ボク、私、俺の悩み事 その3
「まずはお座りください」
豊国家当主----豊国 一敬が勧めた。 私は婚約相手になるであろう人の前に座ったが、その人は視線を下げ、私よりも隣に座ってる父親を憎らしく睨んでいる。
余程、婚約の話が嫌にみえる。 私としても、それはそれでいいけど、貴船の人間としてはよろしくない。
そもそも私たち子供が、どうこうできる話ではないけど。 これは縁談の話ではなく、企業としての話になる。 私たちは話を円滑にするために結婚をする約束をする。
お父様の言うことも、仕事の状況も理解はできる。 でも嫌だな、て思う。
例えばこの人のところに嫁いで、子供ができたとする。 私はその子を愛せるのだろうか。 自信はないし、その時にならないと分からない。
分からない、と思う時点でダメなんだろう。
こんなややこしい気持ちになりなくなくて、私は学校に行った。 「女として生まれたからには望まない結婚もする」と小さい頃、お父様から耳がタコになるほど聞かされた。
言うだけ言って本当はそんなことはない、と日を重ねるごとに私の中でおもしろくもない冗談となっていった。 しかし義務教育最後の年、お父様の仕事が詰まりだしたことで冗談が現実味を帯だした。 話してくれなくても、お父様の顔を見れば簡単に察することができた。
焦りはしなかった。
怖くもなかった。
ただ落ち着かなかった。
家にいるのが辛くと思うようにもなった。
家にいると、自然と結婚のことを考えるようになって、ソワソワばかりする。 こんなことになってるのを気づいてほしかったけど、お父様が気づくことはなく----。
「一果」
お父様が耳打ちし、肩がビクついた。
「はい?」
「……一果も体調が悪いのか?」
「いえ……、私は----」
視線を泳がせると私の前に座っていた彼がいなくなっていた。 「彼は?」と聞くと「体調が優れなくて退出している」と言った。
嘘であるとすぐにわかったが、「そうですか」と答えた。
お父様はもう一度、私の体調を確かめてから一枚の書類を渡してくれた。 話は知らない間に、どんどん進んでいるようだった。
書類に目を向けると『契約書』と書かれていた。
本当に仕事なんだ、と改めて思った。
お父様の名前、豊国一敬そして婚約相手の名前、豊国晶の名前と拇印が押されていた。 残るは私の名前だけ。
彼も書いたのかと、文字をじっと見ると豊口一敬の筆跡とまったく同じだった。
なるほど、と思いペンを手に持つ。
カタンと滑り落ちた。
詫びを入れ、またペンを持つ。
カタンと滑り落ちた。
「あ、あれ」
今度はペンを掴むことさえ、できなかった。 わざとらしいため息が机の向こうから聞こえてきた。 「一果!」と声を押し殺したお父様が言った。
どうしてもうまく掴むことができない。 カタンカタンカタンと、部屋がやかましくなる。
頭が沸騰する。 目の前がぼやける。 心臓が破れそうなほど膨らむ。
苦しい。吐き気がする。
気づいて、お父様。 今度は……、こんどは……。
「ペンを持つぐらいできるだろ、一果。 頼む……!」
……っ! もう、やだ……! もう……。
「失礼します」
全員の視線が声に集まる。 家族の次に聞き慣れた声に。
「紅茶のご用意が出来ました。 一つ、休憩を挟んではいかがでしょうか。 スコーンも、ご用意致しましたので」