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第11話:白手袋と宵闇の宣戦

 マダム・カサンドラ主催の夜会。それはバザールにおける最高権力の象徴であり、同時に魔女として名声を上げた私の、社交界デビューの場でもあった。


 カサンドラから贈られた、夜の海を思わせる深いミッドナイトブルーのドレス。私は自らに、これまでで最も冷酷で、最も美しい武装を施した。目元には銀の魔石粉を散らし、瞬きするたびに星屑が舞うような輝きを。唇には一滴の毒を含んだような、深い真紅を。


「……今日のあんたは、触れたら斬られそうなほど綺麗だ」


 エスコートするエルドは、いつもの旅装を脱ぎ、仕立ての良い黒い礼服に身を包んでいた。どこで調達したのか、その着こなしは驚くほど洗練されている。けれど、その身分を示す勲章も紋章も、彼の胸元には一つとして存在しない。


「エルドさんこそ。その格好、あまりに似合いすぎていて、隣に立つのが少し怖いくらいです」


「ははっ、お互い様だ。さあ、行こうか。この街の連中に、あんたの真価を見せてやれ」


 私たちは会場である大広間へと足を踏み入れた。


注がれる羨望と好奇の視線。カサンドラの隣に並び立つ私の姿に、バザールの名士たちは息を呑む。


だが、その華やかな空気の中に一つだけ、氷のように冷たく、ひどく不快な熱を帯びた視線が混じっていることに、私はすぐに気づいた。


「ようやく見つけたぞ、エリカ。こんな掃き溜めのような街で、何をしている」


 心臓が、嫌悪感で凍りついた。


 人混みを割って現れたのは、金髪を完璧に整え、尊大な笑みを浮かべた男。――エドガー・グレイモント。


 彼は私を一目見るなり、絶句した。


 あの日、王都の屋敷で見せつけたあの魔女の美しさが、さらに研ぎ澄まされ、見知らぬ男の隣で堂々と咲き誇っている。その事実に、彼の瞳には隠しきれない動揺と、それ以上の凄まじい執着が走った。


「エドガー様……なぜ、あなたがここに」


「なぜだと? 貴様が勝手に姿を消したせいで、私の、そしてグレイモント家の計画が狂っているのだ。……だが、いい。その顔だ。その美しさこそが、私の妻に相応しい。さあ、大人しく戻れ。この私が直々に、こんな薄汚い街まで迎えに来てやったのだからな」


 エドガーは私の意志など一顧だにせず、当然のように私の腕を掴もうとした。彼の傲慢な頭の中では、私は今も自分に選ばれることでしか価値を持てない、従順な所有物のままなのだ。


 だが、その指が私に触れるより早く、エルドの大きな手がそれを遮った。


「……気安く触るな。その手、叩き斬られたいのか?」


 低く、地を這うようなエルドの声。彼は私の前に立ち、エドガーの視線を真っ向から受け止める。


 エドガーは、目の前の素性も知れぬ男から放たれる圧倒的な気圧に、顔を屈辱で歪ませた。


「貴様、何者だ? この私に意見するとは……。私はグレイモント侯爵家の嫡男だぞ。どこの馬の骨とも知れぬ男が、私の所有物に触れるな」


「所有物?笑わせるな。あんたが誰だろうと興味はないが、エリカは俺の連れだ。彼女を傷つけることは、俺が許さない」


 広間が静まり返る。


 エルドは、私がどこの貴族の娘なのか、どんな過去を背負ってあの日倒れていたのかは今も知らないままだ。私も、彼にそれを話してはいなかった。


 けれど、目の前の男――元婚約者が、私を品定めするように見下ろす支配的な視線。それに気づいた瞬間、エルドの纏う空気が一変した。


「……いいだろう。野蛮な街の住人には、野蛮な解決法が相応しいな」


 エドガーは懐から、純白のシルクの手袋を取り出した。

 そして、それをエルドの足元へ、叩きつけるように投げ捨てた。


「決闘だ。エリカを、グレイモント家の正当な権利として連れ戻す。その命で、己の不敬を購うがいい。貴様のような野良犬に、その女は分不相応だ」


 エルドは鼻で笑うと、優雅な所作で足元の白手袋を拾い上げた。


「決闘を受けよう。ただし俺が勝てば、二度と彼女の前には現れるな。そして彼女を自分の物だなどと口にするな」


「ふん、侯爵家に弓引く愚かさを、その血で知るがいい。明日の朝、後悔と共に地獄へ送ってやる」


 エドガーは冷笑を浮かべ、立ち去った。


 嵐が去った後のような静寂の中、私は震える声でエルドの名を呼んだ。


「……どうして。どうして、そこまでしてくださるの? あなたは、私が何者かも……私の家がどこかも、知らないのに。相手は王都の侯爵家なのですよ?」


 エルドは、拾い上げた手袋をゴミのように放り投げると、私を強く、壊れ物を扱うような優しさで抱き寄せた。


「あんたが誰かなんて関係ない。俺は、泥だらけで倒れてたあんたが、自分の力でここまで立ち上がったのを知ってる。その瞳の輝きを汚しに来る奴は、誰だろうが俺が全部叩き潰してやるだけだ」


重なる鼓動が、驚くほど静かで力強かった。私は思わず、彼の礼服の裾をぎゅっと握りしめた。


 侯爵家の権力も、過去のしがらみも。今の私の前では、この腕の温もりよりもずっと、脆くて無意味なものに思えた。

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