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第一章 吏部へ


 ――吏部

 

 そこで香月が見た欠員報告書には、合計23箇所の場所から欠員報告が為されていた。その内、馬丁の欠員が生じていたのは1箇所――宮中の南東にある龍水殿。

 そこには工部の執務所があり、浩然の母 明林は工部の馬舎で働いていた。


 土木工事を担う工部では、荷運び用の馬や牛の飼育頭数が多く、馬丁は約20人程雇われている。

 香月は、明林の仕事仲間である彼らに、数日間の時間を掛けて、地道に聞き込みを行った。その結果、明林という女の人物像の実態が少し垣間見えた。


『明林でしょ? いい気味よ』

『地味な様相に反して、貞操が終わってる淫乱売女よ。工部内で彼女と関係を持っていない官人なんて、何人いるのかしら』

『馬笛? そういえばここで働き始めてからいつの間にか持っていたわ。誰からもらったかまでは知らないけど。あの人と会った官吏なんて1人や2人じゃないから』

『性処理で1回相手した人の中に、金成木を買えるほどのお金持ちがいても不思議じゃないわ。なんなら、その馬笛で逆に男から牝馬みたいに利用されていたりして』


 勤務態度は普通だが、当初から男関係がだらしなかったと評判で、馬丁仲間の4人から嫌われていた。

 だが、それだけ男性と関係を持っていたのにも関わらず、彼女の本命の男が誰かは、誰一人として把握していない。

 

 宴前、彼女はその日、来賓の馬の管理を担っていた。来場した客から馬を預かり、滞在期間中の世話を担う係で、彼女は炎美門付近で待機し、馬の受け子を行っていたらしい。

 宴後の調査で、雨露の話では、賊が侵入した際、門付近に死体が転がっていなかったとのこと。つまり、ここまでの話では、彼女も賊の手引きができる位置にいたということになる。

 そして、もう一つ。


『確か、半年ほど前だったかしら? 以前、同僚と飲みに出かけていたとき、(びん)区で彼女が男と腕を組んで歩いているのを見かけたわ』

 

 斌区は、別名「盗賊の隠れ処」

 飲み屋か立ち並ぶ繁華街を装っているが、その実は情報収集のために、下町に繰り出した盗賊共が住民に扮し屯する、東国の中でも屈指に治安が悪いとされている場所である。

 

『それからよく見掛けるようになったの。斌区の男にも手を出し始めたのかと思ったけど、男の方は外套を羽織って、顔を見せないようにしていたから、きっと逢引ね。相手が誰かは分からなかったけど』

『でも彼女、毎週金曜日(星期五)に斌区で誰かしらの男を取っ替え引っ替えしてたらしいから、どうせ間夫ではないでしょ』


 外套を羽織っていたのは、高官を相手にしていたこともあったことから、相手の素性がバレないための配慮だったのだろう。都の一般人が出入りしない斌区を隠れ蓑にして、人目を気にせず男と甘いひと時を彼女は楽しんでいた。

 では、彼女はなぜ、半年前から突如として頻繁に斌区へ出入りするようになったのか。そこから先の話は、彼女の領域に侵入することが許された、肉体関係にあった男衆から聞けば良い。工部内での乱交が横行していたのであれば、人を選べば必ず埃は出る。

 そこで香月は、彼女の馬丁仲間に頼み、ある条件を満たす者の紹介をしてもらった。


「まさか兵部の女性少将にお呼び出しいただけるとは。私になんの御用でしょう」


 名を沈少(シンシャオ)と言い、若くして官吏になった、将来の有望株と評される男。

 お堅い印象が板につく官職のイメージに反し、チャーミングな笑顔で、人当たりの良さが滲み出ている。顔のほくろの多さが特徴的な、女ウケが良さそうな「雰囲気イケメン」である。


「忙しい所、呼び出してしまって申し訳ない。貴方に少し聞きたいことがあって」

「いいえ、構いません。私も以前より少将殿とお話したいと思っておりました」

「何故?」

「男社会の兵部の中で伸し上がれた女性が、どんな方かずっと気になっていたのです。さぞや()()()()なのでしょう。でなければ、身一つで男社会についていくことなんて、難しいでしょうから」


 第一印象は、壁がなく親和性の高そうに見えたが、実際に話をしてみると、言葉の端々に引っかかりを覚えた。

 柔らかそうな態度に見えて、官吏らしい思考の固さは顕著にあり、かつプライドも高い様子。

 まさに()()()()()()()に、香月の口角が上がる。


「して、私に聞きたいこととは?」

「単刀直入に聞く。明林という女性を知っているな」

「ええ。うちの馬丁でしたので、挨拶程度の関わりですが」

「避妊はしてたの?」

「そりゃ…………え?」


 先程の香月の質問の内容を思い出し、己の過ちに気付いた沈少の顔から、一気に血の気が引いた。

 

「よし、じゃあ本題入るねー」

「いや、これは!」

「あ、誤魔化さなくていいよ。みんなアンタと明林との関係知ってるから」

「いや、違」

「いいから答えろ。不倫がバレたらヤバいでしょ。()()()()()()


 香月が、探した男性の条件は3つ。

 明林と関係を持つ男性の中で、半年より以前に確実に肉体関係があり、他の官職との関係が良好で、かつ結婚している者はいないかと尋ね、条件に当てはまったのがこの男だった。

 【結婚】は、今のように脅し材料になって情報を引き出しやすいように。【他の官職との関係】に言及したのは、一人からできるだけ多くの情報を引き出すため。そして【半年以上】の条件を出したのは、半年前の彼女の様子を聞くため。

 

「アンタ婿養子なんだって? 奥さんの家柄の助力で階級付きになったから、奥さんに頭上げられないらしいじゃん」

「まさか俺が他の無能共と同様、縁故(コネ)を使って、この地位を勝ち取ったとでも? 勘違いするな! 家柄さえ良ければ、俺は実力で官吏になれていたんだ! その家柄も俺の魅力で手に入った! 全部俺の実力だ!!」

「じゃあ不倫したって奥さんに言えるの?」


 憤慨する沈少の図星を突くと、彼は分かりやすく言葉を詰まらせた。


「お、俺を脅す気か!! 明林と関係を持った証拠など」

「証拠はねーけど、あっしがお前に辿り着くまで何人から話を聞いたと思ってんだ?」

「ん゙んっ!」


 沈少が事態を鎮火できるほどの権威や財力を持ち合わせていなければ、情報を知る人々が勝手に口を開いてくれる。わざわざ証拠を用意せずとも、それが事実なのであれば、炎上は容易に引き起こせる。

 

「分かったら明林との馴れ初めについて話せ」

 

 感情の高揚を表に出さぬようにと、自身を抑圧する沈少の顔がタコのように赤く沸騰する。


 沈少が話した明林との関係は、7ヶ月前に遡る。

 外勤へ行く際に、直前に彼の馬を世話していたのが明林だったらしい。重そうに撒餌を運んでいたところを手伝ったのがきっかけで、彼女と話すようになったらしい。

 地味な様相だが隙のある女だったそうで、話が盛り上がった時のノリで体に触れることは何回もあった。しかし、彼女は頬を赤らめるだけで、嫌がる素振りは一切なかった。

 そんなやりとりを繰り返す内に、遊び気分で、ある日その場の雰囲気の流れで体の関係を持った。

 二人の関係に深い愛情がないことは、お互い承知の上。片や未婚の子持ち、片や妻子持ち。倫理的に許される関係でなかった二人の密会場所は、必ず人気のない場所だった。

 その一つが、斌区。

 明林の行き馴染みの小さな飲み屋に、二人で行っていたらしい。店長の口効きで、店の二階にある個室で営んでいたそうだ。


「我々はまだ跡取りに恵まれず、周りから急かされる圧力(プレッシャー)でつい……。会うのはいつも、私が出先から直帰できる水曜日(星期三)でした」

「星期三? 星期五じゃなくてか?」

「星期五は、最近では毎週、義両親が顔を出して早く帰らねばならないため、仕事が終わったらすぐに退勤しています」

 

 挙句、沈少の話によると、彼女との関係は2ヶ月前からすでに途切れていたらしい。

 そもそも月単位で関係が続く人物の方が珍しく、明林は沈少以外の男とも夜遊びをしていた。周囲の人間からすれば、とんだ淫女に映っていたことだろう。

 

 ――だが、少し考えれば気づく、大きな疑問点が1つ。


 頻繁に男が変わっていたのに、なぜ毎週、彼女は変わらず斌区に赴いていたのか。会う男が異なれば、当然、会う時間や場所は異なるはずだ。それなのに、彼女は半年間も、男は変われど、会う時間も場所も変えなかった。……いや、変えられなかった。

 つまりそこから考えられるのは、彼女は何らかの理由で、星期五の夜に斌区の店へ行かなければならなかった。だが、その店に一人で行くことに不都合があったことから、彼女は関係を持った男を使って、斌区に赴いた。それも、他言できない、後ろめたい理由がある人間を選んで。


 そんな女が、『巻き込まれた』?『被害者』? ただの馬丁の女がこんな手の込んだ動き、半年間も続けられるはずがなかった。

 この時点で、香月は明林が盗賊との繋がりがあることの確信を持った。


「仲間内で時期がダブっていたことなんかもあって、暇な時に彼女の話を持ち出すことも少なくありませんでした。最近では、とある大物との関係疑惑の話が、めっきり持ちきりだったんです」

「それは誰だ?」

「貴女も、よく知っている御方だ」

「あっしも知ってる? 一体……あ!」


 女性絡みと聞いて、香月の頭に真っ先に思い浮かんだのが、衛兵隊の一級上将 雨露。

 隊の長としての威厳に違わず、根がしっかりしており、癖の強い将軍階級四人組を今日まで面倒を見ている器の広さと統制力がある雨露だが、実は意外にも女性関係は最もだらしがない。

 来る者拒まず、去られる一方で、一緒にいる女は週毎に変わるほどの遊び人。その実力は、美人局に嵌められそうになったこともある程であった。

 

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