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淡赤雪行商記

作者: 淡雪エリヤ

馬の足音や車輪が転がる音を聴き始めてから気づけば既に数年も経っていた。

流石に数年も聴いていれば耳に馴染み気にする事さえなくなる。むしろ、見知らぬ土地を移動している時にこの音が耳に入らない事の方が落ち着かないだろう。

まぁ、こんな遠方まで来ておいて見知った土地などある筈も無いのだが。

私が今向かっているのは、この国の数少ない国外へと向かう船が出る港町だ。その船に乗る者の目的は貿易で儲けようというのが主たるものだろう。かく言う私もその中の一人だ。

そういった船に乗るのは今回が初めてではない。ここまで来る為にも今まで何度か乗った事があるからだ。そうやって幾つもの国を渡りながら行商を続け私は今ここにいる。

私は母国での名のある商人の嫡男として産まれた。

そんな私が行商をしているのには当然の事だが、理由がある。

簡単に言ってしまえば、単に旅をしたいという私の我が儘である。

では何故、旅をしたかったのかと言うと、それはそれは奇妙な話になるのだ。

そもそも旅というのも私にとってある目的の為の手段でしかない。旅に必要な旅費をなんとかする為に行商という手段をとっているのだが、その旅ですら手段でしかないというのは十分におかしな話ではあるのだが、真に奇妙なのは別の事である。


少し遠回りした話になってしまったが、私の旅の目的はとある雪の景色を見る事だ。しかしそれは普通の雪ではない。普通の雪であったのなら私の旅は最初の一年で終っていただろう。私が見たいのは、ほんのりと淡い赤の色をした雪だ。木造りの建物と舞い降るその雪、そんな景色が幼い頃から私の記憶の中に存在していた。

私の故郷は一年中温暖な気候の地域に存在するので、決して雪の降る事がない地域なのだ。さらに私が故郷を出るのは、今回の旅で初めての事なのである。私はその景色を見る機会など一度もなかったのだ。詰まる所、私は見たことのない筈のその景色が記憶にあるのだ。私はその奇妙な記憶が何なのかを知りたかった。だから、その景色を私は探している。

それが私の旅がしたかった理由だ。

勿論の事だが両親には反対された。それでも私はどうしてもそれが何なのか知りたかったのだ。私は両親をなんとか説き伏せて、期限付きだったが旅の許可を得る事が出来たのだ。しかし、その期限もそろそろ引き返さなくては間に合わなくなる程に迫っていた。なので次に行く場所で最後にしようと思っている。旅を初めて数年が経ち、私は薄々感付いている。淡い赤い色をした雪の存在などあり得ぬであろうという事に。常識的に考えれば、黒い白鳥がいないように白くない雪がある筈もないのである。それにもう雪は溶け終えて花が咲き始める季節だ。北の方であれば雪が降っているのであろうが、常に雪が降るような地域は木で家を作っても寒さを凌ぐ事は出来まい。

私はもう諦めているのだ。いつしか私の旅は、その景色を探す事もよりも見知らぬ景色を見る事やその地の料理を食べる事に重きを置くようになっていた。私の旅の行く先は雪の降る場所から、噂で聞いた優麗な景色がある場所や美味いと評判の郷土料理がある場所へと変わっていた。


街に着き様々な手続きを終えると、この街の商会に馬車を預け、私は直ぐに市へと向かった。

街は身分も格好も様々な者達が賑わいを見せていたが、市の中はその比ではなく、右も左も商売交渉の声で溢れていた。

貿易船が行き交う港町なだけあって市には自分が見た事のない物から自分の故郷にも売っていた物まで統一感がないように様々な物が並んでいた。

声の一つ一つに聞き耳を立てながら商品を眺めて歩く。

情報収集というのは戦に限らず商売で勝利する為にも重要な事だ。正しいレートを知らなければ、安く買い叩かれたり、高く買わされたりと散々な目に合う。

特にこの街のような各国の商人が日々入れ替わるように集まる場所はレートの変動が激しく前日に仕入れた情報など無意味に等しい。しかし、それはあくまで商人や旅行者に対して商売をする場合だ。この街の町人に対して商売をする場合、例えば宿屋や食事処などに麦や米を売る場合は市のレートとは全く関わりがなく、比較的に安定した値で売ることができる。とは言え、塩や魚介類などを売るとするのなら、この街のような港町では地元で取れるために需要がなく売れたとしても全く金にならないだろう。売るとするなら金物、織物、干し肉、果物や葡萄酒などの果物を使った酒だろうか。私の馬車の積荷で売れるとしたら、絹織物と干し肉と果物くらいだろう。

聞いたところによると絹織物は、私が船で行く先だと相当高く売れるらしい。するとこの街で売る物は干し肉と果物に限られる。どちらにしても私は市に商品を広げるつもりなので、関係ない話なのだが。

商品は立ち寄った街や村で買うだけでなく自分と同じ行商人から買う事もある。

例えば西と東とその間の三つの街があるとしよう。自分は並んだ三つの街の間の街にいる。

西の街でから間の街に来る商人は東までは行かず引き返すらしい。

しかし西の街から来た商人が売る物は真ん中の街よりも東の街で売る方が高く売れる。

間の街にいる商人は、西の街から来た商人から商品を買い、東の街に行って売る。

詰まりは転売だが、遠くの方から来る商人と更にその先に行く商人がそれをする事によって、より遠くの街に商品を届ける事が出来るのだ。それを何処でも取れるような物でやっては意味がないが、香辛料などは私の故郷ではあまり取れないので、そういった方法で運ばれてきた物を仕入れている。転売を繰り返す度に値が上がるので私の故郷では金をも越える値段になっている。

産地で直接買った物を故郷に持って帰れば、かなりの儲けになるだろう。

ついでに言うと馬車に積んである絹織物は、そうやって仕入れた物の一つだ。


市での情報収集を終えると、手続きの際に指定された場所に商品を並べ始める。

今回、売ろうと思っているのは蜜柑やマンゴーなどの果物を少量だけである。マンゴーと言う果実は一つ前に立ち寄った村で他の商人から買った物だ。私の故郷では見たことのない果物で、聞くところによると南の方で取れるらしい。故郷に持って帰りたいが、帰った頃には腐っているだろう事は目に見えている。

ここら辺では対して珍しい果物ではなく、小遣いより少し多い程度しか稼ぐ事が出来ないが、今回はこの街の観光代を稼ぐだけなのでそれで問題ない。文字通り、小遣い稼ぎなのだ。

本格的に儲けを出す為の商売をするのは、船で次の国へと行った後なのである。

船代や船が出る日までの宿代は既に持っているので船が出るまでの時間潰しで観光をしようと思っているのだ。

商品を並べ、準備が終わると早速客が来た。

「ほう、この市で果実を売っているのか。逆に珍しいね。見たところ、普通の果実に見えるが、これには何か特別な謂れでもあるのかい」

最初に来た客は簡素で小綺麗な格好をした男だった。服装や言動から察するにこの街の町人か、何日かこの街に滞在している商人だろう。

「いえ、これは特に何の謂れもない見た通り普通の果実ですよ」

「むむ、となると謎が深まってくるね。何故それをこの市に」

「周りは珍しい物ばかりで満ちていますが、その中に並みの物があればお客さんのおっしゃった通り逆に珍しく目立つのではないか、と思いましてね」

「なるほどね。私はまんまと思惑に嵌った訳だ」

客はそう言って愉快そうに笑った。

「お一つ、どうですか。目利きばかりで疲れたでしょう、甘い物でも食べて一休みしてみては」

「折角だから、いただこうかね。その黄色い実を一つ」

「食べやすいようにお切りしますよ」

「おお、それは助かる。おいくらかな」

そんな感じで度々売れていき、元々数が少なかったので明るい内に全て売り切る事が出来た。


暗くなる前にこの街に滞在している間に泊まる宿を見つける事が出来た。

「お客さんは、ウチに何日泊まる予定なんだ」

「3日のつもりですね」

「いやぁ、悪いな。岩茸取りには宿を貸すなって言葉があるだろ。ウチはそういう客も泊める代わりに宿代を先払いにしてんだ」

「なるほど、確かにいつ命を落とすか分からない人に宿を貸したら払われるか分かったものじゃないですよね。私の故郷では岩茸取りではなく探検家には宿を貸すなって言って言葉がありますね。」

「3日って言うと、このくらいなんだが。見たところ商人のようだが、払えるか」

「ええ、問題ないです」

「そうかそうか、良かった。払って貰わなきゃ俺がカミさんに怒られちまうからな」

この宿は宿代がそれなりに安い代わりに食事は別途料金が掛かるらしい。なんでも夕食を外で食べてくる客が多いので、そのような形式にしたとの事だ。もしかしたら、この宿で出る食事が美味しくないのではと思ったが、そんな事はなかった。

この街に来るまでの数日は野宿が続いたので、今夜はぐっすりと眠れそうだ。


街に着いてから2日目。乗船の手続きは終わっていて出航の日までする事がないので、昨日稼いだ小金で、この街の観光をしようと思う。

基本的にするのは食べ歩きをしながら街を見て周る事だけだ。

船で次の行き先に行った後にもう一度この街に戻ってくるので物珍しい各国の民芸品などはその時に買おうと思っている。市の商品は毎日変わるので、今日しか手に入らない物などもあるだろうが、そんな事を言い出したらキリがなくなる。

宿でゆっくりしていたら、そろそろ正午になりそうだったので宿を出て食べ歩きを始める事にした。

昨日は手続きをしたら直ぐに市へと向かったので、あまり詳しく街を見ていなかったが、改めて見ると市とは違った賑わいがある。市では大人達が商売毎の話で賑わっていたが、街では子供が遊んでいたり女性逹が世間話をしていたりと、何とものどかな雰囲気を感じる。

しばらく歩いていると美味しそうな匂いが鼻に入り、それから私の食べ歩きが始まった。

数刻が経ち、そろそろ宿へと帰ろうと思った時にそれは起こった。

腹を満たして気を抜いてい時に私の財布が盗まれたのだ。スリではなく、堂々と引ったくられた。

ほんの少しの間、茫然として私は盗人に向かって叫び走り出す。

「待ちやがれっ……うっ」

しかし、少々食べ過ぎた所為か足は直ぐに止まり戻さぬように口を塞ぐ。

気づけば盗人の姿は見えなくなっていた。

財布の中には、まだ明日の分の観光費と今夜の食事代が入っていたのだが、どちらにしろ今の私に夕食は食べれそうになかった。


宿に帰り夕食を断る際に、その事をはなす。

「そりゃ災難だったな。しかし、この街で引ったくりってのも珍しいな」

「そうなんですか」

「ああ、この街は治安が良いからな、今迄にそういう話は聞いた事なかったくらいだ。その分、警邏も緩んでたし、それにつけ込まれたんだな」

「宿代の先払いっていうのは、こういうのでも役に立ちますね」

「ん、そうだな」

そう言って私は宿屋の主人と笑い飛ばした。

旅にトラブルは付き物だ。多少気を落としても引きずっていたら、旅などやっていられない。


この街に着いて3日目。船は明日の朝早くに出るので、宿を出るのは夜中になる。それまで宿で大人しくしているのも良いが、旅行費が無くなったとは言え物見遊山に出かける事くらいは出来るだろう。

と言うことで街に出てみたは良いが、昨日と大した違いもなく、あまり有意義な時間を過ごす事はできなかった。

本当の事を言うと一つだけ違いがあったにはあったのだが……それは昨日食べたとある美味しい店の食べ物が日替わりで昨日と変わっていたという事だった。

特にする事もなくなり早めに戻ろうかと思ったその時、昨日の盗人と同一人物らしき後ろ姿を見つけた。

「ちょっと、そこの君」

確かめようと話しかけて見る。近くで見てみると汚れも少なく綺麗な服装だったので、何処からどう見ても金に困っているような人のする格好ではない。どうやら人違いのようだ。

「はい、何か……」

声を掛けた人はどうやら、まだ若い女性だったようだ。しかし、その女性は私の顔を見るなり黙って走り出した。否、逃げ出した。

つまり人違いではなく、私の財布を引ったくった張本人であるという事だ。その事に少し驚きながらも追いかける。

昨日とは違い、今度はその盗人を簡単に捕まえる事が出来た。

捕まった後にその女性はただ黙りこくっていた。

流石に往来の道中で話をするのはお互いに良くないと思い、自分の泊まっている宿へと連れてきたのだが、そこでやっと女性が初めて言葉を発したのだが。

「私をどうするつもりです」

昨日の事を知らない人が今日の事を見たら、完全に悪人なのは自分の方に見えるだろう。

「どうするも何も、君の方こそ色々とどうしたんだ。特にあの金の行方」

「使いました、宿代を払う為に」

「宿代って……」

詳しく聞いてみれば、彼女はどうやら行商人の娘らしい。そして、親と一緒に行商をしながら暮らしていたらしのだが、その親が数日前に野盗に殺されたのだそうだ。自分は命かながら逃げ出して、この街に辿り着いたとの事。

「それで宿に泊まったは良いが、払う宿代がなく。私の財布を盗んだと」

「はい……」

「もっと先にするべき事があっただろうに」

私のように色々な所を旅している行商人ではなく、ここらの地域を回っている行商人の娘であるのなら、商会に行けば何とかして貰えただろう。どんな風に何とかなるのかは私の知った事ではないが。

「その、私をどうするつもりですか」

「どうするか、ね。警邏の人に突き出しても金が戻ってくる訳でもないしな」

私がそう言うと彼女は安堵の溜息をついた。

「でも私は慈善事業をしてる訳じゃないんだ」

私がそう言うと今度は顔を強張らせる。

「盗んだ金を働いて返してもらうよ。そうだ、ちょうど前々から荷物持ちが欲しかった所だ。行商をしているのに荷物持ちがいないのは大変だったからね」

私は別に、彼女から聞いた真実かどうかも分からない境遇に同情している訳ではない。そんな事は旅でよくあるトラブルの一つでしかないのだから。それにそれを解決しようとしなかったのだから、どうしようもなく彼女の自己責任でしかない。

私が彼女を助けたのは……そうだな、祖国の紳士代表として綺麗な女性は見捨てて置けなかった。と言うのはどうだろう。いや、それだと下心で助けたと思われてしまうではないか。ああそうだ、さっき自分で言ったではないか、荷物持ちが欲しかった所だと。兎に角、私が助けたのはそれが理由という事にしよう。


こうして私の一人旅は中盤に差し掛かる所で終わりを迎えた。

突然、増えた乗客に船員を困らせてしまったが、まぁ金を出したら何にも言われなくなった。


宿屋から出発する時に宿屋の主人と挨拶をしたのだが、その時に言われた事がある。

「明日の朝出る船って事は例の島国に行くんだろ。あんたも黄金目的か。ん、違うのか。そういや、この時期になるとサクラって花が咲くらしいぜ。そこかしこに薄紅色の花弁が雪のように舞い散って綺麗なんだとか」

この街では食べる事しかなかったが、そういう風景を見るのも好きなので、私は楽しみに思った。



そして、この先行き着いた島国で私は諦めていた旅の目的を達成する事となる。

だがそれは、まだ少し先の話。

此度はここで筆を置こう。

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