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第一章 馬笛を盗る少年


「離せ! 離せってば!!」


 暴れる子どもの望みどおり、香月が手を離してやると、地面に転げ落ちた少年は、予想に違わず、すぐ逃げ去ろうとした。

 それ故、再び襟首を掴み取り、後ろから羽交い締めにする形で、少年の動きを封じた。


「お前誰だよ! 離せ!」

「衛兵隊の香月デース」

「盗みくらい他の奴らもやってんだろ!」

「ああ、やってるさ。ただのスリならあっしも放置するんだが、わざわざ貴族を狙ったのに、なーんで財布を狙わない。それも」


 カランカラン!

 

「こんなに()()を盗んで何する気だ。換金目的じゃねーよな?」


 少年のぽっこり膨らんだ懐部分の服を捲り上げ、そこから出てきたのは大量の馬笛。すべて盗んだ代物だった。

 散らばった馬笛を前にして、強気だった少年の目は泳ぎ、明らかな動揺を見せた。

 香月の腕を力任せに振りほどき、彼は落ちた馬笛を拾った。1つ残らず必死に拾うその姿は、明らかに異常だった。

 

「何故こんなに馬笛を盗む」

「俺の母ちゃんを殺したお前らに、何を話せってんだよ!!」

 

 目に涙を溜めるほどの怒りを顕に、少年は香月の胸ぐらを掴み、感情的に語った。

 

「母ちゃんは、あの宴の謀反人としてお前ら衛兵隊に処刑された!」

「そりゃあ、悪いことしたら罰するのがあっしらの仕事だからな」

「違う! 母ちゃんは賊なんかじゃなかった!」

「あ?」

「母ちゃんはあの騒動に巻き込まれた被害者だ! それを碌に調べもしないで状況証拠だけで判断したお前ら兵士が母ちゃんを打ち首にしたんだ!」


 少年のその発言に、香月の目が大きく見開く。

 ただ興味本位で馬笛だけを盗む理由を聞くつもりが、もしかするととんでもない事実を掘り起こしてしまったかもしれなかったからだ。

 

 宴の反乱分子の処刑が実行されたのは、つい2日前のこと。

 死刑の実行には、金がかかる。死刑囚が多い東国では、賊を先導する首謀者、あるいは幹部の処刑に留めることは少なくない。先導者を失えば、知を持たない賊共の統制を立て直せず、大半は自然と解体されることが多いからであった。

 

 しかし、此度の襲撃事件では、()()()|起きた。襲撃に関与した人物が、罪状が確定し次第、全員即刻処刑台へと送られたのだ。

 その理由は至って簡単、来賓客に怪我人が出たためだった。保護国となる手前、西国への示しをつかせる為に、金を惜しむことができなかったのだ。恐らく、その処刑された内の一人に、少年の母親が含まれていたのだろう。

 本来、法を司る刑部が杜撰な調査をすることは、一般常識としてあってはならぬこと。

 だが、何度も言うが、ここは東国。そもそも国の基盤は脆く、そもそもの人の質も劣る。それ故、処刑対象の人数の多さもさることながら、状況証拠だけで判断した可能性は、大いにあり得た。

 何より香月には、その単純な判決を出す人物に、心当たりがあった。


『んじゃあ、ここからここまでぜーんぶ死刑。酌量なしで打ち首ね』


 関与が濃厚だった人物の処刑裁判だけでも、三日三晩、休みなしで続いたと聞く。

 徹夜続きで疲労困憊の裁判官が、どんな裁判をしていたのか。目の下にくまを携えながら、大人買いの要領で死刑を宣告していく光景がありありと思い浮かび、香月は思わず身震いした。

 

(いいや。面倒事を持ち込まれてもあっしにはどうすることもできないし、刑部の人間じゃないことを理由に訴状先だけ教えて誤魔化して帰ろう)


 本格的に巻き込まれる前に、逃げることを決めた。


「お前の事情は分かった。ただ、母ちゃんの死と馬笛盗んだのとは別の問題だろ?」

「……」

「……え?」


 少年が口を噤むあたり、どうやら違う的を射てしまったらしい。


「処刑後、遺骨の代わりに罪人の遺留品が返還された」


 今回のように、一度に処刑する人数が多いとき、東国では集団火葬が行われる。

 一人一人火葬するには時間が掛かり、その間腐敗した死体から腐敗臭が漂ってしまうからである。

 それ故、他の遺骨と混ざって分別ができなくなるため、集団火葬した場合は遺骨の代わりに遺留品を遺族に返すこととしていた。


「その遺留品の中に、母ちゃんの馬笛だけがなかった。他は全部あったのに……」

「母ちゃん何の仕事してたんだ?」

「宮中の馬丁。馬が好きだったから。仕事に行くときはいつも首から馬笛をぶら下げていた。あの宴の日も同じだった」

「首からぶら下げていたなら、混乱に乗じてどこかで落としたんじゃねーの?」

「……」

 

 少年は再び口を噤んだ。


「金成木で朱雀が掘られた馬笛がかっこよくて、以前に一度だけ『俺も欲しい』とねだったことがあった。でも母ちゃんは、あの馬笛を『もらった物だから』と、困った顔でダメだと言った」

「!」

「最初から母ちゃんは、利用するために狙われていた。俺は、あの馬笛をあげた奴が、母ちゃんを賊に仕立て上げた犯人だと思う……!」


 堪らえていた涙を流しながら、少年はそう言った。

 金成木は、その名のとおり、貴族などの金持ち共に人気のある高級木材。ただの馬笛に、そんな無駄に高い木で作る庶民は、いない。


「はぁ……」


 香月は深い、本当に深いため息を長く吐いた。

 

「分かった。わーったよ! とりあえず、お前と母ちゃんの名前を教えろ」

「嫌だね!」

「母ちゃんの処刑の真相をあっしが調べてやるって言ってんだよ。城の中に入れないお前が、自由に城の中を調べられる駒を手に入れられる、またとない機会だ」

「フン、信用できるか。お前になんの利益もないじゃないか!」

「ある」

 

 決定打には欠けるが、少年の推理は決してない話ではなかった。

 仮に彼の推理通りだった場合、母親は賊を招き入れた内通者と接触している。ともすれば、この少年に協力すれば、身を潜める黒幕の尻尾を掴める可能性があるということ。


「母ちゃんの死について、あっしが徹底的に調べてやるよ」

 

 少年の名前は、浩然(ハオラン)。地元の寺子屋に通う、13歳の子どもだった。

 母親の名前は、明林(ミンリン)。未婚で息子を産み、5年前から地方より下町に移住し、浩然によれば、1年ほど前から馬丁として宮廷で働いていたそう。兵部の馬丁に女性がいないことは確認済みのため、他部署に所属していたのは間違いなかった。

 少年と別れた後、香月は手始めに処刑記録と母親の所属部署を特定し、彼女の宴前後の情報を集めるため、一度宮殿に戻って刑部へと向かった。


「つーわけで(チュン)ちゃん、処刑した奴らの記録見ーせて」


 早々に香月が可愛いくおねだりしてみせたのは、まるで墨で書いたような隈を目元に携え、思考瀕死状態で働く、東国の十人の判事が一人 正威(チュンウェイ)。つい3ヶ月前、昇格試験に合格したばかりの新米判事である。

 彼は、父親も判事だった刑部の純血(サラブレッド)で、厳正中立を擬人化したような人間。平常時は、育ちの良さが滲み出る程の物腰の柔らかさで、温厚な人柄の良さから密かに女官からも、「天使」と呼ばれるほどに高い人気を得ている。

 しかし、温室というぬるま湯で育てられた代償か、彼は不摂生な生活への耐性が皆無に等しかった。

 それ故、一定の睡眠時間を確保しないと、彼の目覚めさせてはいけない第二の人格が表出するのだが……


「きーろーく! 部下に見せるように指示するまででいいから!」

「やだねやだね! 絶ッ対やだね!! 僕がこんなにも仕事が終わらないのに、なんで他人の仕事を終わらせるために働かなきゃいけないのさ!」


 この第二人格は別名「堕天使」

 その前触れがこの徹底的な仕事放棄ぶり。

 潔白が故に放棄の仕方は子どもじみてはいるが、ちょっとした頼みでさえ、是が非でも働こうとしない。

 香月は愚か、直属の上司から命令をされても労基違反を脅し文句に黙らせる。その豊富な司法知識を武器に、彼の不労は休みを得るまで止まらない。


「他部署の人間が記録見るには判事の許可がいるんだから、許可だけ出してよ。あとは部下に頼むから」

「ハハッ! いいこと思いついたよ、香月。許可出すからさ、書庫全部燃やしちゃってよ」

 

 香月曰く、彼の目はマジだったと言う。

 

「いつも頼んでもないのに宮殿内の物を壊しているじゃないか。ただ火をつけるだけだから物損より遥かに楽に壊せるよ、全部」

「じゃあお前がやれ」

「判事の僕が放火なんてできるわけないじゃないか」


 この時、香月は、「何故自分はその常識の適応外なのだろう」と疑問を抱いた。

 

「酒蔵にある酒を部屋に撒けばいい。以前放火犯が引火剤に扱いやすいと言っていた」

「判事が判例を元に犯罪教唆していいの?」

「君は記録が見られるし、僕はしばらく仕事をしなくて済むから一石二鳥だろ」

「あっしの代償がデカ過ぎんだろ! つかその余力で普通に許可出せよ!」

「全て消し炭にしてくれたら報酬に記録見せてあげるね」

 

 ――だから順序が逆だっつの!


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