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リセット  作者: ナオ
10/79

10話 内勤

 店の電話は、夜になるほどやさしい声になる。


 昼間は問い合わせ。

 夜は予約。

 深夜になると、泣き声と怒鳴り声が混ざる。


 その全部に同じ声で返事をするのが、内勤の仕事だった。


 村瀬拓海は、池袋北口の雑居ビル4階で、モニターを2台並べたデスクに座っていた。


 1台は予約表。

 1台は女の出勤状況と客の履歴。


 横には店用のスマホが3台。


 鳴り分ける必要があるから、ケースの色を変えている。


 赤が客。


 黒が女。


 青が店長用。


 誰もそんな細かいことは褒めない。


 でも、こういう細部でしか現場は回らない。


 拓海は33歳だった。


 元は居酒屋の社員だったがコロナの頃に店が飛んで、そこから知り合いをたどって、この店の内勤に入った。


 最初は気持ち悪かった。


 女の写真を並べて、予約のつきやすい時間帯を見て、客の好みで割り振る。


 人を人のまま扱っていない感じがした。


 でも半年もすると慣れた。


 慣れるというより、言い換えがうまくなった。


 管理。

 調整。

 回し。

 フォロー。


 そういう言葉を使っていると、だいたいのことは仕事っぽく見える。


 20時を過ぎると、予約が一気に詰まり始めた。


 金曜の夜は客のテンションが雑だ。


 仕事終わりのサラリーマン。


 飲みの帰り。


 終電を逃す前に1回だけ遊びたい男。


 声を聞けばだいたい分かる。


 初回でやたら丁寧なやつは地雷率が高い。


 慣れた口調で女の名前を呼び捨てにするやつは、だいたいリピ客で、文句も多い。


 いちばん楽なのは、金だけ払って黙って帰るやつだった。


 店の電話が鳴る。


 拓海は一拍で声を切り替えた。


「お電話ありがとうございます」


 相手は40代くらいの男だった。


 酔っている。


「今日さ、1番細い子、誰」


 そういう聞き方をする客は珍しくない、珍しくないからこそ気持ち悪がっている暇がない。


「ご案内可能な子ですと、今ですと真帆か、りのあになります」


「若い方」


「真帆が24です」


「じゃあその子、90で」


「ありがとうございます、ご希望オプションございますか」


「写真と違うと困るんだけど」


「プロフィールとの差が少ない子を案内しますので、ご安心ください」


 ご安心ください。


 便利な言葉だと思う。


 安心できる仕事じゃないくせに、そう言えば少しだけ会話が進む。


 電話を切って、拓海は黒いスマホで真帆に連絡した。


『次、90』

『北口ホテル』

『客40代、酒あり』


 すぐに既読がつくが、返事は遅い。


 たぶん嫌がっている。

 嫌でも行くかどうかを迷っている間だ。


 拓海は追いLINEを入れた。


『行ける?』


 2分して返ってきた。


『行きます』


 それで十分だった。


 仕事中、女の機嫌まで気にしていたら回らない。


 もちろん、完全に壊れそうなやつには少し配慮する。


 でも、それも店のためだ。

 飛ばれると面倒だから。


 本当にそれだけなのかと、昔は少し考えた。

 でも、今はあまり考えない。


 デスクの横にある小さなホワイトボードには、今日の出勤人数と目標売上が書かれていた。


 女が8人。

 目標が48。


 到達しなければ店長の機嫌が悪くなる。


 店長の機嫌が悪くなると、女の写真の見せ方が悪いとか、写メ日記の更新が遅いとか、待機の空気が重いとか、全部こちらの責任になる。


 責任というより、数字が悪い時の捌け口だ。


 それも分かっている。


 分かっていて、今日もホワイトボードの数字だけは何度も見てしまう。


 青いスマホが鳴った。


 店長だった。


「今日どう」


「今28です」


「弱いな」


「真帆とエリで夜帯回してます」


「真帆、またオプ断って空気悪くしてない?」


「さっき1件ちょい微妙でした」


 店長は舌打ちした。


 電話越しでも分かるくらい、露骨だった。


「使いづれえな」


 使いづらい。


 店長はそういう言い方をする。


 女の名前のあとに、使える、使えないをつける。


 たぶん本人の前では言わない。


 でも、裏ではいつもそれだ。


「飛ぶタイプではないです」


「飛ばなきゃ何でもいいってわけじゃねえよ」


「……調整します」


「写真、明日撮り直しな」


 電話はすぐ切れた。


 拓海はしばらくスマホを見たあと、ため息もつかずに次の連絡を打ち始めた。


『真帆、明日写真撮り直し』


 少ししてから返事。


『なんでですか』


 拓海は画面を見た。


 本当の理由を書くわけにはいかない。


 店長が使いづらいって言ってるから。

 客ウケの数字が少し落ちたから。

 オプ断るたびレビューで空気が悪くなるから。


 そんなことをそのまま送ったら、たぶん何かが壊れて来なくなる。


 だから言い換える。


『最近動き落ちてるから、見せ方変えたい』


 しばらくして、返事。


『分かりました』


 それで会話は終わる。


 こういうやり取りを何百回もしていると、自分が人を励ましているのか、追い込んでいるのか、たまに分からなくなる。


 でも分からなくなった方が続く。


 22時前、別の女から着信が入った。


 源氏名はみお。


 出勤率は悪くない。


 でも最近、遅刻と当欠が増えていた。


 拓海が出ると、向こうはしばらく無言だった。


「どうした」


「今日、やっぱ出れないです」


「今それ言う?」


「ほんとごめんなさい」


 後ろで何か生活音がした。


 男の声かもしれないし、テレビかもしれない。


 拓海は画面の予約表を見た。


 みおに付けるつもりだった客が2本ある。


 今から飛ばれるとだるい。


 だるい、が最初に来るあたり、自分もかなり鈍っていると思う。


「熱?」


「いや、ちょっと」


「ちょっと何」


「ごめんなさい、今日無理で」


 泣きそうな声だった。


 でも、泣きそうな声に慣れている自分もいる。


 ここで強く出ると飛ぶ。


 甘くすると繰り返す。


 その中間の声を出す。


「分かった、今日の分はもういい」


「すみません」


「でも明日店来て」


「……はい」


「話あるから」


 電話を切ると、すぐに店のグループLINEへ打ち込む。


『みお飛び気味』


『明日面談』


『今日2本流れ』


 その文を送ってから、少しだけ胃の奥が重くなった。


 面談と言っても、やることはだいたい同じだ。


 生活が苦しいんでしょ。

 だったら出勤増やそう。

 無理な予約は避けるから。

 でも当欠は店も困る。


 そうやって、逃げたい女にもう少しだけ店へ残る理由を渡す。


 優しさではない。


 ……延命だ。


 そしてその延命の中に、店の売上も混ざっている。


 客からクレームの電話が入ったのは、その15分後だった。


「さっき来た子さ、態度悪くない?」


 真帆についた客だった。


「申し訳ありません、何かございましたか」


「オプ断るのは別にいいけど、空気悪くなるのが無理なんだけど」


「申し訳ありません」


「こっち金払ってんだよね」


「確認の上、次回割引対応いたします」


「次回ねえ」


 次回も来る気の男の声だった。


 クレームはだいたい、怒っているというより、自分が不快だった事実を店に認めさせたいだけだ。


 拓海は謝りながら、頭の中で損切りを計算していた。


 次回3000引きなら安い。

 この客はまだ使える。

 切るほどではない。


 仮に、切る時はあっさりと丁寧に今後利用不可を伝える。


 電話を終えてメモに残す。


『真帆、客クレ』

『次回3000引き』


 数字と略語だけで、人の気分を処理していく。


 それが内勤の仕事だった。


 23時を過ぎると、待機部屋の空気が重くなる。

 呼ばれた女と、呼ばれない女の差が見え始めるからだ。


 拓海は1度だけ部屋をのぞいた。


 エリはスマホを見ていた。


 真帆は鏡の前で口紅を直している。


 新人の女は、たぶん体入で、緊張した顔のまま膝に手を置いていた。


 その顔を見て、拓海は少しだけ昔を思い出した。


 最初はみんな、ここで何とかしようと思って来る。


 最初から終わってる顔で来るやつは少ない。

 何とかなると思ってる顔が、1番よく沈む。

 今はそれすら何とも思わない。


「真帆、次あと30で出れる?」


 部屋の入口から声をかける。


 真帆は振り向いて、小さくうなずいた。


「行けます」


 行けます。


 その言葉に、疲れも、嫌さも、諦めも、全部混ざっていた。


 でも結局、店にはその4文字で十分だった。


 日付が変わる頃、売上は43まで来ていた。


 目標まであと5。


 ギリギリ届くかどうか。


 店長からまた着信。


「どう」


「43です」


「あと1本欲しいな」


「女、回せるの真帆かエリくらいです」


「じゃあ細い客拾えよ」


 細い客……短時間で、オプもなく、トラブルも起こしにくい客のことだ。


 人を表す言葉じゃない。

 条件を表す言葉だ。


 でも、この店ではそういう言い方が普通になっている。


「分かりました」


 電話を切って、拓海は予約アプリの画面を見直した。


 空き時間。


 待機女。


 過去の客履歴。


 誰をどこへ流せば、あと5が埋まるか。


 考えていることは、パズルに近かった。


 違うのは、駒が全部人間だということだけだ。


 1時過ぎ、ようやく最後の1本が入った。


 エリを流す。


 売上は49。


 目標を1だけ越えた。


 それだけで、デスクの空気が少し軽くなる。


 お疲れ、と誰も言わない。


 でも、今日も一応回ったという安堵だけはある。


 拓海はイスにもたれて、モニターの明かりをぼんやり見た。


 青いスマホに、店長から短いLINEが来る。


『おつ』


 それだけだった。


 拓海は返信しなかった。


 代わりに、黒いスマホの通知欄を開く。


 真帆からだった。


『今日の客、次から外してもらえますか』


 その文を見た時だけ、少しだけ人間の顔が頭に浮かぶ。


 ホテルの部屋。

 不機嫌な客。

 作った笑顔。

 帰り道の疲れた足。


 でも、その想像も長くは続かない。


 拓海は画面を閉じて、短く返した。


『確認します』


 本当は確認なんてほとんどしない。


 使える客なら回す。


 埋まらない時間帯なら、また行かせる。


 その時の言い方を少し変えるだけだ。


 夜が終わる頃には、待機部屋のゴミ箱にコンビニの空き容器がいくつも増えていた。


 化粧落としのシート。


 吸い殻。


 レシート。


 全部、今日という夜の残骸だった。


 拓海は最後に売上表を保存して、PCを閉じた。


 数字は残る。


 客の名前も、女の履歴も、クレームも飛びそうなやつのメモも残る、残らないのは、その時その時の顔だけだ。


 だから続けられるのだと思う。


 雑居ビルを出ると、池袋の夜は少しだけ静かになっていた。


 コンビニの前で、知らない男が煙草を吸っていた。


 どこにでもいる顔だった。


 拓海はその横を通り過ぎる。


 今日も何人かを回した。


 何人かをなだめて、何人かを埋めて、何人かの無理を見ないふりした。


 それで店は回った。

 回ったのだから、たぶん今日も正解だった。


 そう思わないと、この仕事は朝まで持たない。


 スマホが震える。


 みおからだった。


『明日、やっぱ無理かもしれません』


 拓海は歩きながら画面を見た。


 返信はまだしない。


 どう言えば、もう1日だけ残らせられるかを考える。


 朝が来る前に考えることがそれなのを、もう変だとも思わなくなっていた。

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