66話 指示待ち
既読だけつける。
返さない。
その仕草も普通の生活みたいだった。
だから余計に怖かった。
由奈の言っていたことを、晴人はその時急に思い出した。
池袋で一番まずいのは、怖い人じゃなくて普通の顔の人だと。
夜だけ若い子を使って、朝にはスーパーで豆腐でも買って帰りそうな顔の人だと。
その意味が少しだけ分かった気がした。
この2人は多分、池袋のどこにでもいそうな生活をしている。
洗濯をして、コンビニでお茶を買って、夜になったら若い子へ短い指示を送る。
その切り替えができること自体が、いちばん深いのかもしれない。
部屋の時計が22時を回った時、男が戻ってきた。
「動くよ」
それだけだった。
どこへ、何を、誰に、はない。
でももう、聞き返せる空気でもなかった。
晴人は立ち上がった。
もう1人の若い男も立つ。
女は最後に言った。
「池袋だからって、軽く見ない方がいいよ」
その言い方だけ少し本音っぽかった。
でも本音だったとしても、もう遅い。
マルイ前に立っていた時の自分は、確かにまだ軽く見ていた。
サンシャイン通りの明るさも、東口の人の多さも、池袋全体を「なんとかなる夜」だと思っていた。
でも実際には、池袋っていうのは明るい場所ほど入口に使いやすい街なのだ。
普通の顔で立てる場所が多いから、戻れなくなる最初の一歩までがやけに自然にできている。
部屋を出る時、晴人は一度だけ女の足元を見た。
スーパーの袋から、ネギが少しだけはみ出していた。
その生活感が最後まで残った。
だからこそ、その夜のことはあとになってもずっと気持ち悪かった。




