第2話:私を定義するのは、私自身です
鏡の中に、一人の女が立っていた。
かつての私を覆っていた、あの不健康なまでの青白さはどこにもない。
魔力を通わせ、内側から発光するように整えられた肌は、陶器のように滑らかだ。目元には、夜の帳を切り裂くような鋭いアイラインを、躊躇いなく引き抜いた。瞬きをするたびに、魔石のラメが星屑のように踊り、瞳には二度と消えない強い光が宿る。
「……完璧ね」
私は、自分の指先に宿る魔力を確かめるように拳を握りしめた。
「エリカ! 開けろ! 戻ってこいと言っているのが聞こえんのか!」
扉の向こうでエドガーが怒鳴り、激しく叩く音が響く。
私はゆっくりと立ち上がり、父が用意した水色のドレスを見下ろした。
これは、私を繋ぎ止めていた鎖そのものだ。
淑やかであれ、目立つな、ただの器として生きろ。
父の顔色を伺いながら、窒息しそうなコルセットに身を固めてきた、従順な人形としての象徴。
「……もう、必要ありませんわ」
私はその胸元の野暮ったいレースを、迷いなく指先で引き千切った。
さらに、動きを制限していた重苦しいスカートの裾を、膝が見えるほど大胆に切り揃える。布の裂ける鋭い音とともに、私の中に溜まっていた重苦しい澱みが、一気に霧散していくのを感じた。
準備は整った。私は静かに、更衣室の鍵を開けた。
勢いよく扉を開く。そこには、顔を真っ赤にして扉を叩こうと拳を振り上げたままのエドガーが立っていた。
「遅いぞ、エリカ! 許可なく閉じこもって――ッ!?」
振り上げられた彼の拳が、空中で凍りついた。
怒りで剥き出しにされていた彼の瞳が、信じられないものを見たかのように見開かれる。
彼はそのまま、数歩、ふらふらと後退った。
テーブルにぶつかり、そこにあったティーカップが床に落ちる。高価な陶器が砕け、琥珀色の紅茶が絨毯を汚す音が静寂に響いたが、彼はそれに気づく様子すらなかった。
エドガーは喉を鳴らし、吸い寄せられるように私を見つめる。その瞳には、先ほどまでの蔑みではなく、ぎらついた欲が宿っていた。
「……あ、ああ……。なんだ、それは……。エリカ、お前、これほどの美しさを隠していたのか……?」
エドガーは震える手を伸ばし、私の頬に触れようとした。私はその手を、冷たく払い除ける。
「無作法ですわ、エドガー様」
「……くっ、失礼した。だが、驚いたぞ! まさかお前に、これほどの華があったとはな! 実に見事だ! 今の姿であれば、私の隣に立つのに不足はない。むしろ、他の貴族どもを黙らせる最高の飾りになるだろう!」
彼は興奮に頬を染め、勝ち誇ったように笑った。
「父上には私から話しておこう。縁談は最大限の条件で進める。エリカ、お前は今後、私の側にいるときは常にその姿でいろ。お前の持つ魔力も、その美貌も、すべては私の……グレイモント侯爵家の所有物だ!」
横から、父であるアステリア伯爵が揉み手をして近づいてくる。
「おお、エドガー様! 気に入っていただけて何よりです! さあ、エリカ、早くエドガー様に感謝の言葉を――」
私は、二人を氷のような眼差しで見据えた。沸き起こったのは、怒りですらない。ただただ、深い、底知れないほどの軽蔑だ。
「……何を仰ってるのですか?」
私の静かな声に、二人が動きを止める。
「エドガー様。あなたは、私があなたの機嫌を取るためにこの姿になったとお思いかしら? 私は、あなたという退屈な男の隣に立つために、この力を使ったのではありません」
「な……何を言っている?」
「私はたった今、私自身の尊厳のために武装しました」
私は一歩踏み出し、愕然とするエドガーの鼻先に、鮮やかに彩られた指先を突きつけた。
「この婚約、私の方からお断りさせていただきます。……あなたが愛したのは、私の魔力と、あなたの隣に置くための都合のいい人形でしょう? けれど、ご覧なさい。私はもう、あなたの手には負えない、毒のある花として咲き誇ることに決めたのですわ」
「……貴様ッ! この私を、グレイモント侯爵家を拒絶するというのか!」
「ええ。私の価値も、この彩りの意味も理解できず、ただ『独占したい』と口にするだけの男など、私の人生には一分も必要ありませんもの。……それでは、ご機嫌よう」
父が絶叫し、エドガーが怒りに顔を歪めて何かを叫ぼうとするが、私はもう、彼らに背を向けていた。
重厚な玄関ホールの扉を押し開け、夜の街へと飛び出した私の胸には、冷たく、けれど確かな勝利の熱が灯っていた。




