心配するようなことはありません」
一瞬だけ間を開けたあと、一敬様は前屈みになりながら「お前は社会を知っているか?」と言いました。
「社会は子供が考えているほど、優しくはない。 現に自分の父を見てみろ。 お前が身勝手なことをしたせいで、力なく崩れているではないか」
旦那様はソファーから滑り落ちそうになるまで、ぐったりとしていました。 お嬢様は旦那様を見て、すぐに顔を背けました。
一敬様の声にも熱が入り始めました。
「変えると言ったが、具体的にどう変える? 父に代わり、お前が会社を動かすのか? 何もないお前に人は付いてきてくれるのか!?」
お嬢様は何も言い返すことができず、唇を噛みながら部屋の一点を見つめていました。 ボクはなにもせず、ただ立っていました。
先程、控え室で言われたことは『そばで見ていて』でした。 お嬢様は、逃げることを考えていなかったのです。 そもそもお嬢様が言ったところで、話が無くなるわけがありません。 社会の在り方を知らないお嬢様が、いきなり旦那様方と同じ目線になるのは誰がどう考えても無理です。
それでも、逃げることをしなかったお嬢様に対して、ボクは誇りに思います。 この話をうまくまとめ、切り抜けてほしいと思いますが、一敬様の言っていることは的を得、反論するのが困難です。 ボクも働いている身だから分かります。 気持ちだけでは、どうしようもないのです。 社会は結果があってはじめて、気持ちや過程を見られるようになります。 阿呆と罵っていても、うまい結果が出れば、そのやり方をマネて自分も同じように成果を出そうとします。 しかし、マネたからと言って全員が全員、同じ成果を出せないのです。
結局のところ、他人のマネをしたところで、たかが知れてるわけです。 特に今までの流れを変えるほどのことをしようとなれば、容易なことではありません。 うまくいくよりも、今よりダメになってしまうことの方が多いです。 それに賛同する人も多くはいません。
うまくいくビジョンより、もしかしたらと良くないビジョンを想像し、それを強く持ってしまうからです。
それでも、と言うのであればその人の人徳になります。 人徳も容易には手に入りません。 何かを成功させてはじめて、「この人なら」と思ってもらえます。 時間をかければ、努力しつづければ、どうにかなるものでもありません。
お嬢様はまだ、働いたこともなく社会のこともお世辞でも知っていると言えません。 人徳もせいぜいボク一人の弱いものです。
ですが、それは現状です。
「現状、付いてきてくれるのはここにいる歩ぐらいと考えています。 なに不自由なく生きてきた私には、社会のことも知りもしません。 経営のことも知りません。 そのため学園を辞め、経営のこと、社会のことを学んできます」
「それを俺に言ってどうする?」
顎で隣に座っている旦那様を指しました。 旦那様も少しだけ生気が戻ったようですが、表情を堅くしていました。
「……良い、お父さん?」
旦那様は大きく息を吐いて、懐から紙を取り出しました。 そして躊躇なく破り裂きました。
「豊国さん、こちらから話を持ち込んだにも関わらず、申し訳なく思います。 この話は無かったことに……」
「一言ぐらい言いたいところであるが、今回はうちの倅にも無礼があった。 そこは謝罪する」
豊国様は軽く頭を下げ、同じように紙を裂きました。
「ただ、今後の縁については考えさせていただきます」
ボクたちは貴船の屋敷に戻ってきました。 帰って早々、学園に連絡し中退することを連絡しました。
そして、ボクたちは次の学校のために勉強に励んでいます。 今度ばかりは、女装する必要が無さそうで安心ですが、お嬢様の頑張りには少し不安になります。
休みなく、ほとんどの時間を勉強に費やして身体のことが心配になります。
「お嬢様、今日の午後ぐらいはお休みしてはいかがですか? 休むことも大切ですよ」
「ん~? ん~……。 ん、そうする。 あとついでにこれあげる」
机から桔梗の髪止めを取り出して、ボクの髪に留めました。 お嬢様はツイっと笑って「似合ってる」と嬉しそうに言いました。
「あ、ありがとうございます……?」
髪止めについては置いとくとして、なぜ桔梗の花なのでしょうか。 なにか意味が……。
みなさんは、桔梗の花言葉をご存知でしょうか?
花で気持ちを伝えるのは素敵だなって思います。




