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俺の悩み

 一目惚れというものを初めてした。 それに気づくのには、だいぶ時間がかかった。

 俺————豊国 晶(とよぐにあきら)はあの娘を好きになった。




 星丘学園に入学して一年が過ぎ、二回生になった。 変わらないクラスで新しく入学する人もどこか高飛車で他人を見下しているきらいがあった。 俺の父さんもそういう人間だった。 食事中に従業員の愚痴や、同業者の悪いことをよく言って、空気を悪くしていた。 当の本人はそんなことも知らず、聞きたくもない話を聞いて俺は育ってきた。 その結果、他人を見下す人を嫌うようになり、友人と呼べる人もいない。

 次の授業は移動教室だった。 みんなが群れて行く様子を尻目に、一人になるまで待った。座って薄い教科書を面白げもなくめくり、ぼんやりする。

 嫌みばかり言う父さんと顔を会わせなくていいと、喜んでこの学園に入った。 これからの人生に少しだけ色がつくと思いきや、黒ずみがついただけだった。

 面白くもなくつまらなくもなく、無駄に時間がつぶれていくのを勿体ないと思うこともなくなった。 一日一日に興味、あるいは活力を見いだせないでいる。

 教室が静かになり、一人になった。 教科書を閉じ、次の教室に向かう。 縦にも横にも長い廊下を歩き、階段に足をかけたとき、階段の裏から声が聞こえてきた。


「お嬢様、これバレてしまいますよ!」

「大丈夫だって。 バレない、バレない」

「そんなわけないじゃないですか!」

「だ~か~ら、バレないって。 そんなソワソワしてないで、ちゃんとついてきてよ」

「あ、お嬢様! 待ってください!」


 女の子たちが内緒話をしていた。 この子たちだけの秘密の話だったみたいで聞いてしまったことを申し訳なく思ってしまった。 物音を出さないように気をつけて階段を上がっていたら、手から筆箱を落とした。 慌てて手を伸ばすが、取ることができないだけでなく、体勢も崩し階段から滑り落ちた。

 後頭部を思いっきりぶつけて、蠢いていると「大丈夫ですか?」と声をかけられた。 さっき内緒話で妙に慌ててる子の声だった。

 涙目になっている自分を見られたくなくて「ダイジョウブ……」と顔を隠しながら答えた。 気を使いすぎて自分がヘマを踏んだ。 かっこわる……。


「ちょっと頭を見せてください!」

「いいいい、いいって! 大丈夫だから」

「いいから見せてください!」


 逃げようとしたところを捕まえられ、強引に頭を下げられる。 念入りに診て「大きいコブができてる……」と言った。


「少しだけ待っててください」


 そう行って女の子は走ってどこかに行ってしまった。 この隙に教室に行こうとすると、腕を引っ張られる。


「ここで待つよう、言われたのでは?」

「次、移動教室なので」

「真面目なのはいいことだけど、あの子の優しさには応えてあげて」

「……………」


 この学園でこういう人は珍しい。 薄ぺらい友情ではなく、ちゃんと友人を立てたり、思いやったり。 自分のことしか考えてない人とは違う。


「一回生か?」

「ええ。 そういう貴方は一回生では……なさそう?」

「二回生になる」

「ふぅ~ん。 まぁ、足元には気をつけなさいな。 ……他に痛いところは?」

「特には……」


 頭も、もう痛くない。

 チャイムが鳴る。 授業には間に合わなかった。


「授業はいいのか?」

「別にいいでしょ、勉強なんて。 私に必要なのは学力じゃないし、それに歩さんを待ってなくちゃ」

「さっきの子?」

「可愛い子でしょ。 貴方にはあげないけど」

「ずいぶん仲がいいのな」

「ええまぁ、古い仲よ」

「……どんな子だ?」


 女の子は俺を一瞥して「ふっ」と笑った。


「見ず知らずの男に教えるわけないでしょ。 女のアレコレを聞きたがるのは失礼なことよ。 覚えておいて損はないよ」

「そう、だな。 不躾だった、すまん。 っと来たな」


 遠くからあの子が、スカートの裾を押えながら走ってくる。 短くした髪が一歩一歩進むたびに柔らかく弾んでいる。


「チャイム、鳴っちゃい、ましたね。 すみません、遅くなって。 これで、ひとまず、冷やしてください」 


 彼女は息を整えながら、俺に濡れたハンカチを渡してきた。 ここまでしなくても、とは思う。 正直に言ってしまえば、戸惑ってしまう。 絵に描いたような典型的な優しさには、どうしたらよいのやら。


「それでは、ボクたちは行きますので。 足元には気をつけてくださいね」


 さっきと同じことを言われた。 今度は優しい微笑み付きで。

 今にして思えば我ながら簡単である、と自嘲する。 内緒で読んでいた漫画のように複雑で長い間、関係を作っていたわけでもなく、たった一つの笑顔で俺はあの子————歩を好きになってしまった。




 寮で妄想に耽っていると、ルームメイトが手紙を渡してくれた。 実家からだったから読まずに机の中に押し込んで再び妄想に耽る。

 歩さんを好きになってから、ずっと歩さんのことを考えるようになった。 短くワフワフした髪を片側だけ三つ編みしているのが可愛らしい。 日の光を知らない肌が愛らしい。 傲慢さを微塵も感じることのない純粋な性格。 なにからなにまで愛らしくてたまらない。

 お近づきになりたい。 初めてそう思える女性だったが、想いと反してじっとすることしかできないでいる。 この歳になるまで恋愛らしい恋愛をしたことがないことの弊害なのだろうか。

 学園内でたまに顔を見かけることがあるが、そのたびに顔が熱くなる。 後々考えると、俺は何を期待しているのだろうかと阿呆と思えてしまう。 思っていても、次にまた同じことを繰り返すのだからドの付く阿呆なのだろう。

 日にちを重ねたおかげで、自分を馬鹿にすることで冷静になれることを知った。




 翌日、移動教室のときだった。 みんなが群れて移動している様子を尻目に、教科書を用もなしにめくりながら待った。 薄い教科書で、今日まで何度めくり直したかわからない。

 ざわざわとした雑音が遠のいたころを見計らって、教室を出た。

 次の教室は別館にある教室だった。 見栄は良いが、やたら広い庭園に抜けたところにレンガ調の別館がある。 次の授業はこの別館で行われるが、大抵の生徒は休み時間内に着いた試しがないという。 俺も漏れずに時間内に着いたことはない。 先生も特に咎めることもなく、遅刻するのは暗黙の了解となっているようだった。 先生もこの学園の在り方を理解しているせいかもしれないけど。

 この学園は勉学を優先するような学校ではなく、生徒たちの出会いの場を作るためにある。 ここにいる生徒は将来、親の跡を継ぐことを決定づけられている。 そのため今のうちにお嫁、お婿さんを見つけ出して、後々の跡目に困らないようにしているらしい。 気の早い話であるとバカにできないのが、学園内でセックスして子供を作ったという変な噂があるからだ。 火の無いところになんとかである。

 そのせいもあって、学園内ではみんなが色めき合っている。 噂とは別に『上級生になっても見つけることができなければ結婚はできない』という変なジンクスもあって、下級生は特に必死になっている。

 かく言う俺たち二回生も必死になっている。 一年後は上級生の仲間入りをするからだ。 いない奴はいる奴の陰口をたたきながら、一回生を狙っている。

 ここで俺にとっての問題がある。 歩さんも一回生であることだ。 あんなにきれいな顔立ちをしている彼女を男たちがほっとくわけがない。 歩さんが他の男と一緒にいるところなんて我慢ならないし、まして手を繋いでいたらと思うと変な衝動に駆られてしまうかもしれない。

 そうなる前に自分の気持ちを整理して、歩さんに————。

 不安でしかない。 漫画のようにうまくいくわけがないと現実的に考えながら庭園を歩いていると、歩さんがいた。 咄嗟に茂みに入って、気づかれないように近づく。 体温が上がり始めた。

 歩さんの隣にはあのときの女の子がいた。 話すこともなくただ歩いているようだったが、歩さんの顔は晴れやかでなく、口をへの字に曲げていた。 あの顔も可愛かった。


「歩、もっとにこやかにしてないと変に注目されちゃうよ」


 隣を歩いている女の子がそういうと、歩さんは慌てて口元を隠した。 可愛い。

 それから歩さんは、恥ずかしそうに怒ったり、シュンとしたり、微笑んだり、可愛い顔をいろいろ見せてくれた。 悶えて死にそうである。

 あの場所に居たい。 でもなんと言って出て行けばいい。 おかしな衝動と格闘していると、歩さんたちはじゃれ合い始めた。 終いには歩さんが隣の子を自分の方に引き寄せた。 いい匂いがしそうで、羨ましいと思った。

 しかし苦虫を噛んだような渋い顔をして「も~~~~!! この学園嫌い!!」と言い残し、不機嫌に去っていった。 そのあとに続いた歩さんも続き、もう終わりかと思い、茂みから出ようとしたら歩さんがこちらを見た。 冷たい目線で俺を一瞥し、すぐに前に向き直った。

 そのとき初めて、視線で人を殺すことができると知った。




 今日、すべての授業が終わり寮に帰ると困惑した顔でルームメイトが部屋の前で立っていた。 「どうした」と聞くと「君の、父上かい?」と耳打ちした。

 なにを言っているんだと部屋を覗くと、いつもの不機嫌そうで威嚇するような目つきの父さんが俺の椅子にどっかり座っていた。 父さんは俺を見ると、手紙を放り投げてきた。


「昨日のは読んだのか?」

 

 拾い上げて確認すると、机に押し込んだ手紙だった。


「何をしに来たのですか、父上……」


 父さんは鼻で笑い「それで馬鹿にしてるつもりか。 いつになっても馬鹿は治らんか」と感情を撫でてくる。


「いつになっても親の世話になっているようでは、馬鹿も治らんか? えぇ?」

「…………」

「自分の嫁ぐらい自分でなんとかしたらどうだ」

「……それぐらい自分でやります」

「やれんから、俺がこうして来たんだ。 手紙もまともに読めんやつにできるとは思わん」


 手に取った手紙の封を切り、中身を確認した。 握りつぶした。


「ふざけるな! そこまでやれとは言った覚えはない!」

「荷物をまとめろ。 明日、当家に貴船家を招き入れる。 お前は貴船家の人間と結婚しろ」


 それだけ言い残して父さんは部屋を出て行った。

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