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第1話:色彩を奪われた人形

 鏡の中に映る少女は、今日も死んでいた。

 色素の薄い唇、生気のない肌。整ってはいるが、どこか頼りなげで、風が吹けば消えてしまいそうな薄幸の令嬢。それが、十六年間私が演じ続けてきたエリカ・アステリアという人形の姿だ。


「……エリカ。準備はできたか」


 背後から飛んできた、冷ややかな声。振り返れば、そこには実の父であるアステリア伯爵が立っていた。彼は私を一瞥すると、汚らわしいものでも見るかのように鼻を鳴らす。


「今日の夜会は、グレイモント侯爵家の嫡男、エドガー様との最終面会だ。いいか、余計な口は利くな。あの方の不興を買えば、我が家の立ち位置はない。お前が侯爵夫人の座に座れるのは、ひとえにお前が持つ、アステリアの稀少な魔力あってのことだ。その価値を失えば、お前には路傍の石ころほどの意味もない。……分かったら、その暗い顔をして私の後ろに立っていろ」


 無能。価値。


 その言葉は、これまでに数千回、数万回と私の鼓膜を叩いてきた。


 アステリア家は歴史こそ古いが、今や没落寸前。魔導の才も政治の才もない地味な長女である私は、家を救うため、そして侯爵家の魔力不足を補うためのただの切り札――それも、魔力だけを絞り取られるだけの、都合の良い道具に過ぎなかった。


「……承知いたしました、お父様」


 私は深く頭を下げた。長く垂らした前髪が視界を遮る。

 父が満足げに部屋を去る足音を聞きながら、私はゆっくりと顔を上げた。

 

 私はこの世界に生まれ落ちたその瞬間から、別の世界の記憶があった。

 コンクリートのジャングル。眩いネオン。そして、自分の可愛いを貫くために、魂を燃やしていた少女たちの記憶。

 あの世界での私は、誰に何を言われようと、一番好きな色を瞼に乗せて笑っていた。


 けれど、この世界は違った。

 貴族令嬢は淑やかであるべき。派手な色ははしたない。個性を出すのは教養の欠如。

 何より、私の持つ魔力は侯爵家のために温存すべき神聖なものとされ、私的な使用は一切禁じられてきた。


 そんな呪いのような価値観に縛られ、私はずっと、自分を殺して生きてきた。もし本性を現せば、魔女として火炙りにされるか、狂人として幽閉されるのが関の山だったから。


 数時間後。私は侯爵邸の私室で、エドガー・グレイモントと対峙していた。

 彼は私を一瞥し、紅茶に口を付けながら、まるで家畜の出来を確認するかのような無機質な声を出す。


「……相変わらず、地味な女だ。だが、それでいい。お前には華やかさなど必要ない。私に従い、ただその魔力を侯爵家の繁栄のために捧げればな。エリカ、お前は今後、私の許可なく外出することも、着飾ることも禁ずる。お前の唯一の義務は、私の後ろで静かに魔力を練り続けることだ」


 エドガーの言葉は、氷のように冷たく、私の心を凍りつかせようとする。

 彼は私の困惑を、あるいは絶望を期待しているのだろう。いつものように、私が仰せのままに、と震えながら謝るのを待っているのだ。


 ――ああ、もう。限界だわ。


 ふと、脳裏にそんな言葉が浮かんだ。

 十六年間、喉元まで出かかっては飲み込んできた、私の真実の声。

 侯爵家のため? 家のため?

 私の魂を、私の色彩を、私の人生をすべて削り取って、その先に何があるというのか。


「……お言葉ですが、エドガー様。ひとつ、訂正させていただけますか」


「なんだ。許可なく発言するなと言ったはずだ」


「私に華やかさが必要ないのではなく、あなたが、私の価値に耐えうる華やかさを持ち合わせていらっしゃらないだけでは?」


「……な、何だと……!?」


 エドガーが絶句し、手にしたティーカップをガタリと揺らした。私は彼が立ち上がるより速く、優雅に椅子を引く。


「そんなに地味がお好みなら、いっそ、あなたのその薄暗い感性に相応しい絶望をお見せしましょう。……少し、お色直しをして参りますわ」


「待て、エリカ! 誰が動いていいと言った! 戻れ!」


 背後でエドガーが吠える声を無視して、私は部屋に隣接された小さな更衣室へと滑り込んだ。


 重厚な木製の扉を閉め、内側から静かに鍵を下ろす。ここは、令嬢が身なりを整えるための不可侵の聖域。たとえ婚約者であっても、強引に押し入ることはこの世界の厳格なマナーが許さない。


 扉一枚隔てた向こう側で、エドガーが扉を叩き、罵声を浴びせているのが聞こえる。

 

「……見ていなさい、エドガー様。お父様」


 私は鞄に詰めていた、自作の道具を取り出した。

 この世界の魔石を砕き、植物の精油と練り合わせて作り上げた、私だけの魔法。


 私は、震える指で自作のパレットを開いた。

 見ていなさい、エドガー様。お父様。

 あなたたちが愛した都合のいい人形は、今この瞬間に壊してあげる。


 私は筆に、内に秘めた膨大な魔力を乗せた。

 十六年間、一度も自分のために使わなかったその力を、色彩へと変換する。


 アイラインの一筆が、屈辱を鋭く切り裂いていく。

 魔力が色彩と混ざり合い、私の肌に、瞼に、唇に、かつてない輝きを宿していく。

 

 媚びない。折れない。

 私は私のために、この世界で一番美しい武装(メイク)を纏う。

 鏡の中に、かつての私の魂が、不敵な笑みを浮かべて蘇る。

 そこにいたのは、庇護を求める地味な令嬢ではない。

 

 ――さあ、パーティーを始めましょうか。

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