序章 1 地球の波
…月が輝き、船が波をかき分ける波音が聞こえる。ここは太平洋、日本国練習艦隊は第55回遠洋練習航海として、旗艦練習艦かしま、護衛艦あさぎり、練習艦せとゆき、乗員約600名、実習幹部約150名で編成。世界一周の航海へと送り出した。練習艦隊はハワイを目指して順調に航海を続けていた。
空には満天の星、陸上にいてはまず見られない光景だ。私、甲斐 英嗣は練習艦かしまの艦橋から星空を見上げていた。
「晴海出航から一週間かぁー」
「まだまだ練習航海は始まったばかりですよ」
「そうだね、まだまだあと6ヶ月あまり、日本には帰れないからね」
夜の海を見ながら、つぶやいた英嗣に答えたのは、副直士官を務める砲術士の佐々木 純也 二等海尉だ。
英嗣は、いま当直士官として、練習艦かしまの指揮を艦橋でとっている。横では、練習航海の主役である、実習幹部達が夜間の訓練を行っている。船の指揮をとっていると言っても、今はまわりに船もほとんどいない大海原、ある程度の緊張感は残しつつも、つい、つぶやいてしまったのだ。
「あと一週間したら、ハワイですよ!楽しみですよ!」
「うーん、上陸できるのは嬉しいけど、ハワイは何回も行っているしなぁ、まだまだ先は長いしね」
「そうですねぇ、今が5月で、日本に帰るのは11月ですからね、頑張らないといけませんね」
次の寄港地ハワイを楽しみにしているのは、操舵を担当している、航海科の島内 美香 三等海曹だ。
英嗣は、自衛隊に入隊して11年、33歳で三等海佐、かしまの船務長という、船の通信、レーダー関係を統括する、ポストについている。入隊して、11年となれば、ハワイは何度も訪れた、仕事でだが…
「司令官入られます!気をつけ!…かかれ!」
号令がかけられ、練習艦隊司令官 小塚 秀俊 海将補が艦橋に入ってきた。時刻は夜の11時、就寝前に様子を見に来たといったとこだろう。
「当直士官。今の状況は?」
「はい、艦隊は夜間訓練の陣形を組み、予定通り訓練を実施しつつ、ハワイに向けて航行中です。異常ありません」
「了解。海も穏やな日が続いている、このまま予定通りにハワイにつきたいものだね」
「そうですね、まだまだ先は長いですが気を引き締めていきます」
先ほどまで、少し気がゆるまっていたなど、言えるはずもなく、それこそ、気を引き締めて海を見始める。
「当直士官。CICより、前方約5マイル濃い雲のようなものがレーダーに映っているとのことです」
「了解、確認する」
CIC〔戦闘指揮所〕より連絡がはいる。英嗣が、艦橋にあるレーダーを確認すると、そこには確かに艦隊の前方に大きな雲らしいものがあるようだった。避けるべきか、悩むところだ。これほどの大きな雲をさけるとなると、タイムロスがかなりでてしまう。まぁスコールだろうなぁと考え、直進を、指示しようとしたその時、
「CICより!前方の雲らしき目標急速にこちらに近づく!速力100ノット!」
「100ノット⁉︎再度確認しろ‼︎そんな雲は聞いたこともないぞ!」
再度CICから連絡が入るが、100ノットといえば時速180キロ、飛行機ほどではないが、ヘリコプターくらいのスピードが出ていることになる。
内心焦りながらも、指揮官として、冷静に判断をくだすべく、思考を巡らせる。
100ノットが確かなら、あと3分程で上空に達する。ただの雲ならいいが、こんな速度で動く雲がただの雲というとこも考えにくい。何かが起こるであろうことは理解できた。
「司令官、僚艦に連絡、注意させるとともに、訓練を中断し艦外にいるものを、艦内にいれます‼︎」
「了解、実施せよ」
英嗣は決断した。
ひとまず連絡をとり、船の外にいるものを中に入れる。急激な気象の変化に備えれば良いだろうと思っていた。
「あさぎり、せとゆき、ディスイズ、かしま、前方から雲らしき正体不明のレーダーエコー急速接近中、訓練を一時中断し、豪雨、雷雨、高波に備えよ」
「ディスイズ、あさぎり、ラジャーアウト」
「ディスイズ、せとゆき、ラジャーアウト」
無線にて僚艦に伝え、かしまも態勢を、整えるべく、艦長の樫原 宏樹一等海佐に連絡する。
「当直士官から、艦長へ。前方から曇らしきものが100ノットで急速接近中です。いままでにないことですので、司令官の許可を得て、訓練を一時中断。急激な気象の変化に備えて、見張り、訓練員を艦内に待機させます。」
「了解。すぐに艦橋に上がる」
艦長から返事があり、1分とかからず、艦長がやってきた。
「艦長あがられます、気をつけ!…かかれ!」
「当直士官。状況は?」
「はい、正体不明のレーダーエコーはもう目前です、前方に特異事象はみられません。」
「そうだな、特に異常はみられ…いや、なんだあれは…」
艦長が突然言葉を途切れさせ、呆然と見つめている、前方をよく見てみると、そこには何もなかった…文字通り何もないのだ、水平線にまで見えていた星も、月の光が反射していた海面も、とにかく漆黒の闇だった。
艦橋にいる全員が本能的に危ないことは理解していた、だかもはや闇は目前まで迫っており、何もすることはできなかった。
「何が起こっても、冷静にいこう」
司令官がつぶやいた一言だけが、最後に英嗣の耳に届いた。
その日、練習艦隊は3隻とも闇に消えた。