第二章 月華、解放
「老害、伐採でござる!!!」
颯爽と現れた、ござる口調の少女が、その金色に光輝く瞳で戊藩の背後を捕えた。
「アハ♡ 月は、華を手折る、咎人なり!」
恍惚とした表情で唱えられた詠唱が、戊藩の足元に闇深い沼を波紋のように広がらせる。重苦しい雰囲気を放つその黒い沼は、彼の下半身に絡みつき動きを封じる、底なしの沼。
動けば動くほどに身体が沼底に沈み、身動きが取れない戊藩。
そんな彼の前に優美に立ちはだかる鬼月――
「私の攻撃、頑張って避けてくださいね」
「冗だングッ!」
戊藩の顔を掴み上げ、鬼月はそっと、彼の眼前に手をかざす。
――「御姐さんがいることも忘れないでくださる?」
油断した鬼月の耳元で囁かれる、痺れるほどの甘い声。次の瞬間
ドゴォ゙ーーーーーーーーン!!!
轟音と共に、檀瑶宮から温泉の如く噴出した真っ黒な水が敵の二人を襲う。脳天目掛けて豪快に天から降り注がれたその黒い水の攻撃から、二人は必死の形相で避け逃げる。
「月翔!」
「かっこいいお兄さん? あちきの彼氏にお痛しちゃダメよ?」
彼らの背後に忍び寄ったのは、黒のレースの面掛を付けた一人の若い女。
豊満な肉体美に、しっとりと艷やかな話し方だけで、むせ返りそうな程の色気を放つ。この黒い水を自在に操る彼女こそが、残る1人の第五部隊所属の桂人 蘭月。
「痛ーーい!! 爛れた! 拙者の左腕のところ爛れたッ!」
うっかり蘭月の月華に触れてしまった月翔の左腕の前腕部は、爛れて広範囲に亘り赤黒く変色していた。痛みとショックで彼女は泣き喚き、それに伴い、戊藩の足元に展開していた月華も消失した。
この爛れこそが、月華の被曝による火傷。被曝耐性を持つ桂人だからこそ、爛れ程度で留まっているが、耐性のないただの人間が月華に触れれば、腕の原型すら残らない。
これこそが、東国で対桂人用の戦闘要員が必要な大きな理由。
「蘭月、鈴麗姫は外に逃がした。避難の先導をしてやれ。質を取るのがこいつらの狙いだ」
「分かったわ、ダァリン♡」
「誰がダーリンだ」
愛しの戊藩に軽くキスを投げ、蘭月は急ぎ姫君の元へと向かった。
「若造二人を相手にするのは、老体には厳しいのではないですか? ご自身の体にそんな鞭を打たずとも、ちゃんと苦しませて殺して差し上げますのに」
「これだから青二才は……無知な上に浅慮だ。老いた人間が役に立たぬと言うなれば、『亀の甲より年の功』という諺は生まれない――月は華を手折る咎人、也」
瞳に三葉、藍髪は金色に、灼熱の炎に身を包まれ月華を解放した戊藩の右手には、赤熱の金棒が握られていた。
「あー熱い。熱いから月華は嫌だ」
そして金棒を一振り、床に叩きつけた瞬間に爆風を巻き起こし、侵入者二人を建物外へと吹き飛ばす。
さらに、熱風に攫われた鬼月の着地点を狙って、瞬時に移動し、追撃にかかる。
「老いぼれが!――月は華を手折る、咎人、也!」
鬼月の顔を狙って戊藩が再び金棒を振り切ろうとした瞬間、咄嗟に鬼月は自身の月華である針球を作り出し、攻撃同士をぶつけることで威力を相殺した。
その際に砕け散った針を操り、戊藩への攻撃に転じる。
針の攻撃の原理は、蘭月の黒い水と同じ。一本でも身体に刺さると先程の月翔のように被曝する。攻撃は全て躱さなければならない。
「まだまだ出ますよ」
無尽蔵に作り出される針の波が戊藩を呑もうと、容赦なく襲いかかる。金棒で払い落とすことができても、払った矢先に次々と波が押し寄せる。
さらに、ここで思いもよらぬ奇襲が戊藩に追い打ちをかける。
バシュ!
「何」
突如感じた足の痛覚。その瞬間、戊藩の月華が本人の意思に反し、勝手に消失した。彼の腿裏には一本の矢が刺さり、その鏃の先は肉に刺さった拍子に小さなヒビが入っていた。
賊の誰かが物陰から彼を狙って放った物なのだろう。問題は、この脆さから鑑みるに、鏃に使われたのは斜陽石を削り、加工した物。
「いくら脆い石でも、鋭くすれば皮膚には刺さります」
つまり、斜陽石が刺さった状態では、月華は使うことはできない。
「左腕の仇でござる!」
そこで、先程の負傷の因縁を晴らそうと、鋭い目つきの月翔が、再び底なし沼を顕現させる。
「頑張れジジイ! 早く逃げぬと、蓮が咲くぞ」
月翔が指差す沼の底を覗くと、仄暗い沼底から何か白い物体が戊藩に向かってとてつもないスピードで近づいて来ているのが見える。
「沼の蓮の蕾が咲いて仕舞えば、ジジイの体ごと食らい尽くして、死ぬまで沼の底生活でござる!」
つまり、沼に沈む蓮の蕾が水面に上がる前に沼から脱しなければ、二度と沼から出られなくなってしまう。
「あーこれ詰んだわ」
絶望的な状況に、それでも動かぬ足を動かそうと試みるが、当然ながらうんともすんとも動かない。
そんな戊藩の無様な姿を、月翔は声高らかに笑いながら見届ける。
「それでは、気を付けて三途の川をお渡り下さい」
勝ちを確信した鬼月は、最後に満面の作り笑いで、戊藩に餞の言葉を手向け、彼の周囲を無数の針で取り囲う。
なす術もない絶体絶命の状況下で、戊藩が固唾を飲み、死を覚悟したその時――
「鬼月」
「はい?」
月翔が鬼月の名を呼ぶ声がした。
声がした方にまんまと彼が振り返った先にいたのは――
「…………母、上?」
それを見た途端、鬼月はハッとして、すぐに状況を理解した。しかし、気付いたときには、もう遅い。
――「月は華を手折る、咎人也」
その瞬間、眩しすぎる光が鬼月を優しく包み込み、彼は咄嗟に目を瞑った。
瞼越しに伝わる光が少し弱まったのを見越し、しばらくして目を開いてみると、次に彼が見た景色は、直前までそこにあった光景からは一変。
「これは……」
辺りは一面、闇景色。あと一歩のところまで追い込んだ戊藩も、月翔もいない。壇瑶宮にいたはずなのに、辺りは視界いっぱいに、音も響かぬ闇が広がっている。
「これが、雲嵐様が仰っていた、桂の一族でも最強と謳われる、少将の月華。死人の姿を装い、闇世に誘う能力ですか。最強と言うからどんなものかと思えば、ただ闇に閉じ込める程度など造作もありません。母上を虚仮にするような真似をしたのは解せませんが」
そう一歩足を踏み出した時だった。
「わっ! なんだ!」
次の瞬間、再び目を焼き尽くしてしまうほどの眩い光が鬼月を包んだ。あまりの眩しさに手をかざすが、目を閉じていても突き抜ける程の強い光に、鬼月はしばらく身動きが取れなくなった。
しかし、光はまた徐々に弱まり、落ち着きを取り戻した。
恐る恐る目を開き、チカチカとぼやける視界で、光った方向に目をやると、その光の中に大きな人の影が動くのが見えた。
「ッ!」
咄嗟に鬼月は身構える。
こちらの存在に気付いているのか、得体の知れないその影は徐々に近づき、影がどんどん肥大化する。
巨人か獣か、それともこの世ならざるものか……光の中で蠢く影の正体に、思わず固唾を飲む。
『可愛いね。私の稚児』
「!!」
光の中の影が声を発した。それは、緊張を一瞬で解きほぐしてしまうほどの、優しく温かな女性の声だった。
やがて、影の濃淡がくっきりと分かれ、顔がはっきりと映し出される。
聞き慣れた声、見覚えある愛おし気な眼差し、優しい抱擁……敵意からは程遠い温かみで満ちたその映像に、鬼月はいつの間にか夢中になっていた。
「母上……」
鬼月はたった一言、寂し気に呟くよう、言葉を零した。




