第一章 九垓の知恵
埒が明かないことを悟った香月は、ひとまず、正威を彼の部下に言って休ませるよう伝え、刑部を後にした。
「仕方ねぇ。順番変えるか」
裁判記録からの情報収集は一度諦め、先に母親の持ち場の特定を行うことにした。
とは言え、決して簡単なことではなかった。もし、お尋ね者が官吏であったなら、統括する吏部に行けば苦労はなかっただろう。
だが、東国では一介の官吏でも必要があれば下男を雇うことが許可されており、逆を言えば官吏以外の人員管理は、各雇用者に一任されている。そのため、労働規模が大きければ大きい程、馬丁などの末端労働者の調査は難航する。
「香月?」
「あ」
どう手を付けるのが得策か、そんなことを考えながら歩いていると、偶然、衛兵隊の頭脳派 九垓と出くわした。
「刑部に行っていたのですか? 何を、というか皇帝の護衛は?」
「色々あってちょっと調べ物。ちなみに今刑部に行っても意味ねーぞ」
「おや、堕天ですか?」
香月の一言に、九垓は瞬時に面倒を察知し、すぐに踵を返した。
「ところで九垓さんや。ちょいとその賢い頭を貸してはくれないか?」
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「で、乗りかかった船ということで君の悪知恵を貸してくれたまえ」
「嫌です」
香月の話を聞き、九垓は笑顔で、二つ返事で断った。
「ホントは九垓もどうしたらいいか分からなかったりして〜?」
「なんとでもおっしゃい。そもそも子どもの話ですよ? 彼にとっては真実かもしれませんが、事実と異なる可能性は十分ありえます。地盤が不確定な話に耳を傾けられるほど我々は暇ではないのですよ?」
「分かってるよ」
しかし、香月にしてみれば、概要を説明した上で彼が断ることは、想像どおりだった。
衛兵隊は探偵ではない。このように城内で起きた事件は、本来は警察の役割を担う近衛隊の管轄である。
衛兵隊は、あくまで国内の治安を脅かされた時に出動する武力行使、所謂軍事に過ぎない。
そもそも戦死などにより人材の浪費が激しいこともあり、命を落とさずまともに動ける人間に限りがある衛兵隊では、余計なことに人手を割く余裕はない。それ故、雨露や九垓などの上役は、仕事の領域の線引にうるさくなる。
「でも、宴で賊を手引した黒幕……まだ捕まってないんだよな?」
「ええ。ただ先程、容疑者が浮上したと近衛隊から連絡があり、近々捕縛予定のため、協力要請がありました」
その話に、香月は眉をひそめる。
「容疑者の詳細は?」
「貴族という情報以外は、いつもの如くお預けですよ。捕縛当日にならないと分かりません」
「またか」
同じ兵部に属する部隊だが、貴族出身が多い近衛隊と、平民出が多い衛兵隊は、犬猿の仲にある。
貴族出身に足る気位の高い近衛隊は、常に衛兵隊を見下し、事実上下請けのような扱いをすることが多い。
今回のような情報を共有しないのは、衛兵隊に手柄を横から掠め取りるのではという、過剰かつ無意味な心配から、適当な理由をつけては情報を開示しないのである。
情報共有が円滑に行われないことによる衛兵隊への弊害は大きい。人員の差配や、事前の準備がままならないため、いつも現場で近衛隊に顎で使われる始末。
「毎度こういう時、いつも悩ましいのです。自己解決能力とプライドが反比例した人間ほど、得意げに仕事の進行を妨げる習性があるのは、病気と認識すれば良いのか否か」
「不毛な悩みだな」
「そういう病気だと思えば、最初から諦め付くじゃないですか」
笑顔を絶やさずに話しているが、腸は随分煮えくり返っているのがありありとしている。
「検挙故、刑部に少しは情報を入れていないかと思い、ここに来た次第なのですが」
「なるほどな」
香月の口角が、ニヤッと上がる。
「その馬笛少年の母親さー、宴の日より以前に誰かから馬笛をもらっていたらしい」
「それがどうかしたのですか?」
「その馬笛さー、朱雀の紋様が掘られた、金成木でできた笛だったらしい」
「……」
「渡した相手、ただの一般人だと思うか?」
近衛隊が動き、ここで衛兵隊も動けば、犯人の捕縛は、早い者勝負。
もしも衛兵隊が勝った場合、コソコソしてまで手柄を立てようとしていた近衛のプライドはどうなるか、誰だって想像がつく。
近衛嫌いの九垓が、そんな絶好のチャンスを逃すはずがなかった。
「欠員報告書」
独り言のように九垓が呟いた。
「報告書?」
「今回のように賊の襲撃に遭い、大量処刑や負傷者が出た場合、生存確認も兼ねて欠員報告書を吏部に提出するはずです。それを元に、各持ち場で減った人員の新たな募集や補填をかけます」
「その手があったか!」
報告書の欠員は職種で分類されるが、場所は確実に絞ることができた。
「九垓ありがとう! さすが悪知恵大魔王!」
「それって悪口ですよね?」
寝坊しました。すみません…




