ボクの悩み
「お嬢様、これバレてしまいますよ!」
「大丈夫だって。 バレない、バレない」
「そんなわけないじゃないですか!」
「だ~か~ら、バレないって。 そんなソワソワしてないで、ちゃんとついてきてよ」
「あ、お嬢様! 待ってください!」
ボクたちは星丘学園というお嬢様、お坊ちゃまだけが通うことができる特殊な学園の生徒です。 ボクの前を歩いているクリーム色の滑らかな髪をしている方は大財閥の御令嬢、貴船 一果お嬢様。 そしてボクは使用人の上賀茂 歩。
本来なら使用人であるボクが星丘学園に通うことはできませんが、旦那様が無茶をなさいました。 一果お嬢様が御一人で学園に行くことを心配し、ボディーガードとしてボクがお嬢様と一緒に学園に通えるようにしてしまったのです。
そのおかげで今のボクは『使用人』ではなく、『お嬢様』として学園生活を送らなければならなくなりました。 使用人とバレないように身の振る舞い方にも注意をしなければならないのは、思っていたよりも億劫で窮屈で今でも学園生活に不安があります。
それでも旦那様の言いつけは絶対守るのが使用人ですから、逃げ出すことはできません。 逃げ出したら、ボクはまた路上生活に逆戻りになってしまいます。 それだけは絶対に……。
「歩、もっとにこやかにしてないと変に注目されちゃうよ」
慌てて口元を手で隠す。
「私たちは基本、お気楽なのよ。 悪い言い方をすれば、人生なめてるの。 だから歩もニコニコゆるやかにしてなさい。 そうしてればバレないから。 第一、歩は可愛いんだから、ただでさえ注目されてるのよ?」
「お嬢様に拾っていただくまでは、人生のドン底にいたものですから、先の事を思うと胃が痛くなるのですよ」
「今は困ってないじゃない。 毎日食べるものがあって、着るものもある。 雨風をしのげる家だって。 あのころに比べたら、ずいぶん勝ち組よ。 だから笑いなさいな。 笑ってる歩の顔、好きよ」
「恥ずかしいこと言わないでください!」
「それでいいの。 難しい顔しちゃ、ヤよ」
「はい……、お嬢様」
「それと、学園ではお嬢様じゃないでしょ?」
これが一番慣れないし、お嬢様を呼び捨てることにすっごくすっっっごく抵抗があります。 でもバレないためには————
「一果……さん」
「う~ん、まぁ、まぁ、まぁ……呼び捨てできるようには頑張ろうね」
手本を見せるように、お嬢様は微笑みました。 ふわふわしてて、お菓子のような甘い笑顔で。 それにつられてボクも微笑むように努めました。
「それはそうと、次の教室どこだっけ? この学園広すぎよ」
「えっと……、この庭園を抜けた別館の三階の科学室です」
「休み時間内に行ける?」
「走らないと無理、ですね……」
「おかしいでしょ!」
「この学園、勉学を優先していませんから」
『学園』というのは名ばかりで、ここは将来のお嫁さん、お婿さんを品定めする場になっています。 世間一般のお見合いというものに該当します。 それだけならまだマシなのですが、この学園に通えるレベルのお金持ちの子供になりますと、親の仕事の事業拡大のために執拗に迫ってくる人もいると聞いたことがあります。 そういう輩からお嬢様を守るために、私は旦那様に命令されているのです。
「だったらサボリましょうよ。 もう間に合わないし」
「いけません! 行きますよ!」
学園の友達らしくお嬢様の手を引っ張ります。 「ヤー」と駄々をこねても、ぐいぐいと引っ張ります。 そして強引に引っ張って、お嬢様を自分の方に押し寄せた時に「後ろに誰かいます」と耳打ちをしました。
途端にお嬢様の嫌そうな顔が浮かび上がってきました。
「ここでサボったら相手をしなければなりません」
「も~~~~!! この学園嫌い!!」
お嬢様はどこにいるか分からない相手に向かってそう叫ぶと、不機嫌そうに足を進めました。 そのあとにボクがついて行き、後ろを確かめると茂みの中からこちらを見つめる男と目が合いました。
お昼は庭園のテラスで食べる人が多くいます。 そうなると自然と外はひどいありさまになってしまいます。 ナンパのし合いですよ。 少しは嗜みというものを覚えていただきたいと、あの光景を見るたびに思ってしまいます。
食堂に行くためにはこの庭園を通らないせいで、何度もお嬢様の行く手を阻もうと男たちが群がってきます。 お嬢様も家柄のこともあり、大勢の前で相手を無下にすることができず、曖昧な返事を繰り返してなんとか誘いを断ろうとしています。 上級生ともなると、必要以上に付きまとってきて鬱陶しいことこの上ないです。
こういう人たちからお嬢様を助けるのがボクの仕事ですが————
「私とお食事などいかがですか?」
「今夜、お暇でしょうか? もしよろしければ、私めとご一緒しませんか?」
ボクにまで声をかけてきます。
「申し訳ありませんが、今夜は予定があります故。 これにて失礼させていただきます」
あとは無視です。
「でしたら食事だけでも、ご一緒しませんか? 貴方も今からでしょ?」
「一果さん、参りましょう」
まだ断り切れないお嬢様の背中を押してこの場から去ろうとすると、肩を掴まれた。 すぐさま引きはがして、その場を去ろうとするが今度は前に回り込まれた。 気が付くと後ろにも二人いて、取り囲まれていました。 ここまで粘着質ということは上級生でしょうか。
前にいた人がにこやかに言います。
「そう邪見にしなくても。 ただ一緒にお食事がしたいだけです。 どうですか?」
「さきほど辞退したと思いますが」
「さきほど、とは?」
「貴方は察することもできないのですか。 それだから残されるのでは?」
男の顔が引きつりました。 図星だったようで。
「私は天龍寺家の長男だ。 ゆくゆくは家を継ぎ、偉大なる男になるのだぞ! その私の誘いを断ることが、どんなに愚かしいことか君は理解しているのか!」
「偉大であるならば、ボクたちにかまう必要があるのですか? 他にも食事をしてくれる方がいるのでは?」
「ボク? ふ~ん、男みたいな言い方をするんだな」
「……それがなにか」
「いや、なに……」
じっくり舐めるような目で見られ、鳥肌が立つ思いをしました。 すぐさまに、あのいやらしい顔をひっぱたいてやりたい。
「わかりました。 今日は諦めますので、握手だけでもよろしいですか?」
差し伸ばされた手を見て、どうしからいいか迷いました。 手を触られることだけは絶対にダメなのです。 かと言って無視しても、またしつこく言われるかもしれない。
どうしたらいい……。 どうしたら……。
「どうかしましたか?」
爽やかな笑みを張り付けて男が言いました。 「あまり歩さんをいじめないでくれますか」お嬢様が私たちの間に割って入り、言いました。
「ただ握手を求めただけですが?」
「……わかりました。 ご一緒しましょう」
「おじょ……、一果さん!!」
「席はすでに用意していますので、こちらへ」と男が言い、さりげなくお嬢様の腰に手を回そうとしました。 ボクが動くよりも速く、お嬢様は男の手を払い落しました。
「触らないでいただけますか」
男は叩かれた手を背中に隠して、何事もないようにエスコートしだしました。 ボクたちはまわりの生徒の話のタネにされながら、男たちの後について行きました。
「……申し訳ありません。 お嬢様」
「私のせいで無理させてるし、いいのよ……」
「ですが、それでは……」
「ですがも、もがすでもない!」
ベットの枕をボクに投げ飛ばして、ボクはそれをキャッチすることもなく頭に受けました。
星丘学園は生徒全員が寮生活をする決まりがあります。 一人部屋はなく、ルームシェアをしなければなりませんが、相手を選ぶことができます。 ボクは当然、お嬢様と同じ部屋にしてもらっています。 ですが今だけは、一人になりたいです。
「私は貴方の主なの。 主としてあなたを守る義務があるの。 これぐらいで、いちいち自分を責めない!」
また枕を投げました。
「ボクは旦那様からお嬢様を守るように言われました……」
それなのにあのとき、ボクは自分のことを最優先に考えてしまいました。 迷うことなく握手をして、すぐにあの場を去るだけでよかったはずなのに。 旦那様からの言いつけを守れなかっただけでなく、ボクがお嬢様に助けられてしまいました。 『助けられた』この部分がどうしても許せません。 何度、自分を責めても許すことができません。
「すみません……。 外の空気、吸ってきます……」
「ちょっと、歩!!」
「……すぐに戻ります」
行く当てもなくうだうだと歩き回っていると、昼に絡まれた庭園に来ていました。 街灯はありますが、消灯時間まで時間がないため消えていました。 ボクはテキトーにベンチに座って今日あったことを思い出します。
朝はお嬢様に叱られ、昼はお嬢様に助けられました。 今日一日、使用人としてお嬢様のために動けていたか、と聞かれると言葉が詰まります。 入学して数ヶ月も経ちますが、未だに慣れることがない生活で知らないうちに疲れが溜まってしまってしまったのでしょうか。 入学する前のように動くことができません。
「……できない言い訳を見つけても」
今日の出来の言い訳をしたいわけじゃありません。 そういうわけじゃないのに、どうしても頭がそっち方向の考えをしてしまいます。 ボクは、このままでいいのでしょうか。 いいわけ……、ないですよね。 えぇ、本当に……。
雲ばかり広がる空を見上げると、何にも変化のない空がどこまでもどこまでも続いています。
「な~に、自分に酔ってるのよ」
「おじょ、がっ!?」
眼前にお嬢様のうんざりした顔が広がり、驚きのあまりむせてしまいました。 ゲホゲホ苦しんでいる間にもお嬢様は「クサイクサイ」とボクを小馬鹿にします。
「おじょう、さま、どうして、ここに?」
「女のカン。 ……ってのは嘘で」
お嬢様はボクの隣に座って、一つ大きな息を吐きました。
「貴方に無理をお願いしたのは私だから。 それなりに責任もあるの。 ……歩、貴方は今夜にでも屋敷に戻りなさい」
「どう、してですか……。 やっはり今日の……」
「そうじゃない。 そうじゃないの……、貴方がそばにいてくれるなら私も安心できるのだけど、もう無理でしょ」
「いえ、そうような————」
「その恰好もつらいでしょ?」
言葉が詰まりました。 それを見てお嬢様は納得したような、自分を責めているような顔をしました。
「歩は男の子だもんね。 女の恰好なんて嫌よね。 お父様にも私の方から言っとくから。 ほら、もう行きなさい」
「おじょ————」
「ここを卒業したら、また会いましょ」
お嬢様はボクに手紙を渡し、去って行きました。